3〜4月の東京青年館ホール公演が中止となり、観られなかった舞台の延期公演(大阪・シアタードラマシティ)の千秋楽を、ライブ配信にて視聴(15時より)。“壮麗帝”こと、オスマン帝国のスレイマン1世を主人公に描く作品だが、物語にうねりが感じられず、終始淡々と進んでいく印象なのが…。そして、ハレムの描写は『エリザベート』の影響大である。帝の壮麗さをはっきりと示す絵面なり、セリフで語られるのではない具体的なエピソードなりが欲しいところ。スレイマン1世を演じた桜木みなとは着実な成長ぶりを見せた。声や表情に男役としての色気を感じさせ、ギラギラと輝く情熱的な瞳はときに翳りを帯び、元宙組トップスター大空祐飛の眼差しを思い起こさせる。歌声も力強く、振る舞いも帝役にふさわしく堂々としたもので、舞台の芯をしっかりと務め上げた。ライブ配信だと、衣装がクローズアップで見られるという利点があるが、凝った布地の豪華なものが多く、目を楽しませてくれた。
2020-08-18 20:59 この記事だけ表示
 主演の桜木みなと、堂々!
2020-08-18 16:16 この記事だけ表示
 宝塚宙組『壮麗帝』ライブ配信観ます!
2020-08-17 23:59 この記事だけ表示
 本日の昼公演、すばらしかった! LIVE配信もツボを押さえたカメラワークでとても見やすく、これからのおうち観劇が楽しみに。後日ゆっくり書きます〜。
2020-07-18 23:52 この記事だけ表示
 宝塚大劇場のロビーの旧ソファの布地とお揃いの椅子で夫と並んで視聴中〜。2017年の日本青年館ホール公演もすばらしかったけれども、大劇場の空間で上演されると、この作品が、『ベルサイユのばら』や『ミー・アンド・マイガール』といった宝塚の名作群の文法を踏まえて作られていることがより明確に。そして、めちゃギャグ漫画! 新花組トップコンビ、伊集院少尉役の柚香光&花村紅緒役の華優希、そして出演者みんなの芝居がはじけてます。パソコンの前で何度も大爆笑〜。
2020-07-18 14:30 この記事だけ表示
 「OUR FAVORITE TAKARAZUKA−Special Edition−」に続いては、花組公演『はいからさんが通る』初日のフィナーレ&カーテンコールの生中継〜! 3月9日以来、130日ぶりの宝塚大劇場公演。番組冒頭は、ビニール幕を貼ったり、アルコールで拭き清めたり、宝塚大劇場において行なわれている感染予防対策の模様が流れて。ソーシャル・ディスタンスのためのシールを貼っているシーンで気づいた。――大劇場のロビーに置かれているソファのファブリックが一新されて、あひる宅のソファとお揃いじゃなくなっている!(夫が百貨店で気に入った柄が本当に偶然お揃いだった) それはさておき。
 プロローグの映像も録画で流れました。客席の拍手が熱い! 軽快な主題歌に乗って歌い踊る新花組トップスター柚香光&出演者みんなに、テレビの前で、思いっきり手拍子&拍手。
 生中継に切り替わってからは、ラストシーンもちらっと。そしてフィナーレ。2パターンあるうち、本日は“浪漫バージョン”。銀橋を渡る瀬戸かずやの歌に、嗚咽。男役として、役者として、確固たる決意表明――家で一人きりだから、泣きすぎても誰も周りにいないぞ〜と思いながら、嗚咽。
 続いての、娘役陣によるモダンガールの舞で、涙、一気に無事止まる(笑)。まだまだ制約が多かった時代、鮮やかに軽やかに自分の人生を生きたモダンガールたちはあひるの永遠の憧れ。花組娘役陣、攻めていて◎〜。
 ラインダンスの衣装が、上は着物、下はフリフリスカートで今様アイドル風。そして曲は、アニメ版『はいからさんが通る』の主題歌! ――気合の入ったラインダンスに合わせて手拍子!
 大階段に柚香光が登場し、タンゴの名曲「黒い瞳」に乗っての黒燕尾服シーン。今年1月のプレお披露目公演『DANCE OLYMPIA』のときにも書きましたが(http://daisy.stablo.jp/article/473024515.html)、――もう何年も前からトップを張っていました! みたいな、あの堂々たる安定感たるや。そして、花組男役陣が披露する黒燕尾の舞。天下一品。男役のエネルギーが、ブラウン管(まだブラウン管)からこちら側にスパーク。
 そして、宝塚版主題歌に乗って、白い衣装のトップコンビのデュエット・ダンス――もっと呼吸が合うとさらに良し。
 パラソルをさして大階段を降りてきた、エトワール音くり寿の、「♪はいからさんが通る」の、「♪と・お・る」に合わせての指差しポーズがキュート。青江冬星役の瀬戸かずやは、階段降りだけで役作りに大いに心惹かれるものが。
 そして、大きな羽根を背負って大階段を最後に降りてくる、柚香光――『DANCE OLYMPIA』を観たとき、思っていた。――これ、まだプレお披露目公演だから〜! その感慨は、宝塚大劇場の初日まで取っておいた方がいいのでは――? と。そして、それから半年以上時が流れて、私は、そのとき立ち合えるとは思いもしなかった、その、大劇場公演トップお披露目の初日の瞬間を、こうして観ているのだった。――不思議だった。凍結されていた時間が、一瞬にして融解して、再びごおーっと流れ出すのを観ているような。
 ――ちょうど「フィギュアスケート世界選手権」が中止になったころだったから、3月中旬のこと。「タカラヅカ・スカイ・ステージ」をつけたら、『ベルサイユのばら』が流れていた。私は、そのフィナーレを観ながら、泣くしかなかった。――この、他に世界のどこにもない、慣れていた人間でもときに唖然としてしまうくらい華やかできらびやかな舞台が、今この瞬間、この世界のどこにもない、上演されていないことが、どうしようもなくさみしく、やりきれなかった…。何も、宝塚だけが好きというわけじゃない。けれども、私は宝塚の舞台から、多くのことを学んできた。そして、宝塚で、多くの大切の人に出会った。だから、宝塚歌劇が、一年中常に上演されているということが、どこか心の支えになっていた。そのことに改めて気づかされた。――そして私は、公演が休止されていたこの130日間、宝塚歌劇が今この瞬間この世で上演されていないという事実と、努めて向き合わないようにしてきていた。そして、自分の心の中に残る舞台の記憶を綴ることで、何とか心の中で宝塚歌劇を上演し続けていた。そして、公演再開――宝塚は、変わらず、宝塚だ…と思った。ラインダンスを観ながら、――本当に、今、宝塚の舞台が上演されているんだ…と思った。夢のようだった。夢のような、現実。
 柚香光のトップスターとしての初めての挨拶も、安定感があり、立派なものだった――宝塚歌劇、芸術宣言である。花組組長高翔みずきの挨拶の途中でフライングで自分の挨拶を始めちゃいそうになったところで、若干初々しさを感じさせたけれども。――それにしても、ギリシャ彫刻のような顔立ちである。
 仕事から帰ってきた夫と、録画したフィナーレをもう一度観返していた――それを切り替えた瞬間、「タカラヅカ・スカイ・ステージ」で、『黒い瞳』の名曲「ニコライとプガチョフ」が流れた――ということで、気になることが多々あり、明日13時からの『はいからさんが通る』LIVE配信も観ることにしました――迷いました。というのも、初見の印象が一番重要なので、できれば最初に生で観劇したかった。ただ、東京公演まではまだだいぶ間がある――。ですので、約9時間半にわたって放送される「音楽の日」は生と録画双方で視聴いたします。
2020-07-17 23:36 この記事だけ表示
 タカラジェンヌ有志が、観客への感謝をこめて歌唱を披露する、「タカラヅカ・スカイ・ステージ」のスペシャル番組。まずは、専科の轟悠&五組のトップコンビによる「♪すみれの花咲く頃」。――歌声と共に、うららかな春の陽気に心満たされて。続いて、轟&トップコンビは宝塚大劇場の舞台上に、そしてタカラジェンヌたちが大劇場の客席に立ち、「♪未来へ」と「この愛よ永遠に(TAKARAZUKA FOREVER)」を披露。みんなの首に巻かれたツイリー(スカーフ)を商品として売り出している(そして当然の如く完売している)ところがナイス(笑)。トップ娘役たちが、ピンク、イエロー、グリーン、ブルー、パープル、それぞれの組カラーのワンピースを着ているのがかわいい。「この愛よ永遠に(TAKARAZUKA FOREVER)」をお茶の間で一緒に歌いながら、嗚咽。――私にとっても、大切な思い出がいっぱいつまった宝塚大劇場。今日からまた、多くの人の心に大切な思い出が積み重なってゆきますように。
2020-07-17 23:31 この記事だけ表示
 15時半から「タカラヅカ・スカイ・ステージ」で花組大劇場公演『はいからさんが通る』初日のフィナーレ〜カーテンコール生中継を観ます!
2020-07-17 00:03 この記事だけ表示
 ビターな物語の中で、さまざまに複雑な心情の旅路をたどりながら、ラストの銀橋での表題曲の歌唱で、慈愛すら感じさせたヌードルス役の望海風斗。表社会の陰影としての裏社会に生きる男マックスを演じて気骨のあるところを見せた彩風咲奈。裏社会と裏で手を組みながらも、自分は清廉潔白であるとしれっと言い逃れるジミー役の彩凪翔の役者魂にしびれた。
2020-03-22 23:28 この記事だけ表示
 小池修一郎が宝塚で『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の舞台化に挑むと知ったとき、…彼がこれまで手がけてきた宝塚の舞台の中で、作品へオマージュを捧げたと思しきシーンの数々が心に甦った――彼のこの作品への思い入れは、つとに知られるところだった。念願叶って、遂に作品そのものに取り組むことになったのだ…と思った。その意味で、今回の雪組公演は、小池修一郎の原点回帰シリーズなのである――シリーズ前作は、30年あまり舞台化を夢見た後、2018年に実現した花組公演『ポーの一族』である。『ポーの一族』『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』と、小池修一郎が舞台化の夢を叶えた二つの作品の主演を務めたのが、明日海りお、望海風斗と、89期として切磋琢磨してきた二人の男役トップスターであったことを、非常に興味深く思う。
 3月9日の項で記したように、私は、原作映画について知りながらも、これまで観る気になれないでいた。そして、雪組公演にふれたことをきっかけに、遂に鑑賞することとなったわけだが、――作中の数々の暴力シーンの中でもっとも衝撃的だったのが、ロバート・デニーロ演じるユダヤ系ギャングのヌードルスが、子供のころから想いを寄せてきた幼なじみで女優のデボラ(エリザベス・マクガヴァン)を、ドライバーが運転中の車の後部座席でレイプするシーンである。お互い、憎からず思っている。けれども、女優としてのさらなる飛躍を目指すため、地元を離れるというデボラに対し、ヌードルスはかような手段に出る――嫌がっている相手に対してそういうことをして、はたして、それで、想いを遂げたということになるのだろうか…。後部座席で繰り広げられる蛮行に怒り、ヌードルスを車から降ろして金を受け取らずに去っていくドライバーに、私は拍手喝采を送りたい。
 そこが。宝塚版では、一幕ラストのクライマックスの場面となる――そして、宝塚版では、ヌードルス(望海風斗)の手からデボラ(真彩希帆)は逃げ去り、蛮行は成立しない。彼女のために深紅のバラで飾り立てた部屋に取り残され、ヌードルスは一人、激情を爆発させて絶唱する。――幕切れ。
 …これなら、男の気持ちもわかる…と思ったのである。“通訳”されている。そこまでして、愛する女を手に入れたかった気持ち。愛が拒絶されたときの心情。伝わらないもどかしさ。やるせなさ。絶望。行き場のない想い――。

 宝塚版では、映画版より、ヌードルスとデボラの叶わぬ恋に焦点が当てられている。そして、デボラは、映画版よりさらに明確にショービジネスのトップを目指す人物として描かれている。彼女はブロードウェイでスターとなり――大階段を埋め尽くす巨大なスカートの衣装できらびやかなショーの芯を務め――そして、映画界での成功を夢見てハリウッドへと旅立つ。しかしながら、自分を見出してくれたプロデューサーとの恋に破れた彼女は、途中で女優を引退し、ボランティア活動に勤しむこととなる――映画版のデボラが舞台に立ち続けているのとは異なる展開である――。そして、ヌードルスとデボラは、彼女がボランティアで訪問しているサナトリウムで、25年ぶりに再会する。――私は、このサナトリウムのシーンで、小池修一郎が手がけた最大のヒット作『エリザベート』において、皇后エリザベートが精神病院を訪問する名場面を思い出さずにはいられなかった。
 『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の原作映画自体、主人公ヌードルスが追憶するさまざまな過去の時代と、現在とが、重層的に交錯する作品である。――そして、宝塚版において、歌劇団理事としての立場で手がける最後の作品において、座付き作家自身も、過去の自分を、自分が劇団においてこの年月に生み出し世に送り出してきたさまざまな作品を、追憶している。そして、その追憶がまた、観る者の追憶をも促す――追憶の、連鎖。
 ――夢見たすべてを叶えることのできる人生が、この世にはたして存在するだろうか。さまざまな夢を、期待を抱き、ときに実現し、ときに裏切られ、そうして人の生は日々積み重なっていく。
 映画版において、ヌードルスに対してギャング仲間のマックス(彩風咲奈)が抱くのは、ほとんど恋にも近い感情である。ラスト近くでの対峙で、お前になりたかった、とマックスはヌードルスに言う。そのため、お前の女も盗んだ――と。一方、宝塚版では、自分を銃で殺してくれとのマックスの願いをヌードルスが拒絶するところまでは映画版と同じだが、その後のヌードルスの告白の方がより印象的である。自分という人間が同じ時代のアメリカに生きていたことを覚えていてくれと、ヌードルスは言う。そして、銀橋で、表題歌を歌い上げて、幕となる。――『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』。昔々、どこかの場所で――。
 関わるさまざまな立場の人間の生を飲み込んで、106年もの間、存在し続けてきた宝塚歌劇団。その歴史の長さと、重みを思う。

 太田健の音楽が実にかっこいい。そして、追憶を促す上で大きな役割を果たす――私がとりわけ強く思い出したのは、小池&太田コンビが生み出した『カサブランカ』『オーシャンズ11』といった傑作群である。宝塚版の特色として、マックスの情婦キャロル(男役の朝美絢がコケティッシュに造形)を、マックスが経営する潜り酒場のスターに設定、彼女が歌うショーのナンバーが物語の展開上も大きな役割を果たすという構成が挙げられるのだが、その際繰り広げられる楽曲は、ジョン・カンダー&フレッド・エブのコンビが送り出したブロードウェイ・ミュージカル『キャバレー』『シカゴ』の世界を思わせる。
 そして、小池演出と望海風斗の演技は、映画版でロバート・デニーロが発揮した男の魅力を実に細かくすくい上げていく。目線。仕草。望海は、デニーロは演じていない少年時代から役を造形し、そして、持ち前の歌唱力でその心情を爆発させる。――望海風斗が、座付き作家の長年の夢を託されるにふさわしい男役トップスターへと成長したことが、心からうれしい。その舞台姿に見えるのは、宝塚の男役という存在が秘めた無限の可能性をどこまでも信じる、無垢かつあくなき探究心である。その心なくして、夢は体現されることはなかった。
 宝塚版のデボラもまた、芸の道を一筋まっすぐに歩む娘役トップ真彩希帆にふさわしい役どころである。ひたむきにショービジネスのトップを目指す姿が、一縷の嫌味もなく清々しい。彼女の歌声には、聖性がエロスに転じるぎりぎりの間(あわい)を無意識に衝いてくるスリリングさがある。
 マックスを演じる彩風咲奈は、役柄の後ろ暗さを男役の魅力にきちんと転じており、一時期のスランプを脱したことが喜ばしい。実在の人物がモデルとなったジミーを演じる彩凪翔は、その役者としての安定した力量で、舞台をぐっと引き締める。真那春人の細かな目の動きに、役名コックアイの意味“斜眼”に思い至り。デボラの兄ファット・モー役の奏乃はるとは、確かなセリフ回しで物語の狂言回し的役どころを務める。
 今回の“心のキャラ”は、ヌードルスたちギャングが押し入る宝石店のマダム、ジュリーを演じた杏野このみ。映画とはだいぶ異なる味付けがなされている役どころだが、彼女のコメディエンヌぶりが活き、清涼剤となっている。客席に対し実にさわやかにしかしぐいぐい迫ってくるところが魅力の、長身の娘役である。

 この公演で退団となる舞咲りんは、少女時代のデボラにバレエを教えるシュタインを演じ、厳しい先生ぶりを発揮。それと同時に、ブロードウェイのショーの場面の出演者、全米運送者組合のストライキの場面の労働者、会見の場面での記者等、さまざまな場面に登場、そのたびに強烈な生のエネルギーを放ってきて、どこにいてもすぐわかる。フィナーレのダンス・ナンバーも然り。――彼女はその宝塚人生において数々の名演を見せてきた。そして、ここで縁が終わる気がまったくしない。また劇場で会いましょう。
 サナトリウムのシーン、院長として登場する早花まこは、…実に興味深い印象を与える娘役である――本体とおまけとがあるとして、こちらの方が大きいから本体かな? と想像していたら、実はおまけに見えていた方が本体だった…というような。今回の舞台で、ひときわその印象を強くした。最近の舞台では、要所要所で「、」のようにガツンとアクセントを効かせてくる、『ハリウッド・ゴシップ』のダイナーの女主人役が心に残る。彼女は「歌劇」誌で長年「組レポ。」のコーナーを担当していたが、…いったいどうやってこんなにおもしろいネタを拾ってくるんだろう…と、物書きとして非常に興味そそられていたことだった。

 2020年3月22日。――無観客にならなくてよかった。千秋楽の舞台、お茶の間で見届けます。
2020-03-22 01:50 この記事だけ表示