藤本真由
(舞台評論家・ふじもとまゆ)
1972年生まれ。
東京大学法学部卒業後、新潮社に入社。写真週刊誌「FOCUS」の記者として、主に演劇・芸能分野の取材に携わる。
2001年退社し、フリーに。演劇を中心に国内はもとより海外の公演もインタビュー・取材を手がける。
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bluemoonblue@jcom.home.ne.jp まで。
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宝塚
1月に東京国際フォーラムホールCで上演された花組『NICE WORK IF YOU CAN GET IT』は、2012年初演のブロードウェイ・ミュージカルである。1926年に初演された『Oh, Kay!』を下敷きにしていて、ジョージ&アイラのガーシュウィン兄弟の有名曲が次々と飛び出す楽しい作品。1920年代、禁酒法時代のニューヨークで、プレイボーイのお坊ちゃまと酒の密売人の女性とが出逢って織り成す恋模様を描いている。非常に現代的でおもしろいなと思ったのは、ラストだけに現れて物語のすべての問題を“デウス・エクス・マキナ”の如く解決するのが、主人公ジミー(柚香光)の母親であるミリセント(五峰亜季)であるということなのだった。
話を2019年9月に戻す。私は母親とロンドンに旅し、ウエストエンドの劇場を訪れていた。『ビッグ』や『レ・ミゼラブル』といったミュージカルを観るうち、…もっと女性が華々しく活躍する作品が観たいな…と思った――女性だけですべての役柄を演じる宝塚歌劇団を見慣れている身としては、何だか物足りなく感じられたのである。それで、OLたちが横暴上司をとっちめる『9時から5時まで』や、今年3月、日本でも上演された『ウェイトレス』を観に行った。『9時から5時まで』の客席は見事に女性客が多く、イギリスでも現状に不満を覚える人たちが多いことに気づかされたし、偶然あのピアース・ブロスナンと同じ日に観ることになった『ウェイトレス』は、“ジェームズ・ボンド”の臨席にざわめく客席を結果的に感動の渦で包み込むこととなった素晴らしい舞台だった。のだが。
「どうして、どっちの作品も、最後にすべての問題を解決するのは男の人なんだろうね」
母にそう言われて、一瞬言葉に詰まったのである。『9時から5時まで』は「神のように偉い」と作中言われてきた男性CEOが“デウス・エクス・マキナ”なのだが、それまでアンサンブルでちょこちょこ顔を見せていた人に演じさせるのなら、いっそのこと、声だけの存在にして、それは“神の意思”であるという風にも感じられるようにできなくもないな…と。『ウェイトレス』はブロードウェイ史上初めて、作詞・作曲、脚本、振付、演出の4担当が女性という作品である。父及び夫のDVに悩まされてきたヒロインが自分自身で大きな決断を下した後に訪れるサプライズの幸せが、レストランの老オーナーによってもたらされるという展開で、ヒロインのその決断がすがすがしいだけに、…ああ、頑張って生きている姿を、見ている人は見てくれているんだな…と本当にほっこりする流れではあるのだが、ラストのハッピー・シーンに大きく寄与しているのが老オーナーの遺言であることは言を俟たず。
そんな思い出があったので、『NICE WORK IF YOU CAN GET IT』の新機軸ぶりがなおさら響いたことだった――正直に言えば、一幕の割と早い段階で、…そういうオチなんだろうな…と読めてしまったのだけれども。ミリセント役の五峰亜季はいつまでも若々しい声と風貌でさすがの貫録。
そして、この作品で大開花を遂げた人がいる。
熱狂的な禁酒法支持者、ウッドフォード公爵夫人を演じた鞠花ゆめ!
花組には、“タンバリン芸人”として名を馳せた天真みちるという男役がいた――ちなみに、あひる新人賞第一号。代表作は『はいからさんが通る』(2017)で演じた車引きの牛五郎。牛五郎を演じるために生まれてきた! としか思えないほどのなりきりぶりで、日本青年館ホールの舞台に登場した瞬間、大爆笑――離れたところで観ていた人に、「藤本さん、笑ってましたよね」と聞き分けられてしまうほどであった。それよりさらに数年前のことである。
「天真みちる、“女装”の場面あったよね?」
「あったあった!」
という会話を、一緒に観劇していた夫と交わしたことがあった。しかし。またその公演を観に行ったところ、“女装”していると思った天真はその場面に男役として出演していた。じゃあ、あれは誰…? と思いきや、それは、天真と同期の鞠花ゆめだったのである。その日から、彼女の開花を心待ちにしていた。ピシッと上手い人だけに、役柄の造形がちょっと怖くなってしまうきらいなきにしもあらずだったのだけれども、『NICE WORK IF YOU CAN GET IT』では、厳しく禁酒法に反対しながら、うっかり口にしてしまったお酒でついつい女心がほどけてしまう役どころを、コミカルに、そして大いに共感を誘う人物としてチャーミングに演じ切った。ヒロイン・ビリー(華優希)の密売仲間クッキー(瀬戸かずや)と、言い争いばかりしていたのに、…これって、実は恋? と結ばれるあたりも実におかしく微笑ましく。
柚香光は、この作品での役どころのように、ちょっとセクシーなネタがあってもさらっと上品にこなせるあたりが男役としての特性、強みである。『花より男子』でも、ヒロインと同じ部屋に泊まることになりながら、…お前のこと、大切に思うからこそ手が出せないんだよ〜! というあたりの心理描写が巧みだった――ここは、女性からすれば胸キュンポイントの一つだと思うが、男性からすれば見解が分かれるあたりであろうとも思う。やはりセクシーなネタを宝塚の舞台にアジャストして品よくコミカルに提示できる汝鳥伶扮するベリー署長との場面が非常に楽しく。ガーシュウィンの名曲を歌い踊る上ではプレッシャーもあったことと思うが、華優希が体当たりでヒロイン・ビリーに挑む姿にも好感がもてた。
(1月12日13時の部、東京国際フォーラムホールC)
話を2019年9月に戻す。私は母親とロンドンに旅し、ウエストエンドの劇場を訪れていた。『ビッグ』や『レ・ミゼラブル』といったミュージカルを観るうち、…もっと女性が華々しく活躍する作品が観たいな…と思った――女性だけですべての役柄を演じる宝塚歌劇団を見慣れている身としては、何だか物足りなく感じられたのである。それで、OLたちが横暴上司をとっちめる『9時から5時まで』や、今年3月、日本でも上演された『ウェイトレス』を観に行った。『9時から5時まで』の客席は見事に女性客が多く、イギリスでも現状に不満を覚える人たちが多いことに気づかされたし、偶然あのピアース・ブロスナンと同じ日に観ることになった『ウェイトレス』は、“ジェームズ・ボンド”の臨席にざわめく客席を結果的に感動の渦で包み込むこととなった素晴らしい舞台だった。のだが。
「どうして、どっちの作品も、最後にすべての問題を解決するのは男の人なんだろうね」
母にそう言われて、一瞬言葉に詰まったのである。『9時から5時まで』は「神のように偉い」と作中言われてきた男性CEOが“デウス・エクス・マキナ”なのだが、それまでアンサンブルでちょこちょこ顔を見せていた人に演じさせるのなら、いっそのこと、声だけの存在にして、それは“神の意思”であるという風にも感じられるようにできなくもないな…と。『ウェイトレス』はブロードウェイ史上初めて、作詞・作曲、脚本、振付、演出の4担当が女性という作品である。父及び夫のDVに悩まされてきたヒロインが自分自身で大きな決断を下した後に訪れるサプライズの幸せが、レストランの老オーナーによってもたらされるという展開で、ヒロインのその決断がすがすがしいだけに、…ああ、頑張って生きている姿を、見ている人は見てくれているんだな…と本当にほっこりする流れではあるのだが、ラストのハッピー・シーンに大きく寄与しているのが老オーナーの遺言であることは言を俟たず。
そんな思い出があったので、『NICE WORK IF YOU CAN GET IT』の新機軸ぶりがなおさら響いたことだった――正直に言えば、一幕の割と早い段階で、…そういうオチなんだろうな…と読めてしまったのだけれども。ミリセント役の五峰亜季はいつまでも若々しい声と風貌でさすがの貫録。
そして、この作品で大開花を遂げた人がいる。
熱狂的な禁酒法支持者、ウッドフォード公爵夫人を演じた鞠花ゆめ!
花組には、“タンバリン芸人”として名を馳せた天真みちるという男役がいた――ちなみに、あひる新人賞第一号。代表作は『はいからさんが通る』(2017)で演じた車引きの牛五郎。牛五郎を演じるために生まれてきた! としか思えないほどのなりきりぶりで、日本青年館ホールの舞台に登場した瞬間、大爆笑――離れたところで観ていた人に、「藤本さん、笑ってましたよね」と聞き分けられてしまうほどであった。それよりさらに数年前のことである。
「天真みちる、“女装”の場面あったよね?」
「あったあった!」
という会話を、一緒に観劇していた夫と交わしたことがあった。しかし。またその公演を観に行ったところ、“女装”していると思った天真はその場面に男役として出演していた。じゃあ、あれは誰…? と思いきや、それは、天真と同期の鞠花ゆめだったのである。その日から、彼女の開花を心待ちにしていた。ピシッと上手い人だけに、役柄の造形がちょっと怖くなってしまうきらいなきにしもあらずだったのだけれども、『NICE WORK IF YOU CAN GET IT』では、厳しく禁酒法に反対しながら、うっかり口にしてしまったお酒でついつい女心がほどけてしまう役どころを、コミカルに、そして大いに共感を誘う人物としてチャーミングに演じ切った。ヒロイン・ビリー(華優希)の密売仲間クッキー(瀬戸かずや)と、言い争いばかりしていたのに、…これって、実は恋? と結ばれるあたりも実におかしく微笑ましく。
柚香光は、この作品での役どころのように、ちょっとセクシーなネタがあってもさらっと上品にこなせるあたりが男役としての特性、強みである。『花より男子』でも、ヒロインと同じ部屋に泊まることになりながら、…お前のこと、大切に思うからこそ手が出せないんだよ〜! というあたりの心理描写が巧みだった――ここは、女性からすれば胸キュンポイントの一つだと思うが、男性からすれば見解が分かれるあたりであろうとも思う。やはりセクシーなネタを宝塚の舞台にアジャストして品よくコミカルに提示できる汝鳥伶扮するベリー署長との場面が非常に楽しく。ガーシュウィンの名曲を歌い踊る上ではプレッシャーもあったことと思うが、華優希が体当たりでヒロイン・ビリーに挑む姿にも好感がもてた。
(1月12日13時の部、東京国際フォーラムホールC)
2021-07-04 00:05 この記事だけ表示
<舞空瞳!〜宝塚星組『ロミオとジュリエット』>(http://daisy.stablo.jp/article/481121643.html)の項で、東日本大震災についてふれた――その文章を書いて、私は、自分の中にはっきりと残るあの瞬間の記憶を、この十年間、言葉にすることがなかったという事実と改めて向き合うこととなった。
2011年3月11日14時46分。
私は、東京宝塚劇場での退団公演を控えた当時の花組トップスター、真飛聖の宝塚生活最後のディナーショー『For YOU』を、東京・九段下のホテルグランドパレスの宴会場の一番後ろの席で観ていた。私のあの瞬間の記憶は、歌う真飛聖の姿なのである。
ショーは終わりに差し掛かっていた。ステージ上では真飛聖が一人立ち、ラストの曲を歌っていた。揺れて――揺れて、客席も、座って演奏しているバンドの人々もざわざわと動揺を見せて、それでも、真飛はショー・マスト・ゴー・オンの精神で、しっかり! と演奏を鼓舞するようにりりしく歌い続けた。けれども、揺れは続いていたから、――やはりいったん止めますね、ということになった。そして、中断はやがて中止となった。
交通機関も止まり、私たちはそれから長い時間、その場所でそのまま過ごすことになった。ラストの曲に引き続いてのアンコールでは、真飛自身がこのショーのために作詞した『For YOU』というタイトルのオリジナル曲が歌われることになっていた。会場の方たちの計らいで、前日までの公演で収録された『For YOU』が宴会場に流された。生で聴くはずだった…と思いながら、耳を傾けていた。
2021年6月30日をもって営業終了となったホテルグランドパレスは、2011年当時でも古さが否めない建物だった――開業は1972年2月20日というから私の生まれる5日前、私にとっては、1973年に起きた金大中拉致事件の現場という印象がいつまでも強いホテルだった――。そして、余震か何かのたび、それはけたたましくサイレンが鳴り響いた。音響室か照明室か、宴会場後方上部にある小部屋の扉がたびたびパカーンと開いてゆらゆらと揺れ、そのたび悲鳴が上がった。
そのうち、ホテルから歩いて数百メートルのところにある九段会館で死者が出たという情報が回ってきた――1934年に建てられた九段会館はこのとき、天井崩落事故により2名の死者を出した――。そして、この世の終わりを告げるようにけたたましく鳴り続けるサイレンを聞くうち、私は思った。
自分は今日、ここで死ぬのかもしれない――と。
家族への連絡のため公衆電話に並ぶとき、お化粧室へと席を立つとき、足ががたがた震えているのがわかった。死を近くに感じながら、――心に三つの思いが浮かんだ。
――もし、今日観た舞台が、この世で最後に観たものになるのだとしたら――。素晴らしい舞台だったから、よかった、悔いはない、心からそう思えた。
――そのとき、仲違いしている人がいた――。仲直りできないまま死んでしまうなんて、悲しいことだな…と思った。
――ある人が、これからもっともっと光り輝く姿を観るはずだった――。それが観られないのは残念だな…と思った。
――長い時間、そこにいた。
居心地自体は悪くなかった。ホテルの方々の好意で、小さなハンバーガーと小さなおにぎりが供された。私は一人で参加していて、会場には誰も知っている人がいなかったのだけれども、誰かがコンビニに買い出しに行ったと思しきお菓子のおすそ分けも回ってきた――そういうとき、宝塚ファン同士、温かな結束力がある。ホテルのロビーは交通機関が止まって帰宅できなくなった人たちに開放されていて、みんな、そこかしこに座り込んでいた。それに比べたら、暖かい宴会場で椅子に座っていられることがありがたかった。同じテーブルの人たちと何か、宝塚の話でもしたかもしれないけれども、記憶にない。そのとき、私は、それまで生きてきて感じたことがないほど、死を近くに感じていた。
――長い時間、そこにいた。
夜になっていた。ふと気づくと、仕事が終わり、職場から二時間かけて歩いてやってきた夫が立っていた。そして、復旧し始めた地下鉄を乗り継いで、家に帰った。ノートパソコンが机から床に落ちていた――当時上演されていた三谷幸喜作・演出『国民の映画』の公演プログラムを下敷きにして。プログラムがなかったら、壊れていたかもしれない。
それからのことは。
大規模停電があり、――3月25日から東京宝塚劇場公演が始まる予定だった花組では、公演実施についての是非が話し合われたと聞く。そして、それが退団公演だった真飛聖を含む花組生が、終演後、交代でロビーに立ち、被災地への募金活動を行なうことになった――宝塚のトップスターはただでさえ激務だが、退団公演となるとなおさらなのに。真飛聖は、退団の日のさよならパレード――東京宝塚劇場前の道を埋め尽くしたファンたちの前を、袴姿で花束をもって通る儀式――もなかった。退団の日は、会見場での写真と、さよならパレードの写真が紙面を賑わせるのが恒例となっているけれども、そのときは、劇場二階で花束をもった写真を撮影する機会が設けられたことを覚えている。その後、トップスターが退団する際にはさよならパレードは行なわれ続けた。このコロナ禍の今年4月、雪組トップスター望海風斗の退団までは。
――自分はなぜ、この十年間、2011年3月11日の記憶を心の中に封印してきたのか。
それは――東日本大震災によって生じたさまざまな出来事によって、多くの人々の人生が変わり、生活が変わり、――そんな中で、あの瞬間に舞台を観ていたということをどこか言うことがためらわれるような思いに、自分自身、とらわれていたからなのだろうと思う。その一方で、十年経った今になっても、あのときほど死を近くに感じたことはないとも思う。死にたいとか死のうとか、自分の意思とはまったく関係ないところで、死を感じた日。
十年経って、やっと胸の中から吐き出せた。
心に浮かんだ三つの思いのその後について。
幸せなことに、その後、素晴らしい舞台を何度も観ることができている。
幸せなことに、仲違いしていた人とは仲直りして、楽しい時間を共に過ごせるようになっている。
幸せなことに、ある人が光り輝く姿も観ることができて、――そして、さらに幸せなことには、さらに多くの人たちと出会い、その人たちがさらに光り輝く姿を観ることもできている。
思えば、十年前のあのころ――十年後、どうなっているか、考えもしなかった。想像もできなかった。ただただ、生きた。必死に、前へ。仲間たちと手を携え、励まし合って。今も十年後の想像はつかない。また、ただただ生きるだけなのだろうと思う。
東日本大震災後のあのときと、コロナ禍の今とで、状況がまったく同じというわけではない。けれども、やはり、今になってあのときのことをあざやかに思い出すということは、あのとき感じた何かを糧に、改めて前に進んでいこうとしているからなのだろうと思う。
不思議である。十年間、胸に沈めていた思いが浮上してきた。そして、あの日、終わることがなかったディナーショー『For YOU』に出ていたメンバーのうちの最後の二人、望海風斗と瀬戸かずやが今年揃って退団するのだということに改めて気づいた。十年とはそのような年月なのだ、と思う。
2011年3月11日14時46分。
私は、東京宝塚劇場での退団公演を控えた当時の花組トップスター、真飛聖の宝塚生活最後のディナーショー『For YOU』を、東京・九段下のホテルグランドパレスの宴会場の一番後ろの席で観ていた。私のあの瞬間の記憶は、歌う真飛聖の姿なのである。
ショーは終わりに差し掛かっていた。ステージ上では真飛聖が一人立ち、ラストの曲を歌っていた。揺れて――揺れて、客席も、座って演奏しているバンドの人々もざわざわと動揺を見せて、それでも、真飛はショー・マスト・ゴー・オンの精神で、しっかり! と演奏を鼓舞するようにりりしく歌い続けた。けれども、揺れは続いていたから、――やはりいったん止めますね、ということになった。そして、中断はやがて中止となった。
交通機関も止まり、私たちはそれから長い時間、その場所でそのまま過ごすことになった。ラストの曲に引き続いてのアンコールでは、真飛自身がこのショーのために作詞した『For YOU』というタイトルのオリジナル曲が歌われることになっていた。会場の方たちの計らいで、前日までの公演で収録された『For YOU』が宴会場に流された。生で聴くはずだった…と思いながら、耳を傾けていた。
2021年6月30日をもって営業終了となったホテルグランドパレスは、2011年当時でも古さが否めない建物だった――開業は1972年2月20日というから私の生まれる5日前、私にとっては、1973年に起きた金大中拉致事件の現場という印象がいつまでも強いホテルだった――。そして、余震か何かのたび、それはけたたましくサイレンが鳴り響いた。音響室か照明室か、宴会場後方上部にある小部屋の扉がたびたびパカーンと開いてゆらゆらと揺れ、そのたび悲鳴が上がった。
そのうち、ホテルから歩いて数百メートルのところにある九段会館で死者が出たという情報が回ってきた――1934年に建てられた九段会館はこのとき、天井崩落事故により2名の死者を出した――。そして、この世の終わりを告げるようにけたたましく鳴り続けるサイレンを聞くうち、私は思った。
自分は今日、ここで死ぬのかもしれない――と。
家族への連絡のため公衆電話に並ぶとき、お化粧室へと席を立つとき、足ががたがた震えているのがわかった。死を近くに感じながら、――心に三つの思いが浮かんだ。
――もし、今日観た舞台が、この世で最後に観たものになるのだとしたら――。素晴らしい舞台だったから、よかった、悔いはない、心からそう思えた。
――そのとき、仲違いしている人がいた――。仲直りできないまま死んでしまうなんて、悲しいことだな…と思った。
――ある人が、これからもっともっと光り輝く姿を観るはずだった――。それが観られないのは残念だな…と思った。
――長い時間、そこにいた。
居心地自体は悪くなかった。ホテルの方々の好意で、小さなハンバーガーと小さなおにぎりが供された。私は一人で参加していて、会場には誰も知っている人がいなかったのだけれども、誰かがコンビニに買い出しに行ったと思しきお菓子のおすそ分けも回ってきた――そういうとき、宝塚ファン同士、温かな結束力がある。ホテルのロビーは交通機関が止まって帰宅できなくなった人たちに開放されていて、みんな、そこかしこに座り込んでいた。それに比べたら、暖かい宴会場で椅子に座っていられることがありがたかった。同じテーブルの人たちと何か、宝塚の話でもしたかもしれないけれども、記憶にない。そのとき、私は、それまで生きてきて感じたことがないほど、死を近くに感じていた。
――長い時間、そこにいた。
夜になっていた。ふと気づくと、仕事が終わり、職場から二時間かけて歩いてやってきた夫が立っていた。そして、復旧し始めた地下鉄を乗り継いで、家に帰った。ノートパソコンが机から床に落ちていた――当時上演されていた三谷幸喜作・演出『国民の映画』の公演プログラムを下敷きにして。プログラムがなかったら、壊れていたかもしれない。
それからのことは。
大規模停電があり、――3月25日から東京宝塚劇場公演が始まる予定だった花組では、公演実施についての是非が話し合われたと聞く。そして、それが退団公演だった真飛聖を含む花組生が、終演後、交代でロビーに立ち、被災地への募金活動を行なうことになった――宝塚のトップスターはただでさえ激務だが、退団公演となるとなおさらなのに。真飛聖は、退団の日のさよならパレード――東京宝塚劇場前の道を埋め尽くしたファンたちの前を、袴姿で花束をもって通る儀式――もなかった。退団の日は、会見場での写真と、さよならパレードの写真が紙面を賑わせるのが恒例となっているけれども、そのときは、劇場二階で花束をもった写真を撮影する機会が設けられたことを覚えている。その後、トップスターが退団する際にはさよならパレードは行なわれ続けた。このコロナ禍の今年4月、雪組トップスター望海風斗の退団までは。
――自分はなぜ、この十年間、2011年3月11日の記憶を心の中に封印してきたのか。
それは――東日本大震災によって生じたさまざまな出来事によって、多くの人々の人生が変わり、生活が変わり、――そんな中で、あの瞬間に舞台を観ていたということをどこか言うことがためらわれるような思いに、自分自身、とらわれていたからなのだろうと思う。その一方で、十年経った今になっても、あのときほど死を近くに感じたことはないとも思う。死にたいとか死のうとか、自分の意思とはまったく関係ないところで、死を感じた日。
十年経って、やっと胸の中から吐き出せた。
心に浮かんだ三つの思いのその後について。
幸せなことに、その後、素晴らしい舞台を何度も観ることができている。
幸せなことに、仲違いしていた人とは仲直りして、楽しい時間を共に過ごせるようになっている。
幸せなことに、ある人が光り輝く姿も観ることができて、――そして、さらに幸せなことには、さらに多くの人たちと出会い、その人たちがさらに光り輝く姿を観ることもできている。
思えば、十年前のあのころ――十年後、どうなっているか、考えもしなかった。想像もできなかった。ただただ、生きた。必死に、前へ。仲間たちと手を携え、励まし合って。今も十年後の想像はつかない。また、ただただ生きるだけなのだろうと思う。
東日本大震災後のあのときと、コロナ禍の今とで、状況がまったく同じというわけではない。けれども、やはり、今になってあのときのことをあざやかに思い出すということは、あのとき感じた何かを糧に、改めて前に進んでいこうとしているからなのだろうと思う。
不思議である。十年間、胸に沈めていた思いが浮上してきた。そして、あの日、終わることがなかったディナーショー『For YOU』に出ていたメンバーのうちの最後の二人、望海風斗と瀬戸かずやが今年揃って退団するのだということに改めて気づいた。十年とはそのような年月なのだ、と思う。
2021-07-04 00:01 この記事だけ表示
芝居もショーもまだまだ全然行けますね(にっこり)。切り込み隊長は、最近観るたび男役としての進化の著しさにうれしくなってしまう暁千星! See you all in Tokyo!
2021-06-21 23:23 この記事だけ表示
宝塚を観た! という思いになる作品。一樹千尋、怪演。
2021-06-21 14:48 この記事だけ表示
月組宝塚大劇場公演『桜嵐記』『Dream Chaser』千秋楽ライブ配信観ます。
2021-06-20 23:46 この記事だけ表示
芝居、ショー共、約30年前の作品のリバイバルということで、クラシックな香りただよう二本立て。ショーでは『ナルシス・ノアール』の主題歌まで飛び出し、…あれ、これ『ナルシス・ノアール』だったっけ? と途中混同しそうなほど。
雪組新トップスター彩風咲奈はセンターが似合う。男役のコスチュームがどれもしっくり来る抜群のスタイルの持ち主で、技量的には十分及第点に達しているのだから、できる芸を自信をもって堂々と見せて客席を魅了するが良し。芝居、ショー共、新トップ娘役朝月希和のドレスさばきに見惚れる――いつまでも眺めていたいと思うほど。芝居はしっとりと情感があり、ショーでは少女の可憐さからセクシーな艶やかさまで発揮して変幻自在の大活躍。彼女の娘役芸の中に、例えば仙名彩世や華耀きらりといった名娘役たちの芸のエッセンスが確かに引き継がれていることを心からうれしく思った。「アマポーラ」に乗ってのデュエットダンスは、薄いグリーン(雪組カラー!)の衣装がトップコンビによく似合って。収録日だったからか、二人に緊張も感じられたが、ショーの途中で徐々にほぐれてきた感あり、二人してもっと舞台を心からENJOYするとさらに良し。綾凰華には男役としての向上心、勉強熱心さが感じられ、クラシックな作品も似合う。KAAT神奈川芸術劇場公演を観ても、雪組は娘役陣が非常に充実している感があり、若手男役陣のさらなる奮起を期待。新トップコンビの大劇場お披露目作品は、何かと話題満載の『CITY HUNTER−盗まれたXYZ−』と『Fire Fever!』の二本立て――槇村香役の朝月が「祝舞台化!」のハンマーを持つポスターを見て、コロナ禍において何かとめり込みがちだった気持ちがすっかり上向きになり。この勢いではじけちゃって〜。
雪組新トップスター彩風咲奈はセンターが似合う。男役のコスチュームがどれもしっくり来る抜群のスタイルの持ち主で、技量的には十分及第点に達しているのだから、できる芸を自信をもって堂々と見せて客席を魅了するが良し。芝居、ショー共、新トップ娘役朝月希和のドレスさばきに見惚れる――いつまでも眺めていたいと思うほど。芝居はしっとりと情感があり、ショーでは少女の可憐さからセクシーな艶やかさまで発揮して変幻自在の大活躍。彼女の娘役芸の中に、例えば仙名彩世や華耀きらりといった名娘役たちの芸のエッセンスが確かに引き継がれていることを心からうれしく思った。「アマポーラ」に乗ってのデュエットダンスは、薄いグリーン(雪組カラー!)の衣装がトップコンビによく似合って。収録日だったからか、二人に緊張も感じられたが、ショーの途中で徐々にほぐれてきた感あり、二人してもっと舞台を心からENJOYするとさらに良し。綾凰華には男役としての向上心、勉強熱心さが感じられ、クラシックな作品も似合う。KAAT神奈川芸術劇場公演を観ても、雪組は娘役陣が非常に充実している感があり、若手男役陣のさらなる奮起を期待。新トップコンビの大劇場お披露目作品は、何かと話題満載の『CITY HUNTER−盗まれたXYZ−』と『Fire Fever!』の二本立て――槇村香役の朝月が「祝舞台化!」のハンマーを持つポスターを見て、コロナ禍において何かとめり込みがちだった気持ちがすっかり上向きになり。この勢いではじけちゃって〜。
2021-06-13 23:29 この記事だけ表示
彩風咲奈&朝月希和の雪組新トップコンビ、安定の発進! 綾凰華のまっすぐな芝居も好感度大。
2021-06-13 17:10 この記事だけ表示
雪組全国ツアー愛知県芸術劇場大ホール公演『ヴェネチアの紋章』『ル・ポァゾン 愛の媚薬−Again−』ライブ配信観ます。
2021-06-12 23:56 この記事だけ表示
ローマ史上初の皇帝を主人公に据えた『アウグストゥス−尊厳ある者−』は、何を描きたいのか???な物語を、タイトルロールを演じる花組トップスター柚香光をはじめとする出演者が力量でねじ伏せていく様を観る作品。柚香がトップになって初のショー『Cool Beast!!』は、タイトルの『‼』が雄弁に語るように藤井大介の作・演出。柚香の魅力を“クールな野獣”にたとえるあたり、ポンと膝を打ちたくなる。思えば柚香は、『Le Paradis!!−聖なる時間−』や『CONGA!!』といった藤井作品で早くから抜擢され、強い印象を残してきた。そして今、トップとなった姿に思うのは、彼女の個性の本質、そのコアには、下級生時代から決して変わることがないものがあって、着実に芸を積み重ね、舞台人として大きく成長してきたからこそ、その本質がますます光り輝いて見えるということである。宝塚の男役ならではの、女性と男性、その魅惑のあわいを柚香は行き交う――“ギャートルズの肉”をマイク代わりにポルノグラフィティの「狼」を歌う場面では、男役として魅了しながら女性としての美しさも発揮。きりっとした女性の姿で脚線美も露わに瀬戸かずやとデュエット・ダンスも披露するが、和海しょうの歌唱も相俟って、三者とも端正だからこそ逆に色気を感じさせる名場面となっている。
ということで。芝居の最中、…よく換気された劇場、身体が冷え切っちゃって、終演後、温かい物を飲まないと…と思っていたのが、ショーではプロローグだけで手が痛くなるほど激しく手拍子をしたためすっかり身体がホットに。しかし。
全体、まだまだ行ける! 皆もっと個性&野性を解き放つべし。若手男役陣は特に奮起されたし。
思い切りのよさが魅力の華優希は、芝居の方は自信をもってやれているのだけれども、とりわけショーの、「ここでこそハッタリかまさんか!」というところでなぜ自分にブレーキを? もったいない。『NICE WORK IF YOU CAN GET IT』のときにも書いたけれども(http://daisy.stablo.jp/article/479496620.html)、自意識が突き抜けたとき強いのだから、その精神で宝塚生活最後の日まで娘役を目いっぱいENJOY! 柚香光は相手役の日々の向上を決して見逃さず、それに応える舞台人である。
瀬戸かずやに心の中で快哉!!! 宝塚の男役を堪能しきっちゃって!!!
以上、藤井大介作品にふさわしく「!」いっぱいでお送りいたしました。
(2日13時半の部、東京宝塚劇場)
ということで。芝居の最中、…よく換気された劇場、身体が冷え切っちゃって、終演後、温かい物を飲まないと…と思っていたのが、ショーではプロローグだけで手が痛くなるほど激しく手拍子をしたためすっかり身体がホットに。しかし。
全体、まだまだ行ける! 皆もっと個性&野性を解き放つべし。若手男役陣は特に奮起されたし。
思い切りのよさが魅力の華優希は、芝居の方は自信をもってやれているのだけれども、とりわけショーの、「ここでこそハッタリかまさんか!」というところでなぜ自分にブレーキを? もったいない。『NICE WORK IF YOU CAN GET IT』のときにも書いたけれども(http://daisy.stablo.jp/article/479496620.html)、自意識が突き抜けたとき強いのだから、その精神で宝塚生活最後の日まで娘役を目いっぱいENJOY! 柚香光は相手役の日々の向上を決して見逃さず、それに応える舞台人である。
瀬戸かずやに心の中で快哉!!! 宝塚の男役を堪能しきっちゃって!!!
以上、藤井大介作品にふさわしく「!」いっぱいでお送りいたしました。
(2日13時半の部、東京宝塚劇場)
2021-06-02 23:49 この記事だけ表示
5月15日夜の部(18時半)視聴。赤い衣装、スーツ、黒燕尾服、観たかった瀬戸かずやのオンパレードで、一分の隙もないその男役芸を堪能(構成・演出:藤井大介)。配属以来ずっと花組生だったから、そのヒストリーをたどるライブは自然、花組のヒストリーをたどるものともなる。歌によってそれぞれの作品を懐かしく振り返ると共に、『EXCITER!!』『CONGA!!』(共に藤井作品)あたり、一緒に観ていた夫と熱唱。大ファンだったという真琴つばさの「情熱の翼」を歌ったときには、思わず合いの手を風花舞風に入れそうに――確かに、男役瀬戸かずやのアイメイクの美しさは、真琴つばさ(も花組育ちであった)のアイメイクの美しさを引き継いでいる。共演の花組男役陣に、瀬戸かずやが守って伝えてきた花組の男役芸がしっかり引き継がれていくことを願って。
2021-05-16 23:22 この記事だけ表示