ショー・ジャンルのベストは星組『JAGUAR BEAT―ジャガー・ビート−』(作・演出:齋藤吉正)。芝居ジャンルのベストは星組『1789−バスティーユの恋人たち−』(潤色・演出:小池修一郎)。本公演(本拠地である宝塚大劇場&東京宝塚劇場での公演)以外の劇場公演のベストは、月組『DEATH TAKES A HOLIDAY』(シアターオーブ、潤色・演出:生田大和、配信視聴)と、星組『ME AND MY GIRL』(博多座、脚色:小原弘稔、脚色・演出:三木章雄)。年明けの『JAGUAR BEAT』で勢いに乗った星組が爆走していった感あり。
 新人賞は、トップ娘役就任作『ジュエル・ド・パリ!!−パリの宝石たち−』で破壊力満点の舞台を見せた雪組の夢白あや。そして、『ENCHANTEMENT−華麗なる香水−』でショースターぶりを、『鴛鴦歌合戦』でコメディエンヌぶりを発揮した花組の星空美咲。
<始まりは『BLUE・MOON・BLUE』>
 『JAGUAR BEAT−ジャガー・ビート−』について語る前に、まずは作・演出の齋藤吉正の宝塚大劇場ショー・デビュー作、月組『BLUE・MOON・BLUE−月明かりの赤い花−』(2000)について語らなくてはならない。砂漠にたたずむ瀕死のゲリラ戦士(真琴つばさ)が、美しく妖しい赤い花(檀れい)にいざなわれ、蛇ナーガ(紫吹淳)も登場する幻覚を見る――。設定も、音楽の流れ方も、斬新だった。観客の受け止め方は分かれた。「意気揚々に迎えた初日公演終演後の客席のなんともいえない舞台との大きな温度差と壁」と、作者自身が『JAGUAR BEAT』公演プログラムで語っている。作者は重ねて、「いつも胸の奥で引っかかるものは『BLUE・MOON・BLUE』」「至らなかったものばかりが思い出される作品ですが今の私にはない“チャレンジ”がそこにはありました」と述べ、その“チャレンジ”を今の星組、すなわち『JAGUAR BEAT』に賭けるとしている。
 宝塚大劇場、東京のTAKARAZUKA1000days劇場、博多座と上演された『BLUE・MOON・BLUE』だが、2000年にはベルリン公演(フリードリッヒ・シュタットパラスト劇場)が行なわれ、各組から選抜されたメンバーが参加したことなどもあり、前述の配役で上演されたのは宝塚大劇場公演のみである。

<「ラインダンス早すぎ!」問題と『タンホイザー』>
 宝塚歌劇には欠かせないラインダンスだが、『JAGUAR BEAT』においてその登場シーンはかなり早い。プロローグ終わりに行なわれる。『JAGUAR BEAT』の感想として、「あっという間に終わった」「長く感じた」の双方が見受けられる。暗転を一切入れずに展開していく手法に加え、ラインダンスの配置の影響もあったと考え得る。
 1月に「パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂」展を観に行き、リヒャルト・ワーグナーが『タンホイザー』をパリ・オペラ座で上演する際、バレエをどこに配置するかでいろいろあったとの展示を見た。そして実際、その月に新国立劇場オペラハウスで上演された『タンホイザー』を観ると、バレエ・シーンが開始早々出てくる。『タンホイザー』パリ・オペラ座公演におけるバレエの配置位置は、当時の劇場の状況、慣習とも関わる問題でもある。だが、言葉なしで踊りのみでつづるシーンを作品の流れ的にどこにもってくるかという問題を考える上で、非常に興味深かった。

<“二刀流”で気づいた>
 「『JAGUAR BEAT』はトップスターの出番が多すぎる」と言う人がいた。正直、私はそのことについて、これまであまり考えたことがなかった。しかし。3月のWBC決勝「日本対アメリカ」で大谷翔平選手の二刀流出場を初めて観て、何だか腑に落ちた。抑え投手として登板するためブルペンで調整したり、打席が回ってきそうになったらまたベンチに戻ったり、めちゃめちゃ忙しい。舞台だと、裏は見えないので、わからないのである。

<四人娘と五人衆>
 『BLUE・MOON・BLUE』には、蛇ナーガの取り巻きとして、娘役たちによるウサギ四人娘が登場。アジアン・ムードの宙組『満天星大夜總会―THE STAR DUST PARTY―』(2003)にはパンダ四人娘が登場した。『JAGUAR BEAT』においても、中詰の第12場Eでワイルドキャット四人娘が登場し、JAGUARとキュートに戯れる。
 第13場Aでは、バファロー(瀬央ゆりあ。この場ではトヒル)、青の神(綺城ひか理)、黒の神(暁千星)、赤の神(天華えま)、白の神(極美慎)の“五人衆”が登場する。雪組『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』(2011)の中詰後にも、五人衆が銀橋上で次々キャッチフレーズを決めていくシーンがあった。このシーンで、1975年から1977年に放送された特撮テレビドラマ『秘密戦隊ゴレンジャー』の名乗りを思い出したのだが、『秘密戦隊ゴレンジャー』自体、歌舞伎の『青砥稿花紅彩画』(通称『白浪五人男』)を原典としていることをこのとき知った。ちなみに、『JAGUAR BEAT』東京公演中の1月の「壽 初春大歌舞伎」(歌舞伎座)第一部でちょうど『弁天娘女男白浪』(『青砥稿花紅彩画』のうち<浜松屋見世先の場>と<稲瀬川勢揃いの場>を上演する際の外題)を上演しており、原典の原典と同時期に観ることができた。

<改めて、その構造>
「この作品、創った人の頭の中、いったいどうなってるんだか観てみたい……。あ、今、観てるのか」
 と、初見のときに思った『JAGUAR BEAT』だが、次第に見えてきたその構造について。
 JAGUAR(礼真琴)とクリスタルバード(舞空瞳)が、バファロー(瀬央ゆりあ)やクリスタルバードの翼を奪って逃げたマーリン(暁千星)と宇宙空間でさまざまなドラマを繰り広げた果て、美の彼岸で一つとなり、デュエットダンスを踊る(ここまでが第21場)。そこに、ジャガー横田の「愛のジャガー」、西城秀樹の「ジャガー」、春畑道哉の「JAGUAR」と“ジャガー”尽くしのフィナーレがつく。第21場のデュエットダンスによってJAGUARとクリスタルバードは一体となっていることから、このフィナーレにおいて、JAGUARは自分を鼓舞すると同時に、クリスタルバードをも鼓舞していることになる。以前書いたが、JAGUARはクリエイター、クリスタルバードはそのミューズ、インスピレーション――宝塚作品の舞台を見守るすべての観客が内包される――であり、ここに、『JAGUAR BEAT』は、劇場空間そのものを祝福する。その空間に、思う。「創造(SOUZOU)」と「想像(SOUZOU)」の翼は、舞台上と客席とで分かち合ってこそ。

<効果と予言>
 以前記したように、1月にこの舞台を観劇した後、毎日のように映像を観ないとおさまらない状態になった。そして気づいたのが。
 ものすごく気持ちが楽になった! ――1972年に日本で女性として生まれた自分、生きてきた人生を、そのまま受け止められるようになった。もちろん、自分として最大限の努力はしていく。でも、今さら他の誰にもなれない。ならなくていい。
 男役としてせつなさを身上としている礼真琴がJAGUARを演じたこともあるのか、第23場の「JAGUAR」を歌いながらの銀橋渡りがせつないのである。よって、『ROYAL STRAIGHT FLUSH』の歌詞「♪俺とお前の合言葉」に従い、“俺−お前”呼びで行かせていただく。
「俺とお前がいるここも世界だ!」

 警鐘を鳴らすため、歴史を叙述したら、何だか違うところで予言になってしまった、そんな作品、『JAGUAR BEAT』。警鐘は重く受け止める。二度と“マーリン”をナルキッソスにはしたくない。
 ――俺のこの闘い、愛するお前がいなきゃ、意味ないんだよ!
 そんなキャッチコピーをつけたくなるような、暁千星のビルなのだった。そうして、物語の間中、暁ビルは二方向において闘いを繰り広げる。サリー(舞空瞳)との愛を守らんがための彼女との闘い。ロンドンの下町ランベス育ちの自分を、愛するサリーとセットで当主として受け入れよとの、ヘアフォード伯爵家との闘い。サリーが貴婦人然とした姿で戻ってきて、ハッピーエンドと思いきや。
「この二人、きっとこれからも苦労するんですよ」
 ……とでも言いたげな。これからもタフな闘いは続く、そんな示唆。いや、まあ、「ご当主とご令室、ランベス育ちなんですって」とは言われ続けそう。でも。愛する相手が一緒ならば、乗り越えていけるのでは?
 暁のビルの演技を観ていると、このギャグはもともとの台本上入っているものなのか、それとも後の段階で加えられたものなのか、気になってくるところがある。手元にある英語台本を見てみると、演技上違和感を覚えていると思しき箇所のギャグは記されていない感じ(それでもそこできっちり笑いを取りに行ってはいたが)。確かに、「土手かぼちゃ」って昔は聞いたけど……。これからも愛され続けていく作品だと思う。次の上演の機会にアップデートを望みたい。
 第二幕第二場、ヘアフォード家の先祖たちが肖像画から出てきてビルの叔母マリア公爵夫人(小桜ほのか)と共に『ヘアフォードの歌』のナンバーを歌い、タップ・ダンスを繰り広げる「図書室」の場面を観ていて、2019年秋、母と共に訪れたイギリス・ケント州のノール・ハウスを思い出した。ヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』の舞台であるノール・ハウスの薄暗いギャラリーにはずらっと肖像画が並んでいて、その屋敷で流れてきた時間、歴史の重みに圧倒されるような思いがした。
 ジャッキーを演じた極美慎のあっけらかんとしたセクシーさ。彼女を愛するジェラルド役天華えまのあまりにもあっけらかんとした“働きたくない感”に笑う。ヘアフォード家の弁護士パーチェスター役のひろ香祐の軽快な動き。そして、気になったのが、輝咲玲央演じる執事ヘザーセットの存在。『家政婦は見た!』(というドラマが昔あった)ならぬ“執事は見た!”、ではないですが、あれこれ知っていそうな佇まい。
 トイレは高級ホテルばりに広くて多くて、売店も大充実(作品にちなんでスコーンの出店あり、高級ブランドの洋服のセールや着物の販売までやっていた)、日本でもっともホスピタリティにあふれる劇場の一つである「博多座」に宝塚観劇に行ったのは、安蘭けい率いる星組(!)公演以来、16年ぶりでした。
 1974年に初演された『ベルサイユのばら』(池田理代子の同名少女漫画が原作)は、宝塚歌劇団にとって起死回生の大ヒットとなった。以来、宝塚では、フランス革命期を舞台にした作品が多く上演されている(おもしろいところでは、漫画『ルパン三世』を原作とする雪組『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』もまたフランス革命ものである)。
 2012年にフランスで初演され、2015年に月組で日本初演されたこの『1789−バスティーユの恋人たち−』も、フランス革命を題材にしたミュージカルである(潤色・演出:小池修一郎)。初演の際は月組トップスターの龍真咲が主人公のロナン・マズリエに、トップ娘役の愛希れいかがフランス王妃マリー・アントワネットに扮した。今回の星組公演では、星組トップスターの礼真琴がロナン・マズリエ、トップ娘役の舞空瞳が王太子の養育係でロナンの恋人となるオランプという配役。
 小池修一郎は、行き過ぎたフランス革命を揶揄するブロードウェイ・ミュージカル『THE SCARLET PIMPERNEL』の潤色・演出を手がけた経験もある。そして、今回の『1789』において、『ベルサイユのばら』が親しまれていることを念頭に置きつつもこれと絶妙の距離を保つ手腕が光った。例えば、王妃マリー・アントワネット(有沙瞳)にフェルゼン(天飛華音)が別れを告げるシーン。『ベルサイユのばら』を知る観客ならば……これはあの場面……とピンと来る場面だが、同じようにやっても『ベルサイユのばら』をなぞることになってしまう。示唆はしつつも異なるものとして提示する、その線引きが巧みだった。火薬を手に入れるためバスティーユ要塞に乗り込んでいったロナンは、銃弾を受け、オランプや仲間に見守られて死ぬ。その後、登場人物たちが「人間および市民の権利の宣言」の文章を読み上げ、歌となり、魂となった礼のロナンが白い衣装でその中で舞うとき、歴史上自由を求めて闘った人々への鎮魂の念が込められているのを感じた。ロナンがオランプとの恋に身を焦がす姿に、礼真琴が男役として身上とするせつなさが生きた。オランプの舞空瞳も、自分の責務と素直な思いとの間に揺れる姿で本領発揮。そのコミカルな演技は、重い作品の中での清涼剤的楽しさ。
 『ベルサイユのばら』には、バスティーユ襲撃の前、オスカルが、貴族の身分を捨てて皆と共に闘うと告げる名場面があるが、『1789』においてはカミーユ・デムーランのナンバー「武器を取れ」につながるところがある。デムーランを演じた暁千星の歌唱は作品におけるこのナンバーの重要性をきっちり踏まえたものだった。
 ルイ16世の弟アルトワ伯爵役の瀬央ゆりあの、これみよがしでない妖しさ、冷やかさ。専科の輝月ゆうまが演じるペイロール伯爵は、権力なるものがときとして内包する悪を象徴するかのようだった。白妙なつのポリニャック夫人役には、映画『マリー・アントワネットに別れをつげて』(とは王妃との関係性は違うが)を思い出し。国務大臣ジャック・ネッケル役の輝咲玲央の重厚な演技。
 モーリー・イェストンが作詞・作曲を手がけた2011年初演のオフ・ブロードウェイ・ミュージカルの日本初演で、潤色・演出は生田大和。宝塚ではイェストン作品は『グランドホテル』が二度、『ファントム』が四度上演されている。この作品の音楽にもところどころ『ファントム』を思い出し。
 人の命を奪うことに疲れた死神(月城かなと)が、人間の姿を借りてこの世で過ごし、人間について、生について探求していく。人ならざる存在を通じて人間の生を描く、ヒット作『エリザベート』とも共通する趣向である。そしてこちらは少々コミカル・タッチ。ニコライ・サーキ青年となり、人間として初めて食べる朝食のサニーサイドアップをスキップして喜ぶ死神がかわいい。そして、なんせ人間としては非常に初心なところが周囲の人々を翻弄してしまう。初めての恋を知る死神にときめき――人を好きになるという感情を初めて知ったのは、それが恋なのだと初めて知ったのは、いつだっただろう……と。月城は、「人として、生きて」、「One More Day」のナンバーの歌唱もよかった。
 月城の演じる死神を観ながら、――宝塚の舞台を踏み、去っていったタカラジェンヌたち、そのうち私がその舞台を観ることのできた人々の芸が、ふとしたところからそれこそ善き“ファントム”のように顔を出すのを見つけたときの歓びについて、改めて考えた。そして、この作品の脚本を手がけたトーマス・ミーハンとピーター・ストーンがすでに故人であることも。死して思いは残り、二人は、作品を通じて人間の生を讃え続ける。人間が生を大切にしていないと怒る死神は、最終的に「愛は死よりも強い」との境地に至る。そのセリフが重みをもって響いた。
 死神を愛することとなるヒロイン・グラツィア役の海乃美月も、どこか夢見ているような発声がとても魅力的。デュエット曲「More and More」では月城サーキの愛の熱量に包容力をもって応えた。時代は1920年代、加藤真美が衣装を手がけたグラツィアのドレスはどれも素敵なデザインで、その着こなしもよかった。
 グラツィアの父ヴィットリオ・ランベルティ公爵(風間柚乃)とランベルティ家に仕える使用人頭フィデレ(佳城葵)だけが、死神の正体を知っている――二人のやりとりの妙。風間はヒゲもよく似合ってダンディ、死神、すなわち生に真摯に立ち向かう。佳城の軽妙な演技には“芝居の月組”の継承をみる思い。ランベルティ家の古くからの知り合いである老エヴァンジェリーナ・ディ・サン・ダニエッリ伯爵夫人(彩みちる)がすぐさま死神の正体を察知するところに、どこか『リトル・ナイト・ミュージック』のマダム・アームフェルトを思い出し。そのエヴァンジェリーナが、彼女に長年優しく思いを寄せ続けたダリオ・アルビオーネ男爵(英真なおき)と遂に結ばれる展開にほっこり。死神とは知らずサーキを狙うメイドを桃歌雪が色っぽく演じる。海乃グラツィアとその義理の姉アリス(白河りり)、グラツィアの親友デイジー(きよら羽龍)が三人で歌う「Finally to Know」もキュートだった。
 4月5日11時の部観劇(日本青年館ホール)。2016年にパリで初演されたフレンチ・ミュージカルを、谷貴矢の潤色・演出で。宝塚では1975年に初演された柴田侑宏作・演出の佳作『赤と黒』が上演を重ねており、……安蘭けい主演の2008年星組版、おもしろかったな……と記憶をたどりつつ観る(2008年星組版に出演していて好印象を残した英真なおきと白妙なつがこのたびも出演していたということもあり)。ブルジョワを揶揄するようなところのあるこのフレンチ・ミュージカルで、パリで活躍する歌手でストーリーテラーも兼ねるジェロニモを演じる暁千星が魅力を放った。暁は、月組時代の『川霧の橋』(2021)で色悪的な役どころを演じた際も、庶民の暮らしは楽にならないといった意のセリフを吐いて凄みを見せ、やはり月組時代に主演した『ブエノスアイレスの風』(2022)では、1900年代半ばのアルゼンチン・ブエノスアイレス、反政府ゲリラのリーダーとして政治犯で服役するも特赦で釈放された主人公という役どころを、ウクライナ情勢を含む現代社会への眼差しを感じさせる演技で構築した、鋭くときにシニカルな視点が光る人である。ジェロニモの演技においても、女性が男性を演じる宝塚ならではの中性的で妖しい魅力を大いにふりまきながらも、そのシニカルな眼差しをもって、主人公ジュリアン・ソレル(礼真琴)が繰り広げる愛と階級闘争の物語をストーリーテラーとして観客に提示した。ヴェリエール貧民収容所所長ムッシュー・ヴァルノ役のひろ香祐とその妻ヴァルノ夫人を演じた小桜ほのかは、『レ・ミゼラブル』のテナルディエ夫妻を思わせるようなコミカルな活躍〜――小桜は案外怪演系なんだな、と実感。
 13時の部観劇(昭和女子大学人見記念講堂)。
 作・演出は藤井大介。入団2年目の柚香光は藤井の手によるレビュー『Le Paradis!!』(2011)でパリの妖精フィーに扮した。舞台度胸のよさが実に鮮烈で、……すごい子が出てきたな……と。来年退団する柚香の宝塚生活を振り返る今回の公演は、そのフィーが成長した姿を見せていくという趣向。オープニング、『Le Paradis!!』の懐かしいメロディと共に、白い衣装の柚香が踊り出す、そのふわっと感がまさに妖精のよう――振付が柚香自身によるものとMCで聞いて驚いた(「R.Y.」名義)。他にもダンス・シーンがふんだんに盛り込まれ、手先足先のアクセントのつけ方、そこにただよう微妙なニュアンスなど、見どころいっぱい。今年3月、やはり踊れるトップスターとして鳴らした柚希礼音が黒田育世演出・振付のコンテンポラリーダンス作品『波と暮らして』に出演していて、非常によかったので(こちらの作品については後日書きます)、柚香も退団後ぜひコンテンポラリーダンス作品に挑戦してほしいと思った。星風まどかとのデュエット・ダンスでも、柚香が腕一本だけで星風の背中を支えて回すという、このトップ・コンビならではの難しいリフトを華麗に披露。
 聖乃あすかが“白の男役”としての魅力を発揮。男役としては攻めた感じの長髪で登場した希波らいとの気迫。下級生にまで活躍の場を与えたいとの演出家の心配りも光る。本日の「日替りコーナー」では愛乃一真と龍季澪が登場、柚香がかつて『ME AND MY GIRL』で演じた弁護士パーチェスターのナンバー「家つき弁護士」の替え歌を3人で歌い踊った。歌詞と振付は愛乃と龍季によるもので、花組男役道が歌詞に織り込まれ、二人が柚香をはじめとする先輩たちの姿をどうとらえて芸に邁進しているのか、伝わってくるものがあった。このナンバーはパーチェスター以外の人物が歌う箇所があるが、そこは声色を変えてくるなど芸が細かい。続いては星風が「愛をこめて花束を」を熱唱、娘役たちを引き連れて踊り、宝塚の娘役なる存在へのエールを感じさせた。そして柚香が女性の姿(美脚もあらわなホットパンツ姿)で現れて「プレイバック Part2」を歌い、男役ならではの妖しい魅力を披露。出演者全員で登場し、柚香を中心に「僕のこと」を歌うラストは、花組生たちの柚香への思いがあふれて。
 柚香がこれまで出演してきた作品からのナンバーで構成されている場面が多く、自然とこの間の花組の歴史をも振り返るところがある――藤井がこの間『EXCITER!!』『CONGA!!』といったヒット作を花組で連発してきたことをも思い出す。そして、下級生時代から飛び級のように活躍してきた柚香光という存在の礎となっているものを非常に興味深く感じた公演だった。
 『フリューゲル−君がくれた翼−』に関しては、先に『ロシアン・ブルー−魔女への鉄槌−』(2009、雪組)についてふれたけれども、その後何だか、『A-“R”ex−如何にして大王アレクサンダーは世界の覇者たる道を邁進するに至ったか−』(2007−2008、月組。作・演出=荻田浩一)の記憶も心の中で浮上してきて。“ハッピーエンド”にこだわり続ける主人公のドイツ民主共和国人民軍地上軍大尉ヨナス・ハインリッヒ(月城かなと)が、世界的ポップスター、ナディア・シュナイダー(海乃美月)からの西側に来ないかとの誘いを一度は退けるも、ベルリンの壁崩壊後に「もういいだろう」と軍章を胸から外して遠くに投げるラスト近くのシーンが心に残る。共和国を守り抜かんとする人民軍大尉ヘルムート・ヴォルフ(鳳月杏)が芯となっての社会主義パロディ場面については、振付家アレクセイ・ラトマンスキーが2003年にボリショイ・バレエで復活上演させた『明るい小川』(ドミートリイ・ショスタコーヴィチ作曲。1936年の初演の際はソ連共産党機関紙『プラウダ』で酷評された)をもどこか思い出し。東側の軍人を演じる月城のかっちりとした姿勢、立ち居振る舞い。6月の『DEATH TAKES A HOLIDAY』でヒロイン・グラツィアをどこか遠くを夢見るような発声で造形した海乃美月は、今回は、自由な世界へと主人公をいざなう、ド派手衣裳の奔放なポップスター役。不思議な人である――古風かと思いきやモダンで、でも、モダンかと思うと古風で、サバサバかと思いきやウェットで、でも、ウェットかと思うとサバサバで、という具合に何だか絞り切れない魅力を、芝居でもレヴューでも発揮。宙組公演『カジノ・ロワイヤル 〜我が名はボンド〜』の“007”ことジェームズ・ボンドのパロディのようなエージェント”00ワンダホー“(かつてのKDDの国際電話のCMのキャッチコピー「ゼロゼロワンダフル」を思い出した)ルイス・ヴァグナー役風間柚乃の気持ちよさそうな歌唱は、客席への波及力大。人民軍人ソフィア・バーデン役梨花ますみの鉄の女ぶりのおかしさ。「チルチルミチル」のコードネームで客席を湧かせる共和国諜報部員ミク・エンゲルス役の彩みちるは、娘役芸が洗練された今だからこそさらにはじけていってほしいと思う。
 江戸時代から現代までの東京のさまざまな情景を背景に、花火師(月城かなと)と花魁(海乃美月)が輪廻転生しながら最終的に結ばれるまでを描く『万華鏡百景色』――陰陽師と妖狐が転生を繰り返す『白鷺の城』(2018、宙組)も思い出す趣向。戦後の闇市でドン(月城かなと)と警官A(風間柚乃)が歌うのが『三文オペラ』の「大砲の歌」というのがおもしろい。「目抜き通り」に乗っての月城かなと&海乃美月のデュエットダンスに晴れやかさ。鳳月杏は芝居&レヴュー共々さらに気合が入った感あり。大正時代のモダンガール役彩みちるの踊りの伸びやかさ。

 本日の千秋楽をもって退団する蓮つかさは、優しい甘いマスクの男役。『今夜、ロマンス劇場で』(2022)で、映画の中から飛び出したお姫様を守る三獣士の一人、狸吉役でほっこりキュートな魅力を見せていたのが印象深い。『フリューゲル−君がくれた翼−』では、ヨナスの母(白雪さち花)の過去を知る弁護士ニコラ・シューバルト役。スーツ姿で、誠実であたたかみのある芝居を見せた。『万華鏡百景色』では、シティ・ポップを用いた中詰、シュガーベイブの「DOWN TOWN」(世代的に、『オレたちひょうきん族』のエンディングテーマだったEPOによるカバー・バージョンが馴染み深い)が流れる場面に登場、抜け感のある洒落たムードを歌と踊りで体現していた。
 名門ヘアフォード家を守らんと奮闘するマリア公爵夫人役の小桜ほのかが快演怪演。亡き兄、すなわちビル(水美舞斗)の父親に対して妹としてどんな感情を抱いていたか、緻密な役作りに想像があれこれふくらんで。そんなマリアを長年ひそかに愛し続けてきたジョン卿(暁千星)――物語冒頭から、恋心を言い出せない気弱さを酒を飲むことでまぎらわしてきた哀愁がにじむ――が、マリアへのその愛ゆえに、マリアの願いもビルの願いもビルの恋人サリー(舞空瞳)の願いも粋にかなえる大団円に涙。――伝統を守り続けていくこと。守り続けていくためにも、ときには新しい風が必要であること――。小桜は、フィナーレでの「ME AND MY GIRL」の歌唱も、マリアの中になおもある乙女心を表現していて◎。
 小刻みな役替わり公演、ビルとジョン卿で役替わりしている水美舞斗と暁千星はもちろんのこと、周りのキャストも大変だろうな……と。二人のビルの相手を務める舞空瞳のサリーは、心がぐわんぐわん揺れるところが非常に人間らしくていい。
 演者が変われば物語も変わる!