夫が90年代後半にイギリスに単身留学していた際、仕事の休みを利用して2年間で12回訪れた。その際、『恋する天動説』の舞台であるブライトンにも何度か足を運んだ。ロンドンから列車で二時間弱の、海浜リゾートとして名高い街。ジョージ4世が摂政王太子時代に建てた王室の離宮ロイヤル・パビリオンが有名だけれども、この建物、外観も内装もオリエンタル風で不思議な雰囲気である。後のジョージ4世といえば、星組公演の一つ前の雪組公演『ボー・ブランメル〜美しすぎる男〜』で瀬央ゆりあが演じていた役。作中、プリンスの浪費が問題になっていたけれども、このロイヤル・パビリオン建設にも莫大な費用がかかったそうである。そしてもちろん、今回の作品にも登場する、遊園地やゲームセンターを備えたパレス・ピアも楽しい場所。海辺のさわやかさと同時に、日本でいうなら熱海や、ミュージカル『Love Never Dies』の舞台になったニューヨーク市ブルックリン区のコニーアイランドとも共通する、行楽地ならではのある種独特の雰囲気を感じた。
 そして、パレス・ピア以外の桟橋もあった。ウエスト・ピア。時代設定が1964年で、ブライトンも登場する映画『さらば青春の光』(1979)でも、パレス・ピアの向こうに映っているように思う。パレス・ピアより30年以上も前に作られたこのウエスト・ピアは、1975年に閉鎖され、90年代後半には海辺に廃墟の如き姿をさらしていて、復興させようという活動をしている団体が探訪ツアーを主催していた。私は新入社員時代に記者を務めていた雑誌で廃墟特集を組んだ廃墟好きだったので、即参加を決めた。夫は別に廃墟好きでも何でもないのだけれども、妻に何かあるといやなのでいやいや参加。というのも、彼は高所恐怖症なのだけれども、桟橋は痛んでいて、歩くとけっこう怖いのである。何かあっても自己責任という誓約書に署名をして、ヘルメットをかぶり、ガイドに引率されて桟橋の廃墟を歩いていく。桟橋途中に残る建物に入ると、そこら中、海鳥の糞だらけで、匂いが目にしみそうになる。少し離れたところに見える華やかなパレス・ピアの景色と、ヘルメットをかぶってへっぴり腰で歩いている夫の姿と、すさまじい匂いと、そんな記憶。その後、ウエスト・ピアは、嵐があり、火災があり、相当程度崩壊してしまったという。だから、あの日観た景色は、もはやこの世にはなくて、幻のように心の中に存在している。
 宝塚歌劇の男役も娘役も、社会とそこに生きる人々のありようを映して変容していく。この公演の千秋楽をもって退団となる雪組トップ娘役夢白あやは、『ボー・ブランメル〜美しすぎた男〜』(作・演出/生田大和)のヒロイン、女優ハリエット・ロビンソンに扮して、女性の本音、欲望の部分を、これまでのヒロインたちよりさらにはっきりと描き出す。宝塚の娘役として踏み込んだ新たなる領域である。そこまで描き出しても成立しているのは、夢白あやが己の娘役芸を完成させたからである。
 主人公ボー・ブランメル(朝美絢)は、己の体現する美を武器に貧しい環境からのし上がったものの、夢白演じるかつての恋人ハリエットと再会。彼女によって真実の愛を教えられるが、二人は別々の道を歩むこととなる。フランク・ワイルドホーンの作曲した壮大な愛の曲『君は僕の全て』を朝美ブランメルが歌い上げる中、夢白ハリエットが薔薇の花束を手に銀橋を渡り去っていく場面は、退団後おそらく女優として活躍していくのであろう夢白あやへの、最高の餞のシーンである。
 夢白の後任トップ娘役の発表があった音彩唯はプリンス・オブ・ウェールズ(瀬央ゆりあ)の妻キャロライン皇太子妃役。音彩は2023年、朝美が主人公であるデンマークの実在の医師ヨハン・ストルーエンセを演じた『海辺のストルーエンセ』で、彼と不倫の恋に落ちるカロリーネ・マチルデ役を路線娘役の領域で好演していた。なのですが、『ベルサイユのばら−フェルゼン編−』(2024)の野望の女ジャンヌ・バロワ・ド・ラ・モットが強烈で、娘役としてどういう方向で行くのかなあ……と。今回演じたキャロライン皇太子妃においては女の怖さを夫への愛とうまく両立させて表現していたので、夢白が切り拓いた新たな領域への挑戦も期待できそう。そして、そんな娘役たちが生き生きと活躍しているのも、トップスター朝美絢が多少のことではびくともしない男役芸をもっているからである。音楽が同じ作曲家ということもあって『THE SCARLET PIMPERNEL』(2008、2010、2017)をどこか常に思い出す作品であり、『THE SCARLET PIMPERNEL』の伊達者ヒーロー、パーシヴァル・ブレイクニーがボー・ブランメルの体現したダンディズムの系譜にあるキャラクターであることを知った。瀬央演じるプリンス・オブ・ウェールズは、『THE SCARLET PIMPERNEL』のプリンス・オブ・ウェールズと重なる。
 『Prayer〜祈り〜』は中村一徳の作・演出。組子たちが大いに活躍するエネルギッシュな総踊り。色彩感覚。選曲。これぞ中村一徳作品! と思うと同時に、でも、毎回、絶対違うフレッシュさをもって、大いに楽しませてくれる。
 男役陣にあまり大柄なイメージがない雪組にあって、164センチの身長で約18年にわたり娘役を務めてきた杏野このみが退団する。高身長で娘役を務める上ではさまざまな細かな工夫の積み重ねがあったと思うのだが、そのすらっと楚々としたたたずまいは舞台で目を引くものがあった。近年ではバイプレイヤーとしての活躍も目立ち、『ベルサイユのばら−フェルゼン編−』では専科の万里柚美のモンゼット侯爵夫人を向こうにシッシーナ伯爵夫人を堂々好演、悲哀を感じさせたのがよかった。『ボー・ブランメル〜美しすぎた男〜』で演じたヤーマス夫人も、シッシーナ伯爵夫人を思い出させるコミカルな役どころ。ボー・ブランメルのダンディさを引き立たせる存在だったけれども、でも、派手派手キッチュないでたちの彼女も素敵なのだった。
 そんなこともあったな、そんなことも書いたな……と、宝塚歌劇団と共に歩んできた舞台評論家人生を楽しく懐かしく振り返ると同時に、自分の芸を信じて磨き続けることの美しさを、星組新トップスター暁千星演じる主人公アレックスに教えられる『恋する天動説』。銀橋上での主題歌「アレックス」の二度の歌唱は鳥肌もの。物語の舞台はイギリスのブライトン、大好きで何度か訪れたことのある街なので、いずれ思い出など。『DYNAMIC NOVA』(作・演出/稲葉太地)ではダンサー暁の身体が空間に対して作り出すラインの美しさにほれぼれ。先日、宝塚大劇場で観劇する機会があったのだけれども、暁が大階段中央に座って始まる<Finale A(情熱)>の場面では、……生まれる前の世界で接点があったような、生まれる前の世界で見た美しい光景の再現を観ているような、そんな不思議な思いにとらわれた。そして、本日観ていて、「好き」という感情は生まれる前の世界での記憶と紐付いていて、この世界における使命とも関わっているような、そんな思いが浮かんだ。
 東京でお待ちしています!
 さわやかでキュート、実は奥の深い意欲的オリジナル作品『恋する天動説』(作・演出/大野拓史)を堪能〜。星組新トップコンビ暁千星&詩ちづる、躍動!
 星組宝塚大劇場公演『恋する天動説』『DYNAMIC NOVA』千秋楽ライブ配信観ます。
 宝塚歌劇団とのコラボレーションも多いフランク・ワイルドホーンが全編作曲を手がけた『ボー・ブランメル〜美しすぎた男〜』(作・演出/生田大和)は、18−19世紀イギリスの伊達男ボー・ブランメルを主人公に、フィクションを交えて描く作品。“美”を武器にのし上がったボー・ブランメル(朝美絢)は、プリンス・オブ・ウェールズ(瀬央ゆりあ)とも知り合い、社交界で名声をほしいままにするが、かつての恋人で今はプリンスの愛人である女優のハリエット・ロビンソン(夢白あや)と再会、恋が再燃し――。実はシンプルなストーリーを、ワイルドホーンの楽曲がドラマティックに盛り上げる。ブランメルを演じる朝美が体現する美が見どころである。――2019年に母とロンドンに行ったとき、彼女は海外で「ポケモンGO」をプレイするのを楽しみにしていて、最初にレイドバトル(強力なポケモンをみんなで協力して倒すイベント)をしに行ったジムが、紳士ファッションの店が立ち並ぶジャーミン・ストリートに立つボー・ブランメル像のところにあった。ロマンチック・レビュー『ネオ・ダンディズム!−男の美学−』(2006、星組)でも言及されていたな……と、粋な立ち姿のその像と、ロンドンの人々と共に画面をタップしている母を、レイドバトルが終わるまでしばらく眺めていたのだが、朝美ブランメルの優雅な所作を観て、記憶の中のその像が動き出したような思いにとらわれた。ブランメル・スタイルの着こなしも美しい。真実の愛を知っての『君は僕の全て』では、劇場中に壮大に広がるワイルドホーンのメロディを、劇場中を包み込むような強い思いをこめて歌い上げる。これが退団公演となる夢白演じるハリエットとの芝居でも観る者を引き込む――夢白は娘役の新たな領域に踏み込み、それを受け止める朝美共々、新たな地平を切り拓いた。プリンス・オブ・ウェールズを演じる瀬央は、雪組に来て個性を生き生きと発揮できるようになった感がある。
 『Prayer〜祈り〜』(作・演出/中村一徳)は、世界各地のさまざまな祈りをテーマとしたショーで、ベテラン演出家の尽きせぬインスピレーションが楽しめる作品。ワイルドホーン楽曲を歌い上げた後に踊りまくる雪組生、パワフル! 「海への祈り」では韓国伝統楽器の演奏(録音)による韓国民謡が流れ、迫力いっぱいのシーンとなっている。
 映画版も宝塚版もおもしろかった! 時代劇愛、炸裂〜。幕末の騒乱&戊辰戦争が背景にあるこの物語。父は山口(長州、新政府側)出身、母の父は会津(幕府側)出身、母の母の父は高知(土佐、新政府側)出身、夫の父は佐賀(肥前、新政府側)出身の私、ゆっくり書きまする。宝塚版は、原作映画に敬意を払いつつ巧みに再構成し、クリエイターとしての思いも込め、宝塚における日本物上演の系譜も踏まえて華麗にショーアップ。専科の重鎮&月組生たちが歌い踊る「マツケンサンバ」を観られて、2026年、いい年になる予感! 2月1日15時半からライブ配信あり。時代劇ファン、時代劇音楽ファン、「マツケンサンバ」ファンにもお勧めしたく。
 新トップスター桜木みなと扮する“セレブ王子”と春乃さくら扮する庶民的な女子高生の恋が、「伝説の王子選手権」をまじえて賑々しく描かれる『PRINCE OF LEGEND』。桜木はお坊ちゃまの浮世離れ感を、春乃は意地っ張り少女の純情をキュートに見せた。ヒロインがとにかくモテまくるという構図に、花組で上演された『はいからさんが通る』を思い出したり。水美舞斗が演じたのは“セレブ王子”のよきライバルとなる“ヤンキー王子”。コワモテのようで実は情に厚い役柄で水美の個性が生きた。「伝説の王子選手権」を開催している聖ブリリアント学園の理事長役を演じた愛すみれは、性別を超越したかぶいた役どころを怪演、「伝説の王子選手権」の最終バトル「王子ミュージカル対決」でも大活躍。
 桜木みなとの満面の笑顔が、楽しい主題歌と共に思い浮かぶ『BAYSIDE STAR』。ここで演出家に一言。
「自信もって好きなことやって〜〜〜!!!」
 新生宙組、ここにパワフルに発進!
 芝居ジャンルのベストは月組『ゴールデン・リバティ』(作・演出/大野拓史)。ショー・ジャンルのベストは星組全国ツアー公演『Tiara Azul−Destino−II』(作・演出/竹田悠一郎)。本公演(本拠地である宝塚大劇場&東京宝塚劇場での公演)以外での劇場公演のベストは、花組東京国際フォーラム公演『Goethe(ゲーテ)!』(日本語脚本・訳詞・演出/植田景子)。宙組東急シアターオーブ公演『ZORRO THE MUSICAL』(潤色・演出/谷貴矢)、星組全国ツアー公演『ダンサ セレナータ』(作・演出/正塚晴彦)等、別箱公演の良作多し。花組の永久輝せあ、月組の鳳月杏、雪組の朝美絢、星組の暁千星、宙組の桜木みなと、底力のあるトップスター5人がずらり揃って、2026年の宝塚歌劇も非常に楽しみ。
 『ダンサ セレナータ』は2012年の星組宝塚大劇場・東京宝塚劇場公演作品の再演(作・演出/正塚晴彦)。クラブ「ルアアズール」で、トップダンサー、イサアク・バルトロウ(暁千星)を中心に、ダンサーたちがよりよいステージ作りに励んでいる。ときにダンサーたちはもっと練習しろと鼓舞されたり、ケガで涙を飲んだり――。観ていて何だか、ジョージ・バランシン振付の『セレナーデ』で、ダンサーが転倒したり、遅刻したりといった稽古場での実際のエピソードが取り入れられている意味がわかるような気がしたのである。美しい舞台作りのための過程もまた、作品の形で残すこと。
 イサアクの前に、植民地出身のモニカ(詩ちづる)が現れる。彼女の兄アンジェロ(蒼舞咲歩)は実は独立運動のリーダーで、追われている。植民地出身ということでときにモニカには疑惑の目が投げかけられたりして、そのことについてクラブのダンサーたちも語り合ったりする――時代や世界情勢の変化があって、2012年の上演時より作品の世界がぐっと身近になったように感じた。そして、1976年に宝塚歌劇団に入団した座付演出家の半世紀の歩みを思った。国家治安局情報部のホアキン・アドリアーノ(瑠風輝)に「あの女に惚れたのか?」と問われて暁イサアクが返す「それを確かめているところだ」のセリフにしびれる。男役の美学、炸裂。正塚作品の頼もしい常連、凛城きら(専科)が、クラブの支配人フェルナンド役を演じて、ほっこり読点のような癒しに。星組から専科に移った小桜ほのかはクラブのオーナー、ローザ役。クラブの閉店にあたって人々にかける感謝の言葉が心にしみる。星組新副組長の輝咲礼央は植民地鎮圧部隊の少尉クラウディオ役。一場面だけの登場で、少ないセリフの中に、複雑な政治状況、人間関係をさっとにじませた。若手男役&娘役たちの奮闘もうれしいところ。
 『Tiara Azul−Destino−II』は、2024年上演の『Tiara Azul −Destino−』から1年後のカルナバル当日という設定での再構成作品。暁千星が舞台で力を最大級に発揮していると、……どうも私の中から新たな自分が顔を出すようなのである。かっこよすぎて、どうしよう……と両頬に手を当てて困惑していた。そんな事態は初めてである。いろいろなものがすべて吹っ飛ばされていくというか。共に心の中でじっくり火花を燃やしているような暁千星と詩ちづるの新星組トップコンビが、これからどんな地平にいざなってくれるのか、楽しみである。