11月末、札幌・真駒内にフィギュアスケートの「NHK杯」を観に行ったとき、…会場の雰囲気がとてもあたたかいな…と感じた。出場する選手全員の国旗を持参して、登場のたび持ち替えて振る人。全員のジャンプの失敗に、…ああ…と見ていて気の毒になるくらい落ち込む人。テレビの前で観ているだけでは決してわからない空気を感じた。
 そして、フリーの翌日、帰京して、東京宝塚劇場に、宝塚花組トップスター(当時)明日海りおのサヨナラショーと退団会見の取材に行った。――二階席の一番上の取材用立見席から、明日海りおが宝塚生活に別れを告げる歌を歌い、劇場を埋め尽くす人々がペンライトを振る姿を観ていて、…ああ、この場所もやはり、とてもあたたかいな…と感じた。
 もちろん、男性ファンの姿もある。けれども、どちらの会場も、圧倒的に多いのは女性の姿である。――日本の女性が観客、観衆として支える文化というところに、大きな共通点を感じた。
 月組公演『I AM FROM AUSTRIA』は、そんな宝塚のあたたかさをそのまま「故郷(ふるさと)」として提示する作品である。オーストリアの国民的シンガーソングライター、ラインハルト・フェンドリッヒの楽曲を用いたジュークボックス・ミュージカルだが、<故郷=ウィーン>というもともとの作品のテーマを見事、<故郷=宝塚>へと着地させている。
 ――物語の舞台はウィーンの老舗エードラー・ホテル。主人公はホテルの御曹司ジョージ(珠城りょう)。ホテル自体はジョージの母である社長のロミー(海乃美月)が牛耳っていて、ジョージの父ヴォルフガング(鳳月杏)も妻の尻に敷かれっぱなし。ホテルを刷新していきたいジョージ。伝統を守りたいロミー。二人の対立は、『エリザベート』のフランツ・ヨーゼフとその母ゾフィーのそれになぞらえられる――このあたりのネタは、宝塚でも愛される『エリザベート』にちなんで、潤色・演出の齋藤吉正が入れたものである。さて、そんなホテルに、ハリウッドの大女優エマ・カーター(美園さくら)が、やり手マネージャーのリチャード(月城かなと)と共にお忍びでやって来る――のだが。到着前に、ホテルのコンシェルジェであるエルフィー・シュラット(光月るう)がフロント係のフェリックス(風間柚乃)にバラしてしまい、フェリックスがそれをツイートしてしまったから大騒ぎ。ホテルには、エマと何とかしてお近づきになりたいと思うセレブの皆々様が押し寄せてくる――というオープニング。思い思いに個性的な衣装に身を包んだ人々が、歌い踊りながら、ホテルのドアをくぐり、あれよあれよと登場してくる――その、宝塚ならではの人海戦術が、冒頭から見事に炸裂。舞台上に、光と色彩あふれるスペクタクルが現出する――「♪イン・ウィーン」と歌いながらの「ここは宝塚です!」宣言である。その後も、ショーアップできるナンバーはすかさず大勢口でショーアップ。ジョージと共に姿を消したエマを警官隊が追うシーンでも、二人を逃がそうとするホームレスの人々と入り乱れての大ダンス・ナンバーが展開。ラテンのリズムでは羽根飾りの踊り子たちが登場、冷凍庫の場面ではケーキの下から人々がぬっと顔を出して歌い、エアロビ・ダンシングの場面では客席降りが行なわれ、踊れる観客は一緒に踊る! ――事前に「タカラヅカ・スカイ・ステージ」の「タカラヅカニュース」で振付講座が放映されていたのである。ショーの手法を盛大に取り入れつつのストーリー展開――物語自体は、自分を見失っていたエマが、故郷の街ウィーンで、愛する人とめぐり逢い、自分を取り戻すというシンプルなもので、そこに、ホテルの伝統と刷新をめぐるジョージ親子の対立と、個性豊かなキャラクターたちのエピソードが絡んでくる。ジョージとエマのつかの間の逃避行には、クレーンを使っての「ヘリコプター」も登場、客席上空をトップコンビが飛んでいく。
 ――故郷とは? と、物語を追いながら考える。私は日本出身である。東京出身である。杉並区出身である。出身地から離れていないから、…故郷だな…とわざわざ考える時間は少ない。そう考えると、故郷とは、その地から離れたときに懐かしく思う場所なのかもしれない。
 私の故郷。
 舞台評論家としてならわかる。私の故郷は、宝塚である。宝塚歌劇団の人間であったことは一度もない。けれども、私は多くを宝塚の舞台から学んできた。――そして、最近、宝塚の客席に座っているのと同じようにして、他のジャンルの舞台の客席に座っていると、宝塚において、タカラジェンヌたちと共に美の闘いを繰り広げてきた経験は、どこに行っても活かされることに、改めて感じ入るようになった。ロンドン・ウエストエンドのミュージカルの舞台の客席でも。日本のさまざまな舞台芸術の劇場の客席でも。フィギュアスケート観戦の客席でも。――ただ、座って、楽しんで、観ているだけなのである。でも、宝塚の客席での経験が、私の中に確かに息づいていて、それは、対面する相手によって、いかようにも活用され得るものであることに気づく。
 それと同時に、――私は、舞台上で闘う日本の女たちの姿を観ることを、こよなく愛し続けてきているんだな…とも気づいた。――男社会でボロボロになった若き日、宝塚の舞台を観て、…この人たちはなぜこんなに輝いているんだろう、自分もこの人たちのように生き生きと日々を送りたい…と思ったあの日から、気持ちは変わらないのだと思う。
 宝塚には、男だから、女だからという故に発生する、役割分担というものがない――その自由! もちろん、身長による区分はある程度あろうけれども、基本的には、男役をやりたい者が男役を担当し、娘役をやりたい者が娘役を担当する――では、その男役/娘役の役割分担が、そのまま外の社会における役割分担と重なってくるのではないかという議論については、個々の作品論とも関わる重要な論点であるから、ここでは立ち入らないけれども。
 ただ。最近に至って、…評論家として、どうも、今まで通りの自分ではいけない、そんな境地に達したのである。すべてを女性で演じているという特徴を、広い世界の中に置いたとき、その舞台はいったいどのように見えてくるのか。それは、日本のいかなる文化的特徴として、世界の人々に受け止められ得るのか。――俯瞰する目が必要である。
 それと同時に。自分はやはり、男性を観る経験が、女性を観る経験に比べて圧倒的に少ない…とも感じた。その意味で、男子選手しか出ていない男子フィギュアスケート競技は大きな手助けとなっている。そこでは、とにかく男子を観るしかない! ――そうやって自分の目を鍛えるしかない。そして、今さらながら、深く気づく。男性と、男役は、違う。それぞれに異なる美がある。両方の美を知ってこそ、男役についても、これまで以上に深く書けるはずである。
 故郷があるから、飛び出していける――。
 私にとって故郷とは、大切な人の愛がたくさんつまった、あたたかな場所だな…と思うのである。宝塚の舞台で、たくさんの大切な人々に出逢った。だから、永遠に続いていってほしい。私を含めた多くの人々にとって、故郷だと思えるあたたかな場所であり続けてほしい。主人公ジョージが愛をこめてエマに言う、「僕は君の故郷になりたい」を、私はそのような言葉として聞いた――「俺」じゃなくて「僕」でした。聞き間違え。「俺」は、あひるの中の男の一人称なんだな…。「よく働くなあ俺」とか独り言を言っている――。「僕は君の故郷になりたい」と言われたら、私は、「ありがとう!」と言って、飛び出しても行きたい人なのである。貪欲(笑)。でも、いつも心の中には故郷がある――そして、その故郷のようにあたたかな場所を、この地上に少しでも増やしていきたい。舞台芸術の力を、美の力を信じることで。「僕は君の故郷になりたい」と、自分自身も、多くの人に愛をもって言いたい。
 私はいつも、故郷の愛を胸に、闘いに行っているのです。

 「僕は君の故郷になりたい」のセリフの前。自分はこれからも有名人エマ・カーターを演じるしかない…と苦悩するエマに、ジョージは、その重荷を共に分かち合いたい、と言う。このセリフを、コンビを組む美園さくらへの、舞台を共に務める仲間としての深い思いもを込めて言い切った月組トップスター珠城りょう――その姿は、今まで以上に大きく、頼もしく見えた。いいコンビになったな…と思った――当然、ここは、美園さくらのさらなる成長も待ち遠しいところ。深く信頼し合っているコンビの姿は、観る人々に絶対的な安心感を与える。
 やり手マネージャー、実はワルのリチャードに扮した月城かなとは、ひねたやさぐれ系ではなく、育ちのいい頭脳派だからこその凄みを感じさせる演技。じっくり考えた上で構築された役作りで、男役としても一段大きなステップを上がった感がある。月城と悪巧みを企てるパパラッチのライナー役の輝月ゆうまは今回、ピンクに染めたロン毛という思い切った髪型――自分の男役芸に絶対的な自信がなければできない! ――で登場、切れ味のいい痛快な芝居で話を盛り上げる。二人の悪巧みというのが、エマとサッカー界の大スター、パブロ・ガルシア(暁千星)を、互いの間に愛もないのに結婚させ、そのスクープを独占して儲けを折半しようというものなのだけれども――昔、とあるダンサーが、とあるスーパーモデルと付き合って、彼女を自殺未遂に追い込んだという話があって、そのダンサーが来日した際、「自殺未遂に追い込んだってホント?」と取材で聞かなくてはいけない羽目に陥った、会社員時代の自分を何だか思い出した(聞かないと上司にどやされるのです)。「ノー・コメント」という回答を引き出したけれども、人の生き死にに関わることについて聞くなんてな…と、落ち込んだ覚えが。それが、十年くらい経って知った真実というのが、それは、そのダンサーを売り出すために、プロモーションの一環として流された嘘だったという…。何かね、闇ですよね…――。
 さて、そのパブロだけれども、そそっかしくて問題ばかり起こしているフロント係のフェリックスくんに一目惚れ! ラストでは素敵なカップル誕生! ――ウィーン版では、パブロは故郷アルゼンチンに同性の恋人がいるという設定なのだけれども、宝塚化にあたって設定を変え、もともとのクリエイターの快諾も得たとのこと。そして今回の“心のキャラ”は、暁千星演じるパブロ・ガルシアに決定〜。カタコトで必死にみんなの会話に加わろうとするキュートさ、ジョージとエマの恋をばっちり助ける男気。齋藤吉正が己の男のすべてを注ぎ込んで指導したと思われる、スリムでマッチョで、それでいてエレガントな身のこなし。男役芸がしっかり磨かれてきたからこそ、暁千星の身体能力の高さ、ダンス力の高さが生きてくる。サッカーのシュートを決めるようなシュパッとした足の振りに、心にゴールを決められた思い。崇高な美の体現目指して頑張っていこう!
 ジョージの父ヴォルフガング役の鳳月杏は、ヒゲ姿もダンディの極み。息子にも妻にも話を合わせる二枚舌ぶりはちょっと問題、というか笑える限りだけれども、双方にちゃんと愛があって、しっかりしていないようでいて実は家族の確かな芯となっているんだな…と。そして、受けの芝居が巧い! 鳳月が絡むと、芝居のテンポがたちまち弾んで、さすが「芝居の月組」と感服。そんな月組ならではの軽妙な舞台を盛り上げるいま一人が、男役でありながら今回女役エルフィー・シュラットを演じている組長光月るう――このエルフィー、フランツ・ヨーゼフの愛人カタリーナ・シュラットの娘で、ヨハン・シュトラウス父とも息子とも踊った経験があり、何回結婚しているかわからず、ノーベル平和賞をほとんど受賞するところだったという、正体不明、年齢不詳の生き字引として、作品をかき回していく役どころである。そして、私の心の中で、月組好調バロメーターを務めているのは紫門ゆりやなのだが、今回は警官デニス役で大捕物の芯を務めて楽しくはじけていた。
 この舞台で宝塚を去る叶羽時は、――子供のころ持っていた海外のファッション・ドールを思わせるような、おすまし顔がキュートな娘役。今回演じているのは、フェリックスの憧れの同僚アンナ役。社交界デビューには欠かせない左周りのワルツを優雅に軽快に踊り、高らかに笑いを発して、踊れないフェリックスの心を大いにかき乱していく。快演!
2019-12-28 00:54 この記事だけ表示
 あの熱狂、あの一体感を忘れなきよう!
 あひるがかっこよく決めたいセリフは、「俺は君の故郷(ふるさと)になりたい」!
2019-12-06 22:00 この記事だけ表示
 『I AM FROM AUSTRIA』は、オーストリアの国民的シンガーソングライターであるラインハルト・フェンドリッヒの楽曲を用いたジュークボックス・ミュージカルである。しかし、残念ながら、もともとの曲を知っている日本人は少ない。そんな作品の、オーストリア以外の国での初めての上演に、宝塚月組が堂々挑んでいる。
 ウィーンを舞台にした“おらが町”ミュージカルでもある。ウィーンという街の楽しさを存分に伝えながら、――作品には、宝塚歌劇の魅力がはちゃめちゃに詰まっている。ウィーンの話なのに、みんなで華やかににぎやかにラテンのリズムで踊り狂うこととなるシーン、その疾風怒涛のカオス的な魅力に、――ああ、宝塚のこのアナーキーな楽しさを世界中の人々と分かち合いたい! と、エンジョイしすぎてあひる涙。潤色・演出を手がけた座付き作家・齋藤吉正の、音楽を扱うあざやかな手腕と、宝塚の魅力をこれでもかとてんこ盛りにしてくる愛情深さが光る。“芝居の月組”ならではの軽妙な掛け合いも大いに見どころ。いったい誰が“心のキャラ”に輝くのか、心中熾烈なデッドヒート。
 海外ミュージカル作品において、ヒロインを演じるトップ娘役には、ときに大いに負担がかかったりする。キャラクター的に、宝塚の娘役の領域を踏み越えていかなくては演じられなかったりするからである。今作のヒロイン、故郷オーストリアを捨て、ハリウッドでスター女優となったものの、自分自身を見失いつつあるエマ・カーターもそんな役柄の一つである。そして、美園さくらは、緊張感をもって役柄をしっかり演じ、トップ娘役としての責任を果たしたい! と謙虚に頑張れば頑張るほど、どんどん世界へと大きくはみ出していってしまう人なのである――雪組トップ娘役真彩希帆と二大面白エース。ウィーンの街自体が影の主役で、その故郷においてヒロインが自分を取り戻していく話なのだから、ヒロインが生き生きしていなければこの作品はそもそも生き生き成立しない。だから、それでいいのである(今日のGPでは、セリフ回しの音程が若干安定していないように感じられたので、そこは要改善)。
 珠城りょうは、世界に唯一無二の劇団であり、たった五組しかない宝塚歌劇団のトップスターを三年間きっちり務めてきた自信をもって、美園演じるエマをはじめ、周りの濃ゆいキャラクターたちを受け止めれば大丈夫! 誰がどう来ようが、とにかく受け止め続ける! そうしてどんと構えていれば、これまで以上に揺るぎない包容力が必ずやそこに宿る――雪組トップスター望海風斗も、面白すぎる真彩を受け止め続けているうちにどんどん男役芸が伸びていっている。ここは男役芸を大いに伸ばすチャンスである。珠城演じる老舗ホテルの御曹司ジョージが、終盤、銀橋でヒロインにかける言葉の中に、…これは、あひるもぜひかっこよく決めてみたい! と思う、とても素敵なセリフがあり。宝塚の男役になりたかった…という願いを露わにするたび笑われがちなあひるであるが、先日レーダーも壊れてパワーアップしたことだし、評論家としての幅をさらに広げるため、これからは内なる男役も磨いていくことにする!
2019-11-29 22:41 この記事だけ表示
 …明日海りおのいない宝塚歌劇が、今、私には、何だかうまく想像できない。
 何も、明日海りおがいなくなったら宝塚が瓦解してしまうとか、そういうことを言いたいわけではない。宝塚歌劇は明日からも続いていくだろう――そうでなくてはならない。けれども、それだけ、私の中で、宝塚歌劇というものが、明日海りおという存在と深く結びついているということなのだろうと思う。そして、それは何も、私一人の心中に限られるものでもないだろうとも。
 長年三井住友VISAカードのイメージキャラクターを務めていて、空港などで彼女の大きな写真が看板となっていたから、その、いかにも男役向きのルックスについて知っている人は、宝塚を知る人以外でも多いだろうと思う。そして、聴く者の心を天鵞絨の布でじわじわと包み込んでいくような、男役としてのあの深い歌声。
 明日海りおは、組んだ娘役の魅力を引き出し、これを見事輝かせる手腕の持ち主だった――花組トップスターとなってから、それぞれに個性の異なる4人のトップ娘役とコンビを組んだ。どのコンビが一番心に残ったか、それは、観る人それぞれによって変わってくるだろうと思う――クラシック・バレエ界で例えるならば、組んだ女性ダンサーの魅力をそれぞれ輝かせてきたダンスール・ノーブル、マニュエル・ルグリのような存在だった。
 例えば、二番目にトップコンビを組んだ花乃まりあ。彼女は今年の夏、『フローズン・ビーチ』の急な代役に抜擢され、大奮闘を見せた。退団しても、自意識すべてを吹っ飛ばしての、あのあっぱれなまでに痛快な芸風は、健在だった! もちろん、花乃自身の才能、そして、在団中、退団後の花乃自身の弛まぬ努力も大きい。しかし、宝塚歌劇という場において、花乃まりあという学年の離れた年若い舞台人に、一人の舞台人として真摯に向き合い、じっくり育てていったという意味で、明日海りおの功績は大きい。
 三番目にトップコンビを組んだ仙名彩世は、いわゆるトップ娘役候補のルートとなる新人公演主演を経験していない。けれども、芸の人だった。実力に加え、卓越した娘役芸を持っていた。その仙名は、娘役芸を極めた上で、心解き放たれたように新たな世界へと旅立っていった――来年5月には、『ミス・サイゴン』にエレン役で登場する。明日海りおという舞台人の相手役を務めたことが、舞台人・仙名彩世の転機となったことは間違いない。
 それにしても、花乃も仙名も実に個性が異なる――そして明日海は、トップコンビとして以外でも、多くの作品でさまざまな個性の娘役たちと組んだけれども、そのそれぞれと合っていたように思う。誰が隣にいても、明日海りおは揺るがず明日海りおであり、そんな明日海りおの隣にあって、娘役たちはそれぞれの個性において存在することができた。それは何より、明日海りおが全き芸の人であったからである。男役芸を極めんとするその道のりにおいて、何の躊躇もなかった。彼女は月組時代に準トップスター(トップスターではないが、主役を務めることのできる者)になった。その後、花組に移り、5年以上の長きにわたってトップスターを務めた。主役を務める立場となってから長い。けれども、彼女は常に、自身の男役芸を磨き続け、作品の質を上げ続けていくことを目指して、宝塚の舞台に立っていた――決して倦むことなく。その姿に、彼女と共に舞台に立つ者も、そしてその舞台を観る者も、心打たれ、感化されずにはいられない。深い敬意に値する。

 では、男役・明日海りおの個性はといえば、その核に迫るのはなかなかに難しい。
 個人的に抱くイメージで言えば、『源氏物語』なら夕霧なのである――生真面目で、一途なタイプ。けれども、さまざまな個性の娘役と組んで輝かせることができるという意味において、明日海が、『新源氏物語』の光源氏、『CASANOVA』のジャコモ・カサノヴァのような、いわゆるプレイボーイ・タイプの役柄をふられてきたことも合点が行く。基本的には優等生タイプながら、少々荒っぽい感じの役もできたし、ショー作品において妖(あやかし)のような存在に扮しても黒い個性を放っていた。――ひとところにイメージを留めることを嫌って、観る者を翻弄するような、そんな、気まぐれな魅力をも感じさせる。
 だからこそ、退団作品『A Fairy Tale』において、罪を犯したがために、その罪の青の色をまとい、深い霧に覆われたミスティ・ランドをただよい続けざるを得なくなった薔薇の精という役どころを明日海に宛書した座付き作家・植田景子の手腕は、大いに光るところである。罪と言っても大罪ではない――精霊たちには、人間の子供たちが成長して大人になる前に、彼らに“忘却の粉”を振りかけ、自らの存在の記憶を消さなくてはならないという掟があるのだが、その掟に背き、愛する少女に粉を振りかけなかったという罪である。繊細な美意識を全編にわたって貫き通したこの作品において、植田が展開するのは秀逸な宝塚歌劇論に他ならない。
 宝塚歌劇を退団すれば、男役は、男役ではなくなる。もちろん、OG公演のような場で男役として登場することもあるだろう。けれども、それは、宝塚における男役とはやはり違う。宝塚の男役という存在が成立するにあたっては、宝塚歌劇という場が不可欠である。宝塚を退団し、男役ではなくなった者たち、元男役たちの多くは、自身が舞台上においてずっと馴染んできた“性”と決別し、新たな世界、新たな舞台において、新たな“性”としての生を始めなくてはならない。その生がしっくり来るまでにどのくらいの時間がかかるのか、それは、人によって異なる。けれども、ある程度の時間がかかることは確かである。それまで、多分に自身の中の男性性と向き合ってきた人間が、今度は女性性と向き合っていかなくてはならないのだから。
 これは、元男役にとどまらず、観客にとっても大きな問題となってくる。それまでその人物の男性性の部分と多く向き合ってきた観客も、今度はその人物の女性性の部分と向き合わざるを得ない。もちろん、一人の人間、一人の舞台人として、好意の対象としてきた場合も多いだろうから、その場合には混乱が生じることは少ないだろう。けれども、その混乱が全くないケースというものもまた少ないだろう。精霊と“忘却の粉”というメタファーを用いて論じられているのは、宝塚歌劇におけるこの男役/元男役と観客とのこの、ときに危うい関係性なのである。“忘却の粉”を振りかけるのは果たして、舞台に立つ者、舞台を観る者、そのどちらなのか――。
 霧の中を彷徨い続ける青い薔薇の精の前に、かつて愛した、否、今も愛し続けている少女は、年老いた姿となって現れる。彼女は、自身が手がけた美しい絵本の中に、愛する薔薇の精の記憶を永遠に封印している。二人は互いを忘れることはない――決して。すべてが浄化され、明日海が、白い薔薇の精の姿に戻り、消えていくラスト・シーンには、――宝塚歌劇作品において初めて味わう、冴え冴えとした美しさがあった。儚いようでいて、強く、確かなもの――それは、宝塚歌劇による、宝塚歌劇の全き肯定である。その肯定を可能としたのは、明日海りおという男役の存在である。
 これまで男役を演じてきた自分/相手には、女性の役を演じるようになったら、こんな個性があった――互いにそこに魅力を見出すことができれば、舞台人と観客の間には好ましい関係が末永く続いていくのである。『A Fairy Tale』の劇中歌「Like a Fairy Tale」において、こう歌われるように。
「♪おとぎ話の終わりはきっと/Happy End」

 明日海りおが演じた中で、忘れられない役柄の一つに、『THE SCARLET PIMPERNEL』のショーヴランがある。かつての恋人であるヒロイン・マルグリットへの慕情を秘めた「君はどこに」をロマンティックに歌う明日海りおの中に――明日海が追い求める“永遠の少女”を見た――振り返ってみれば、明日海は、その“永遠の少女”に相対するだけの男役を、この長きにわたって創り上げてきたに違いなかった。
 今なら、わかる。明日海りおが男役として追い求めてきたその“永遠の少女”とは、彼女自身の中に在る、一人の少女なのである。
 だから。明日からは、その“永遠の少女”を、そのまま追い求めていってください――。
 新しい人生にも、貴女はきっと、これまで通り、根気よく取り組み続けていくのだろうと思う。新たな挑戦をしていく姿を観るのが、心から楽しみである。

 城妃美伶。
 6〜7月の赤坂ACTシアター公演『花より男子』でヒロインつくしを演じた彼女は、心揺さぶるような美しい瞬間を見せて――そして、初日前の囲み会見での質疑応答で、…ああ、これはもう退団を決めているのだな…と悟った。悲しいかな、その通りになってしまったけれども。
 『花より男子』についてなかなか書かずにいたのは訳がある。ドラマ化、映画化もされている人気少女漫画だが、私自身は読んだことがなく、今回の宝塚版の舞台で初めて接した――そして、作中描かれているいじめという名の“暴力”について、深く考え込んでしまい……――宝塚版ではそれでもだいぶマイルドになっているらしいのだけれども。私の世代と、下の世代とで、容認され得る/され得ない暴力表現の違いについて考えざるを得なかった……。例えば、かつては“愛のムチ”という言葉が容認されていた――『ベルサイユのばら』においても、衛兵隊長となったオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェは、部下である衛兵隊士たちを平手打ちにし、「心は自由だからだ!」と説く。だが、今の時代において、“愛のムチ”という名の暴力はもはや通用しないだろう――。
 いじめに決して屈することなく、己を貫き通すヒロインつくしを演じて、城妃美伶は実に溌溂とした魅力を見せていた。輝いていた――どうしてこれをもっと前からやらなかったんだ〜と……。得意の側転を見せるシーンで、城妃は、それはもうはちゃめちゃにはじけていた――リミッターがすっかり外れてしまっていた! 無防備なまでに全開になった、その野放図な生のエネルギーの美しさに、しばし茫然としていた……。
 退団公演での城妃は、自身の娘役像を確立して揺るぎない。『A Fairy Tale』での、庭園と薔薇と絵画と、美しいものを愛する、一人の貴婦人――楚々としながら芯のある女性を演じて、存在感を発揮する。レヴュー『シャルム!』の地底のキャバレーのシーンでは、快活かつセクシーな魅力を放って踊る美女に扮し、あざやかな側転も披露してくれた。

 乙羽映見は、『A Fairy Tale』『シャルム!』共、澄んだ歌声を聴かせて大活躍。『A Fairy Tale』で演じた“Mysterious Lady”は正体不明の貴婦人、その実、自然界の女神デーヴァという役どころなのだが、神秘的かつ高貴なムードをただよわせる好演である。
 白姫あかりは、ダンサーとして大いに活躍、エレガントかつシャープな動きで観客を魅了してきた長身の娘役である。『A Fairy Tale』で演じたのは空気の精クラルス。まさに空気を操るような、美しい腕の動きがいつまでも心に残る。
 
 芽吹幸奈。
 昨年、花組で上演された『ポーの一族』について記した文章<すべての穢れなき者たちへ〜宝塚花組『ポーの一族』>(http://daisy.stablo.jp/article/458293555.html)は、彼女のブラヴァツキー夫人の演技なくして、私の内からこの世に生まれ出づることはなかった。そして、ブラヴァツキー夫人は、漫画版には登場しない、座付き作家・小池修一郎による宝塚版のオリジナルのキャラクターである。『A Fairy Tale』が『ポーの一族』に見事連なる作品であることを鑑みるに、娘役・芽吹幸奈の功績には特筆すべきものがある。
 『A Fairy Tale』で演じたのは、精霊を愛するヒロインの少女を温かく見守り続ける養育係メアリー・アン。場面場面ごと、仕草と声色に確かな年齢を重ねる演技が、作品世界に奥行きを与える。『シャルム!』のエトワールの絶唱――宝塚の舞台で出逢えなくなるのが、とてもさみしい。
2019-11-24 00:11 この記事だけ表示
 最初に金メダルを獲得したソチ五輪でも滑ったショートプログラム「パリの散歩道」を披露したのだけれども、…これが、前夜の田中刑事のフリースケーティングの演技に続き、ものすごく強引な大人の男の色気満載で。ここまでぐいぐい来る感じ、久しぶりに味わったな…と。
 それで思った。
 最近、こういう感じの、「俺のものになれ!」的な芸ができる宝塚の男役、減ってやいませんか?
 例えば、先日、台風一過の日に宝塚を去った前星組トップスター紅ゆずるや、現在退団公演中の花組トップスター明日海りおのように、それとはまた異なるところで自分の個性、芸風を確立したということならば、それはそれですばらしいことである。持ち味の違いだってある。時代の変化、求められる男役像の変化も多少はあるのかもしれない。でも、何だか最近、何が自分に合っているのか、あれこれ試みることすら行なわれなくなっているような…。二人の男役が一人の女を取り合うみたいな芝居やショーの場面も、「俺のものだ!」「いや、俺のものだ!」という、男役芸の上での競い合いがないと、成立しなくなってしまうのでは?
 背中で語れる男役も少ないような。フィギュアスケートの中継を観ていると、演技のときだけではなくて、演技前の、これから闘いに挑もうとしている男子選手たちの背中に覚悟を感じて、ぐっと来たりする。これだよ、これ! と思う。宝塚の男役にもこういう背中を見せてほしい! 背中で語れる男役が少なくなってしまうと、芝居のラストで、男が一人、背中を見せて去っていく…みたいな演出も、できなくなってしまうではないですか。
 紅ゆずるなんて、…宝塚の男役たるもの、(フィギュアスケート選手含む)生身の男にかっこよさで負けるわけにはいかない! と客席の男性客に食ってかかるくらいの気迫で舞台を務めていて、それが、退団公演のあの黒燕尾服姿に結実したわけで。今、一番ぐいぐい来ることのできる男役が、羽生結弦選手のファンとして知られる雪組トップスター望海風斗だというのも、何だか腑に落ちるものが。その望海ならば、作品に必要な男の哀愁を表現できると、座付き演出家小池修一郎は、かねてから熱望していた映画『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の宝塚化に踏み切ったわけで(宝塚大劇場2020年お正月公演)。
 何もフィギュアスケートに限らない。何でも参考にして吸収して芸を磨いてくれれば、それでかまわないのですが。宝塚の男役よ、奮起せよ! 最近ぐいぐい来るのは娘役の方が断然多いぞ!
2019-10-30 00:57 この記事だけ表示
 10月12日の土曜日、朝からずっと、台風が怖くて、何も手につかず、おろおろしていた――買い出しや防災関係のあれこれはすべて夫がしてくれた。こういうとき、本当に役に立たないな、我ながら――。それが。一番暴風雨が激しくなった夜になって、星組についての文章を書き始めたら、驚くほど落ち着いて――。
 紅ゆずる&星組パワー!
 最後に観劇したのは9月の半ば。そのとき、…ああ、愛をもらったな…としみじみ思ったのである。『GOD OF STARS-食聖-』で、“真・料理の聖人コンテスト”のための食材を求めてさすらう主人公ホン(紅ゆずる)は、遭難しかけて、料理下手のアイリーン(綺咲愛里)が焼いた、何が入っているかよくわからない恐ろしいクッキーを食べて、アイリーンの父(天寿光希)と二人、何とか難を乗り越える。すべては黙劇のそのくだり、客席に向かってハートのクッキーを掲げる、紅ゆずるのそのお茶目な姿に。音楽にのって宇宙の果てまで飛んでいくレビュー『Éclair Brillant』のフィナーレ、飾りのない黒燕尾服で一人舞台に立つ、紅ゆずるのその雄姿に。
 こんな立派なトップスターになって卒業していくとは思わなかった!!!
 最後の最後のチャンスでめぐってきた新人公演主演、『THE SCARLET PIMPERNEL』でのシンデレラ・ストーリー。…今でも、あのとき、長い手足をへにゃへにゃ動かして、主人公パーシー・ブレイクニーを熱演していた姿が思い浮かぶ。男役を、いかにも男らしいタイプと、男装の麗人タイプに分けるならば、紅ゆずるは男装の麗人系である。『太陽王〜ル・ロワ・ソレイユ〜』で演じたムッシューは、ソフトで中性的な姿が、少女時代のアイドル、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージのように麗しかった――私は子供のころから、性差を超えてかぶいている存在に強く心ひかれてきたようである――。ただ、ストロングなイメージはなかった。それが、あんなにも芯のしっかりとした存在となって、大劇場の舞台に一人立っていて――。
 星組トップスターに就任してから主演した作品も、どれも心に深い印象を残すものばかり。マサラ・ミュージカルあり、ブロードウェイ・ミュージカルあり、“あの世”ミュージカルあり、アニメ化された人形劇の舞台化あり、宝塚の過去の名作の復刻ありと、盛りだくさんに色とりどり。なかでも代表作を挙げれば、“あの世”ミュージカル『ANOTHER WORLD』と、退団作『GOD OF STARS-食聖-』になるだろう。忘れちゃいけない、“紅子さん”もいた。トップスター紅ゆずるを追いかけて、台湾公演にまで行ってしまった劇場案内係(という設定の、紅扮するユニークなキャラクター)。最近は、夢が見られない、壊れるとかいう理由で、男役の“女装”(というか、そもそもの女性としての姿)に対する抵抗心が明らかに昔より高まっていて、日常でもずっと女装して過ごしていたという江戸時代の女方じゃあるまいしと私などは思うのでありますが、トップスターがここまではっきりと女性の姿で出てきて、ネイティブの関西弁で笑いを取って、でも、夢は壊れるどころかますます大きくふくらんでいって…。
 なぜって。私は、宝塚退団後の紅ゆずるが、これまで以上にますますおもろい人生を歩んでいって、「宝塚のトップスターに、こんなにおもろい人がいるんだ…!」という笑撃、衝撃を与えて、「こんなにおもろい人がトップスターを張っていたということは、宝塚って、想像していたよりもっとおもろいところなのかもしれないな…」と、世間の考えを変えていく、そんな明るく楽しくおもろい未来を夢見ているからです。
 宝塚歌劇団は、関西発祥の劇場文化である。だから、おもろいところもいっぱいあってほしい。何も、五組で必ず一人とまでは言わないけれども、定期的に関西出身のトップスターが生まれてほしい。そう願うものだから。
 何だか。思い出しても思い出しても、楽しくおもろかったことばかりが浮かんでくる――つらいときだってあったと思う。でも、貴方は決してあきらめなかった。宝塚への愛を、パワーに、笑いに変えて、絶望の淵から這い上がってきた。そして、深く大きな愛を宝塚の観客に与えるまでになった。そのことが、私は心からうれしい。そんな姿をこれまでずっと観てこられたことがうれしい。
 …舞台と、客席と。舞台人と、評論家と。一緒に頑張ってきた存在だと思うから、…そりゃあ、こうして書いていて、今、私の目には涙が浮かんでいて…。でも、これからも、そのおもろい人生の道行きを見守っていきたい! と思うと、何だか楽しくなってきて。
 在団中に「徹子の部屋」と「ブラタモリ」を制覇した人だから、卒業後の進路についてはまったく心配していません。身体の力が抜けた感じの笑いというところで、シアターコクーン芸術監督に就任した松尾スズキの笑いの世界とも親和性がありそうな。
 おもろい人は、人生、おもろいことを見つける才能に長けた人。大丈夫、きっと、宝塚歌劇にも匹敵するような、おもろいことを見つけていける! この先の道でも、おもろい人、紅ゆずるとたびたび相まみえんことを!
2019-10-13 01:41 この記事だけ表示
 紅ゆずると綺咲愛里、星組トップ・コンビにとって初めての大劇場レビュー作品となった『Bouquet de TAKARAZUKA』の、フィナーレ近くのダンス・シーン。紅の後について踊っていく綺咲の、紅の動きと自分との動きとをどこまでもぴったりシンクロさせようとする、並々ならぬ努力がうかがえて、その長い腕が宙を舞う様を、…美しいな…と思って見惚れていた。その懸命さは、親ガモについていく子ガモをも思わせて、何だか微笑ましくもあった。
 紅ゆずるは、関西人である。おもろい人である。そんなトップスターの相手役を務めるということは、ある程度おもろくなくてはならず、しかし、あんまりコンビでおもろくなりすぎてしまうとそれもまた困ったものであって、そのあたり、やはり関西人でもある綺咲愛里の、ちょっと澄ましているようでいて、でも、やるときゃやるわみたいな匙加減、按配は、実によかったと思うのである。
 その片鱗がうかがえたのが、あの世を描くRAKUGO MUSICAL『ANOTHER WORLD』。現世に帰ってきたヒロインが豹変するシーン、…実はけっこうド迫力の人なんじゃあ…と思わせるあたり、おもしろかった。併演のショー『Killer Rouge』も、紅い衣裳がよく似合って、攻めてくる美少女像を確立。
 『GOD OF STARS-食聖-』のヒロイン、アイリーンは、そんな綺咲愛里の好ましさの集大成のような役どころである。ピンクのベロアのジャージ姿でカンフーを披露して大暴れし、料理はド下手、でも、彼女の一途さ、けなげさが、主人公をはじめ多くの人々の心を動かしていく。フリフリのアイドル風コスチュームも、美脚が映えて◎。ピンクとベージュと黒の三色使いが印象的なワンピースに同じ配色のヒール、そこにやはり同系統の配色に金糸もあしらわれたコートを羽織るシーンも、着こなしが見事だった(衣装は有村淳)。主人公ともビシバシ大いにやり合う役どころ。劇中でもそのトーク力の高さに(役柄上だが)言及される紅相手に、舌戦を繰り広げる。こんな役柄もできるようになったんだな…と、感慨深い。
 初日前囲み会見でも、紅さんについていく! との想いがいつも伝わってきて、微笑ましかった。相手役、舞台人の後輩として、注がれた想いをちゃんと受け止めて、自分という花を大きく花咲かせて。トップお披露目作で挑戦した『THE SCARLET PIMPERNEL』のヒロイン、女優のマルグリット役あたり、今また観たいものだな…と思ったりもする。…もし、道が、10月14日以降も続いて行くのだとしたら、またどこかで逢えますね!
2019-10-13 01:37 この記事だけ表示
 作・演出の小柳奈穂子は、公演プログラムで、『GOD OF STARS-食聖-』について、「過去に見たあらゆる香港映画のテイストをごった煮にした作品を作ってみることにしました」と記している。先日、ロンドンに行く飛行機の中で、シンガポールの超富豪たちが出てくる映画『クレイジー・リッチ!』を観ていて、…おお、この作品もごった煮にされているぞ〜…と。『クレイジー・リッチ!』に出てくる超富豪の家では、家族をつなぐ絆として、餃子作りの話が出てくる。『GOD OF STARS-食聖-』でも、ヒロイン・アイリーン(綺咲愛里)と、別れ別れになった父、母とをつなぐのは、餃子。その餃子をもって、主人公の料理人ホン(紅ゆずる)は“真・料理の聖人コンテスト”に挑み、勝つ。ホン曰く、「何もかもを優しく包み込」む、餃子。
 その言葉に思う。宝塚歌劇は“餃子”である、と――世界中のさまざまな文化を呑み込み、包み込み、他のどこにもない舞台作品として提示する、日本独自の芸術文化。
 小柳奈穂子は、なかでも近年、今までにないジャンルやタイプの“包み込み”に成功してきている座付き作家である。『Shall we ダンス?』や『幕末太陽傳』といった日本映画。『ルパン三世-王妃の首飾りを追え!-』については、今年四月に亡くなった『ルパン三世』原作者のモンキー・パンチ氏が、「この話を劇場版映画でもやったらいいのに〜」と初日前の囲み会見で話していたことが忘れられない。
『オーム・シャンティ・オーム-恋する輪廻-』の原作はインド映画、台湾公演で上演された『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』の原作は、台湾の人形劇「布袋劇」をベースにした同名のテレビ人形劇。この二作品とも、主演を務めたのは星組トップスター紅ゆずるだった。
 最近、2.5次元ミュージカルが大流行…という話をよく聞くけれども、それを言ったら、宝塚歌劇における『ベルサイユのばら』初演は1974年である。45年前である。年季が入っている。そのときは、漫画を宝塚でやるなんて…と、批判の声もあったという。けれども、『ベルサイユのばら』は空前のヒット作となり、存亡の危機にあった宝塚歌劇を救った。小柳奈穂子の作劇にもみられるように、新たなジャンルにも次々と手を伸ばしてこれを呑み込み、包み込み、地平を広げていこうとする貪欲な姿勢が、宝塚歌劇の歴史を紡いできた。そして、これからも。
 それにしても、「小林寺」のくだりには笑ってしまった。主人公ホンは、“真・料理の聖人コンテスト”に勝つため、「中華料理学院」に“満漢全席”の修行に行く。と、その住所にあったのは「小林寺」。「仏の座にして伝統ある武術の始祖」と聞いて、「まさか…ここは…少林寺⁉」と驚くホン。「違います、よく看板をご覧なさい」と言われて見れば、「小林…寺‼」――このとき、看板の字を映し出している映像(奥秀太郎)で、「小」と「少」の違い、すなわち「ノ」が、「ありませんよ〜」とばかりに点滅するのがツボ。
 すなわち、料理の奥義を修めることのできる「中華料理学院」とは、小林寺の厨房のことなのだった。ここでホンは行方をくらましていたアイリーンの父(天寿光希)とめぐり合い、彼がかつてアイリーンに作っていた餃子を学んでコンテストに挑む。奥義を修める「小林寺」――宝塚歌劇の創始者、小林一三の名前を連想せずにはいられない。そして、思い切った設定にするな、やるなあ…と思ったのは、この公演にまさに小林一三翁の玄孫が出演していたから。今年四月入団、稀惺かずと――彼女が宝塚音楽学校に合格したとき、とある週刊誌の取材を受けて、宝塚ファンがいかに一三翁を尊敬しているか、彼女の父親ばりに熱く語ったところ、一行も記事にならなかった過去をもつあひる(笑)――今回の舞台で、…おお、入団一年目なのにやるなあ…と思うことがあり――。『ルパン三世 -王妃の首飾りを追え!-』での『ベルサイユのばら』パロディに次いで冴え渡る小柳の剛速球。
 星組トップ・コンビ、紅ゆずると綺咲愛里の退団作が、泣けて笑える楽しく明るい物語でよかった! と心から思う。小柳は前述の二作に加え、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』でも紅の主演作を担当している。小柳にとって、紅ゆずるという男役は、新たなジャンルへと挑むモチベーション、インスピレーションを与えてくれる存在でもあったのだろうと思う。『GOD OF STARS-食聖-』においても、小柳の『オーム・シャンティ・オーム』をはじめ、二番手時代、トップ時代に紅が出演してきたさまざまな作品が包み込まれていて、この作品全体がさながらサヨナラショーのような趣。…ああ、こんな作品もあった、この役柄も楽しかった…と、いろいろ振り返りながら泣いたり笑ったりして、未来へと続くハッピーエンドがあって…。二人の門出にふさわしい。
 料理下手であるアイリーンが作った、壮絶な味がするらしき餃子。「パパが死んだらママが悲しむだろう」「若いもんにはまだ先がある。ここは老い先短いワシがいこう」と押し付け合う際の、テンポよい応酬。そしてそして、食べたホンの「七色の雲のかかった山の上に日光菩薩と月光菩薩が見えた」との答えに、「餃子はそんな生死の先をさまようような危険な料理じゃない」「餃子には入れていいものと悪いものがあるのよ」とさらに笑いのダメ押し――そこからホンは、ホーカーズ(屋台)の様々な食材を自分で包んでゆであげる“パラダイス餃子”を思いつくわけだが。“真・料理の聖人コンテスト”からして「料理の鉄人」のパロディであって、ちゃんと、あの番組のテーマソングを思わせる音楽(を担当しているのは青木朝子、そして、ヒャダイン)が流れる。このあたり、観ていて、…小柳奈穂子が澤瀉屋の歌舞伎パロディ作品に参戦したらすごいことになりそうだな…と思うあひる。
 “真・料理の聖人コンテスト”へとつながっていくくだりは、月組トップ・コンビ霧矢大夢&蒼乃夕妃の退団作『エドワード八世』(作・演出:大野拓史)の、バッキンガム宮殿でのジョージ五世のジュビリー・ボールのシーンに匹敵する名場面。銀橋とセリと盆、宝塚歌劇の舞台装置がフル活用され、これまでに流れてきたさまざまなナンバーが同時に、しかし調和するように流れて展開される、めくるめくスペクタクル――。
 ホンは実は、この世界に落ちてきた魔界の皇子、紅孩児(『西遊記』に登場する神仙の一人)であった。終幕、観世音菩薩に許されたホンは、善財童子と名乗って現世でアイリーンと共に生きることとなる。ホンとアイリーンのパラダイス・ホーカーズには、人間だけではなく、魔界からの客人からも大勢訪れ賑わい…という様に、最近ハマっているオンラインゲーム「ゲゲゲの鬼太郎 妖怪横丁」――商品を販売して妖怪を集め、その力を借りてボス妖怪を倒すゲーム――の横丁風景を思い出さずにはいられないあひるであった。小柳奈穂子もゲーマーと聞く。今後の“餃子”の中身にも期待。

 アイリーンのホーカーズのお店「愛麗飯店」のデコボコ店員コンビ、レン(如月蓮)&マオ(麻央侑希)の二人の男役が、本作で退団する――紅ゆずるの役名は「ホン」、綺咲愛里の役名は「アイリーン」と、このあたりのネーミングも実に愛にあふれていると私は思う。如月蓮は、紅が(自発的に)結成したユニット「紅5」のメンバーの一人、ノーブルな顔立ちで醸し出すほっこりした味が魅力。麻央侑希は、プロ野球の名監督として鳴らした広岡達朗氏の孫だが、祖父とは対照的な、突き抜けたような明るさを、退団公演にてフルに発揮。今回の公演では、ダンス・シーンでも長身を大いに活かして踊っていて、…正直、もったいなさすぎる!
2019-10-13 01:35 この記事だけ表示
 現代シンガポールを舞台にした“アジアン・クッキング・コメディ”は、楽しくって、大いに笑えて、それでいて、実は、深い。作・演出の小柳奈穂子が、笑いに包んでちょっと照れくさそうに差し出す宝塚愛が味わい深い。「小林寺」(「こばやしでら」。「少林寺」にあらず!)で奥義を極めようとするあたり、大爆笑。ヒャダイン&青木朝子の手による音楽も、めくるめく上質なポップス・ワールド。星組が誇るトップコンビ、紅ゆずる&綺咲愛里の最後の作品が快作であることを心から幸せに思う。来週、海外旅行を控えてあわただしくしているのだけれども、…あれ、旅行先、シンガポールにすればよかったかな? と――実は、自分の前世はシンガポールの人だったんじゃないかな…と思っており。
 シンガポール・グルメの連発に、観ていて大変お腹が空く作品です。ご覧になる方はくれぐれも空腹にご注意を〜!
2019-09-14 23:58 この記事だけ表示
 3月に雪組がシアターオーブにて上演した『20世紀号に乗って』は、ハワード・ホークス監督の映画『特急二十世紀』を基にしたブロードウェイ・ミュージカル。時は1930年代、今は落ち目の演劇プロデューサーと、彼の元カノである女優、彼女の今の恋人である俳優らが、シカゴからニューヨークへと向かう豪華列車「20世紀号」に乗り合わせて巻き起こる大騒動を描いたコメディである。シアターオーブでは海外ミュージカルの招聘公演が数多く上演されているが、雪組版『20世紀号に乗って』も、トップ・コンビ望海風斗&真彩希帆の図抜けた歌唱力、そして芝居心に富んだ雪組生&専科から参加の京三紗(裏ヒロイン!)の活躍によって、そんな海外ミュージカル公演の一つに接しているような感覚を覚えた。
 なおかつ、潤色・演出の原田諒は、今年105周年を迎えた宝塚歌劇団、その歴史にオマージュを捧げる趣向を凝らしていたのが実に心憎い。冒頭、パンツのサイドにラインの入ったポーター四人が登場する。それだけで、これは、宝塚歌劇が日本で初めて上演したレビュー『モン・パリ』(1927)のラインダンスのオマージュだ! と、心浮き立つものを感じる――『モン・パリ』では、パンツを汽車の動輪に見立てた、本邦初のラインダンスも大きな話題を呼んだ。宝塚で海外ミュージカルが上演される際、本編の後にショーがつくのも楽しみなところだが、この作品では、そのショーの部分で、トップ・コンビも加わっての大ラインダンスが披露された――そこに、宝塚のラインダンスの意味を見る思いがした。宝塚に入団した者は誰もが皆、ラインダンスからスタートする。一糸乱れぬ踊りは、全員で心を合わせてこそ可能となる。優れたトップスターほど、組を率いる箇所と、組の中の一人に戻る箇所と、その切り替えが上手い――そのことを私は、退団し、女優となってからの元トップスターの舞台からも、よくよく学んできたように思う。この場面では真ん中としての役割を果たす。この場面では組の、舞台の一員に戻る、その切り替えがつまりは上手いわけである。私は、望海風斗がそのようなトップスターへと躍進したことを、心からうれしく思った。もともと高かった歌唱力にぐんと包容力が加わり、厚みが増した。相手役の真彩希帆も歌声に艶が出て、ショースターとしても健闘。コメディ作品も行けるコンビであることを大いにアピールした。
 東京宝塚劇場公演『壬生義士伝』は、浅田次郎の同名小説が原作である。浅田作品ではコメディタッチの『王妃の館』(2017)が宝塚でも上演され、客席を爆笑の渦に巻き込んだが、制作発表会での浅田氏の話によれば、『王妃の館』と、幕末の下級武士の悲劇を描く『壬生義士伝』は同時進行で書かれた作品であるとのことで、一人の作家の中に渦巻く内的世界を知る上で非常に興味深いものがあった。望海が演じる吉村貫一郎は、貧困に苦しむ家族を救うため、盛岡の南部藩から脱藩して新選組に加わり、家族を養うために人斬りを続ける――という役どころである。故郷への想い。家族への想い。望海が歌う主題歌を聴いていると、――私自身のルーツの一つでもある東北という地方、その厳しい自然、そこに生きる人々の忍耐強さに自然想いが飛んでゆく――私の母方の祖父の家も、もともとは武士であったのが、どこかの段階で足袋職人へと転じたそうである――。のだが。脚本上、主人公の生き様、その一貫性が少々わかりづらく…。雪組生は日本物作品に強いところを見せていただけに、残念に思った。専科から出演の凪七瑠海も、同期の望海と絡まない役どころだったのがもったいないような…。円熟期にある男役二人の芸のぶつかり合いを見たかった。真彩は、南部に残った吉村の妻と、新選組隊士となった吉村を見初める京都の大店の娘、つまりは吉村を取り合う者同士に挑戦。辛抱強い女性と、勝ち気な女性、二役の演じ分けで力を発揮した。ショー『Music Revolution!』はエネルギッシュなダンスシーン満載。黒燕尾服の踊りもびしっと揃うところは雪組ならでは。
 昨年あひる新人賞堂々受賞の真彩希帆だが。舞台人として、…今、若干迷いの時なのかな、と感じる。それでいいと思う。迷って、あれこれ試して、その中に自分の道を見出していけばいい。雪組全体としては、『ファントム』のころと比べて、かなり迷いが消えてきた。みんな、技術は高いのだから、それをどう活かしていくか、自分自身のその試行錯誤の中にこそ、今後の明るい展望がある。大丈夫! 立派なトップスターとなった今の望海風斗なら、全員まとめて受け止められる!
2019-09-01 00:00 この記事だけ表示