運命に敢然と向き合うヒロイン・アーニャ役の星風まどかの逞しい生の活力、決意を秘めた強いまなざし。そんな彼女に心ひかれつつも、その幸せを思うが故に自らの想いを秘める詐欺師ディミトリ役を演じて、当たり役を連発中の宙組トップスター真風涼帆が男役のやせ我慢の美学で魅せる。晴れやかさとせつなさが交錯する一幕ラストの二人のデュエット「Journey To The Past」に感涙。アーニャを追い続けるボリシェビキの警視副総監グレブ役の芹香斗亜が見せる威厳と冷徹さ。ディミトリとアーニャと共にパリへと向かう落ちぶれ貴族ヴラド・ポポフ役の桜木みなとは、ヒゲをつけてのコミックリリーフ的老け役をダンスステップも軽やかに演じて渋い色気で魅了。男役1・2・3が揃って魅力を発揮し、盤石体制。そして、桜木が一転、王子さながらの衣装で登場して始まるフィナーレは、ロシア風衣装も目に楽しく、きらびやかさいっぱい。真風涼帆&星風まどかがデュエットダンスで見せる高いプロフェッショナリズムに心打たれる。真風の最後の挨拶は、芸に励む揺るぎなき姿勢が立派な限りで、宝塚のキラキラした魅力がつまった舞台共々、あわただしい年の瀬を最後まで駆け抜ける元気をもらった思い。
2020-12-14 21:01 この記事だけ表示
 宙組のパワーはじける舞台! 一幕ラストの真風涼帆&星風まどかの「Journey To The Past」のデュエットで泣いてしまった…。
2020-12-14 14:18 この記事だけ表示
 宙組宝塚大劇場公演『アナスタシア』千秋楽ライブ配信観ます!
2020-12-13 23:40 この記事だけ表示
 ――姿に恋しているのか、言葉に恋しているのか、そこが問題である。クリスチャンとシラノの関係は、表舞台に立つ者と裏で支える者のそれをも思わせて。
 同じ17世紀のフランスを舞台にした轟悠主演作『バッカスと呼ばれた男』(1999−2000)を懐かしく思い出しながら観ており。美稀千種と天寿光希が、熟練の男役芸を見せて、轟シラノの脇をがっちり固める。その男役の“心意気”が、下級生たちに確かに引き継がれていくことを願って。
2020-12-12 23:12 この記事だけ表示
 轟悠にシラノ、合う!
2020-12-12 16:18 この記事だけ表示
 星組梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ公演『シラノ・ド・ベルジュラック』千秋楽ライブ配信観ます!
2020-12-11 23:59 この記事だけ表示
 『Ray−星の光線−』はさらに熱かった。全編通して舞空瞳の美しい腕の動きに見惚れる。礼真琴と舞空瞳、トップコンビの信頼関係が歌声の中にうかがえるデュエットに続き、出演者が一丸となって歌い踊るギリシャの場面がよかった。黒燕尾服のダンス・シーンも星組ならではのオラオラ感をみなぎらせて、気迫いっぱいに揃えてきた。
2020-11-28 23:27 この記事だけ表示
 『エル・アルコン−鷹−』終了〜。星組、熱いですね。舞空瞳の女海賊ギルダ・ラバンヌが期待以上の素晴らしさ!
2020-11-28 14:44 この記事だけ表示
 13時半の部観劇(東京宝塚劇場)。『WELCOME TO TAKARAZUKA −雪と月と花と−』は、坂東玉三郎が初めて宝塚作品の監修を手がけた日本物ショーで、作・演出は植田紳爾。繊細な色遣いが美しい舞台装置と、その中に立つ出演者たちとを、照明があでやかに引き立てている(装置:関谷敏昭、照明:勝柴次朗)。主題歌「それが宝塚」(作曲:吉田優子)も、一度聞けば絶対覚えて一緒に歌い出したくなる楽しさ――作中、はたして何回「WELCOME」という語が歌われるのだろう! 月組生が一丸となって群舞を繰り広げる<月の巻>は見応えあり。宝塚の華やかな日本物ショーの伝統がこれからも守られていくことを願う。
 『ピガール狂騒曲〜シェイクスピア原作「十二夜」より〜』は、『十二夜』の物語と実在のフランス人作家、シドニー=ガブリエル・コレット(回想録『わたしの修業時代』は非常におもしろい一冊である)とを絡ませた作品ということで、大変楽しみにしていたのだけれども……、うむむむむ。脚本上の大小さまざまな「???」を、月組生が大奮闘の熱演で笑えるコメディへとねじ伏せていく様が痛快(一番問題だと思った点は、本日観劇後、演出家に直接伝えました)。スタイリッシュなフィナーレ付き。今日の黒燕尾服のダンス・シーンの気迫は凄かった!
2020-11-25 23:37 この記事だけ表示
 物語序盤、柚香光扮する伊集院忍帝国陸軍少尉の姿に、袴姿のはいから女学生たちがきゃあとうっとりする場面がある。その様を観ていて、私の耳に、ある人の言葉があざやかに甦った――。
「軍人さんと、春日野さんの軍服姿はかっこよかったのよ」
 そう言ったのは良枝さんである。良枝さんは、夫の母方の祖母。1923年に生まれ、今年6月、96歳で天寿を全うした。――彼女と私は気が合った。春日野八千代ファンだった彼女は、しばらく宝塚から遠ざかっていたのだけれども、「春日野さんが久しぶりに舞台に立つから」と、今の東京宝塚劇場のこけら落とし公演、月組の『いますみれ花咲く』(2001)に連れ出した。良枝さんは、そのとき85歳だった春日野八千代が元気に舞う姿に勇気づけられ、そして、併演の『愛のソナタ〜リヒャルト・シュトラウス/フーゴー・フォン・ホフマンスタール作:オペラ「ばらの騎士」より〜』での真琴つばさの“ばらの騎士”ぶりに、「――昔、春日野さんがあんな感じだった……」と、衝撃を受けて黙りこくってしまった。その姿が忘れられない。何十年も前の記憶があざやかに甦る瞬間。少女時代に戻ったのだろうとも思う。しかし、それと同時に、彼女には、それから生きてきた長い年月の記憶もある。戦争があって。戦争が終わって。生き抜くのに必死だった時代があって。そして、今――。
 良枝さんは外房の大地主の娘である。家にはテニスコートがあり、バレエを習っていた――これは私は同行していないのだけれども、Kバレエの公演を観て熊川哲也芸術監督を気に入っていたとか。そんな良枝さんに聞いた中で、一番心に深く刻まれている話がある。戦前、小作人たちが彼女に挨拶するとき、どこか目を伏せていた。それが、戦後、農地改革で自分たちも土地を持てるとなったとき、顔を上げて、キラキラ前を向いていた。それを見て、良枝さんは、これはとてもいいことなんだと思ったと言う――その土地はといえば、良枝さんの家のものだったわけなのだけれども。その言葉を聞いて、私は、この人はとても立派な人だと思った。面と向かって言ったことはないけれども、尊敬していた。良枝さんの夫は中島飛行機に勤めていたから、戦後は解体されてしまって、大変である。正直、観劇どころではない時代もあったと思う。もちろん、孫の嫁だからということもあると思うけれども、彼女は私にはあまり愚痴は言わなかった。朗らかで無邪気で、お嬢様育ちだからこそのときに実にシャープな物言いが、話していて楽しかった。
 このコロナ禍で、100年前に流行したスペイン風邪がよく引き合いに出されるけれども、夫の父方の祖母である千代さんはといえば、そのスペイン風邪で両親を亡くしている。千代さんは優秀だったから、親戚が援助してあげようということになって、上の学校に進んで先生になり、教職を続けながら子供たちを育て上げた。そのとき、千代さん自身、スペイン風邪で亡くなっていたら、今、私の目の前に座っている人はこの世に存在しないんだな……と、夕餉の席で思うことがある。
 個人的な思い出を書き綴ってきたのは。……そうやって、過去の苦難の時代をくぐり抜けてきた人たち、その人たちの生なくして、今はないと思うからである。そう思うと、自分が今すべきことが自ずと見えてくる。一歩一歩、少しでも、歩みを前に進めること。そして、『はいからさんが通る』は、そんな思いをとりわけ強く深くしてくれる作品なのだった。物語のクライマックスは1923年の関東大震災――良枝さんが生まれた半月後である。震災により何もかもなくなってしまった「冗談社」編集部の焼け跡に編集部員たちが集まり、みんなでやり直すことを誓う。そこに、小説家高屋敷要がやって来る。言論の炎を消さぬため、徹夜で書き上げた原稿を持って。その原稿こそが、『はいからさんが通る』の物語なのだった――コロナ禍で長い休演を余儀なくされていた宝塚大劇場での復活第一弾となったこの作品において、きわめて意義深いエピソードである。人は、何度だって立ち上がって、前を向いて生きていける。心に同じ炎を燃やす仲間と共に、励まし合って。
 そうでなくては、良枝さんにも、千代さんにも、そして、多くの“良枝さん”たちや“千代さん”たちにも、申し訳が立たないと思うのである。今は天上から見守っている彼女たちに、「私たちも頑張ってます!」と胸を張りたい私がいる。心からの感謝の思いをこめて。

 花組新トップスター柚香光は大変な状況下での船出となったが、その状況にまっすぐに向き合い、原点をしっかり見つめ直したことで、トップスターとして、舞台人として、大きな成長を遂げている。伊集院忍役の演技も深まるばかり。その姿に、少女のころ、大和和紀による原作漫画を読んでいて、なぜ少尉がヒロイン紅緒を愛するか、自分がまったく考えていなかったことに気づき、内心苦笑した――少女だったから、ヒロインはヒーローと結ばれる、そういうものとしか考えていない。ちゃんと読めばちゃんと書いてあるのだけれども――。日独ハーフとして生まれ、両親と離れて祖父母に育てられた彼がどこか孤独を感じていたこと。そんな彼の心を、常に明るく前向きなはいからさん、紅緒が明るく照らし出していくこと。少尉がもうちょっと優柔不断じゃなかったら話はもっとすんなり収まるところに収まっていたのでは……と思うところなきにしもあらずなのだけれども、柚香の演技を通して少尉を考えるとき、優柔不断と映るところは、実は、あふれんばかりの優しさであることに気づく。周りを思いやりすぎるあまり、自分の心を後回しにしてしまう人。そんな少尉がやはり譲れなかった心こそが、はいからさん紅緒への愛なのだった。
 そのはいからさん紅緒を演じる華優希は、3年前の初演よりさらにはっちゃけて、真っピンクのうさぎ&ハート柄のモンペのアンサンブルもあっぱれの着こなし――この柄が原画通りなら、白い襟と袖口近くに花の刺繍があしらわれている薄いグリーンのドレスも原画通りと、加藤真美による衣装が実にキュートである――。酒乱シーンでの大暴れも痛快な限り――それにしても、少女漫画のヒロインが酒乱というのも、今さらながらあっぱれな設定である。浅草のシーンでは、浅草オペラのスター、田谷力三と原信子が当時のヒット曲「恋はやさし野辺の花よ」を歌った後に、紅緒が酔って暴れて乱闘へとなだれ込むという設定になっていて、紅緒の酒乱を表現すべく、「恋はやさし野辺の花よ」のメロディが乱れ乱れていくのがツボである(音楽:手島恭子)。「冗談社」編集部の壁を飾る、紙が何枚も貼り合わされた売り上げ低迷グラフや、原作ファンならおなじみの作者による「今週のみことば」もしっかりセットに登場して(装置:稲生英介)、キャストの原画再現率もさることながら、スタッフが一丸となって、作品世界の二次元から三次元への具現化に力を尽くしている様がうかがえる。
 少尉の恋のライバル、冗談社編集長青江冬星を演じた瀬戸かずやは、きめ細やかな人物造形で魅せた。冬星は女嫌いで、原作の番外編では、紅緒によく似たフランス人少年を養子とし、38歳の若さでこの世を去るという設定になっている。そんな冬星が紅緒に寄せる愛は深い。彼もまた、紅緒の明るさ、まっすぐさによって、心を明るく照らし出された人間である――紅緒との結婚式直前に発する名セリフ、「来たな、恋人」の幸せそうなこと! だからこそ、関東大震災が起きて運命が変わり、少尉と生きていくことを選択した紅緒をあきらめた冬星が、少尉と思いっきり殴り合うシーンのせつなさが際立つ。柚香の少尉と瀬戸の編集長、紅緒に愛を寄せる男性が魅力的であればあるほど、ヒロイン紅緒の魅力もまた浮き彫りになる。二人の男役としての力量が光った、銀橋上の名シーンだった。
 日本青年館ホールから東京宝塚劇場へと上演の場が変わったことで(関西ではシアター・ドラマシティから宝塚大劇場)、感じ取れるものもまた変わってきたのが非常に興味深かった。“清く正しく美しく”を家訓とする伊集院家に花嫁候補として乗り込んだじゃじゃ馬娘の紅緒が、家に新たな風を吹き込んでいく。その様は、宝塚でも人気作品として上演され続けている『ミー・アンド・マイガール』をも思い起こさせる。『ミー・アンド・マイガール』においては主人公ビルが恋人サリーと共に新たな風を吹き込んでいくのに対し、『はいからさんが通る』では新たな風を吹き込んでいくのは紅緒で、少尉はそれをにこやかに見守る。男役が主人公を演じる宝塚歌劇において、<動の紅緒、静の少尉>という構図を見事成立させた、作・演出の小柳奈穂子の手腕が光る。
 1914年、大正3年に誕生した宝塚少女歌劇。当時、宝塚に集った少女たちも、はいからさんだったことだろう。そんな彼女たちに憧れの眼差しを向ける少女たちも、また。はいからさんたちが新しい時代を切り拓いて、次の世代のはいからさんたちへと繋いでいく。今回の『はいからさんが通る』の公演で、そんな歴史の流れの一部であることを実感できたことを、今の私は幸せに感じるのである。
2020-11-15 01:52 この記事だけ表示