藤本真由
(舞台評論家・ふじもとまゆ)
1972年生まれ。
東京大学法学部卒業後、新潮社に入社。写真週刊誌「FOCUS」の記者として、主に演劇・芸能分野の取材に携わる。
2001年退社し、フリーに。演劇を中心に国内はもとより海外の公演もインタビュー・取材を手がける。
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宝塚
初演から50年、『ベルサイユのばら』、宝塚の舞台に10年ぶりの登場である。雪組では2013年にも『フェルゼン編』を上演しており、私事ではあるが、その宝塚大劇場公演と東京宝塚劇場公演の間に父親を亡くし、どこか痛切に透き通ったような思いで舞台上の愛と死のドラマを観ていた記憶がある。今回フェルゼン役を演じる雪組トップスター彩風咲奈は、長身で貴公子の役どころが似合う男役で、2013年公演の新人公演でこの役に挑戦している。これが宝塚生活最後の舞台となるが、非常に孤独の色濃い造形と感じた。スウェーデン貴族ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンはフランス王妃マリー・アントワネットと恋をしている。二人の道ならぬ恋に迫り来るのがフランス革命の運命である。彩風フェルゼンは、二人の恋を見守る人々と愛についてのさまざまな問答を交わし、そして、最終的には己の信じるところの真の愛をその相手にぶつける――しかしながら、コンシェルジュリーの牢獄からマリー・アントワネットを救い出したいという彼の願いは、フランスの女王として死んでいきたいとの彼女の思いに阻まれる。彩風フェルゼンが人々との問答を通して己の愛を鋼の如く鍛えていく様に、この作品でもっとも有名な楽曲が「愛あればこそ」であることを今さらながら深くかみしめた。
マリー・アントワネットを救いたいと、身の危険を顧みず、再びパリへとやって来たフェルゼンが、人の命を奪う戦いの虚しさについて一人思いを述べる場面がある。突然のような反戦の思いに驚き、そして、いや、と思い直す。2022年の秋、NHKで放送されたインタビューで、『ベルサイユのばら』に初演から関わっている脚本・演出の植田紳爾(初演時は長谷川一夫と共に演出。今回は谷正純と共に演出)は、1945年の福井空襲の後、犠牲となった遺体を運ぶ仕事を12歳で担った経験を語っていた。『宝塚百年を越えて 植田紳爾』(語り手 植田紳爾/聞き手 川崎賢子)でも読んでいたエピソードだったが、彼自身の声で聞く、――最初は一つ一つの死を悼む気持ちがあっても、次第に機械的にならざるを得ない、そのとき自分自身を含む人間の業を感じたとの話は、ロシアのウクライナ侵攻が始まっていた後でもあり、一層心に迫ってきた。『ベルサイユのばら』における愛と死は、そんな生と死の経験をした人の書く愛と死なのだとそのとき感じ、そして、今回の舞台からも痛切に感じる。初演から50周年の上演にふさわしく、『ベルサイユのばら』でなじみ深い有名楽曲がふんだんに盛り込まれ、宝塚の華やかな舞台を普段から観慣れている目でもやはりあでやかさに驚くような舞台が繰り広げられ、――けれども、作品の根底にこうして流れるものを、後世に伝えていかなくてはならない、と思う。
今回、新曲として、『ベルサイユのばら』の楽曲群に「セラビ・アデュー」が加わった。作詞は植田紳爾、作曲は吉田優子。彩風咲奈の退団を盛大に演出すべく、実に効果的に用いられている楽曲である。「♪さよならだけが人生と/思い知るとき人は愛を/抱き締めるのか」の歌詞にまず思い出すのは、于武陵の漢詩「勧酒」の一節の井伏鱒二による訳「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」――井伏鱒二はこのフレーズを林芙美子との交流から思いついたようである。そして、植田紳爾の代表作『風と共に去りぬ』の有名曲「さよならは夕映えの中で」――ヒロイン・スカーレットをおいて一人去るレット・バトラーが、「♪サヨナラは言わずに 別れたい」との絶唱を聴かせる曲である。
さよなら。別れ。――出逢いなくして別れなし。さよならの数だけ出逢いがあった。さよならがせつないのは、それだけその出逢いが大切で愛おしいものだったから。
彩風フェルゼンの思い人マリー・アントワネットを演じた夢白あやは、実は案外憑依系なんだな、と。フェルゼンとマリー・アントワネットの往復書簡集を読んで臨んだというその演技は、ときに、肖像画の中からマリーその人が抜け出てきたかのようなリアリティをもって迫ってきた。本当に普通の、一人の人間である。救い出したいとのフェルゼンの申し出を断り、断頭台に見立てた大階段を一人登っていくときも。それでも、なお、自分自身を超えた何か立派なものを“演じ”なくてはならない運命を課せられた者の姿を描き出していた。
朝美絢のオスカルは女らしさと男らしさのバランスが絶妙だった。縣千のアンドレと二人で演じる有名な<今宵一夜>のシーン、美しく見せるための演者にとっての過酷な体勢に、歌舞伎出身の長谷川一夫の振付が今なお受け継がれていることをかみしめた。アンドレがオスカルの毒殺を図るシーンがないなど、出番が限られた中で、男装の麗人とそれを支える存在という二人の愛は確かに描き出されていた。諏訪さきのジェローデルも途中の語り部的役割をしっかり務めていた。音彩唯は、ロココの歌手としての歌唱、そして悪女ジャンヌ・バロワ・ド・ラ・モット役の演技とも、新公学年とは思えない堂々とした貫禄。
フェルゼンのマリー・アントワネットへの愛を諫めるメルシー伯爵役汝鳥伶(専科)の、一言言葉を発しただけでにじみ出るあの思いの深さ。フェルゼンのフランス行きを後押しする、スウェーデン国王グスタフ三世役の夏美よう(専科)の愛への熱さ。ブイエ将軍役の悠真倫(専科)はきっちり悪役に徹する。オスカルやフェルゼンの取り巻きの貴婦人、モンゼット侯爵夫人の万里柚美(専科)が宮廷の華やかさをふりまく。そして、モンゼットに対抗するシッシーナ伯爵夫人役で、長身の娘役杏野このみが存在感を発揮、柚美モンゼット共々舞台に滑稽さと悲哀とを描き出した。
これが退団となる野々花ひまりのロザリーはきりっと強い印象で、夢白マリー・アントワネットとのバランスのよさを感じさせた。同じく退団の希良々うみは、令嬢カトリーヌ役として宮廷を華やかに彩った。
マリー・アントワネットを救いたいと、身の危険を顧みず、再びパリへとやって来たフェルゼンが、人の命を奪う戦いの虚しさについて一人思いを述べる場面がある。突然のような反戦の思いに驚き、そして、いや、と思い直す。2022年の秋、NHKで放送されたインタビューで、『ベルサイユのばら』に初演から関わっている脚本・演出の植田紳爾(初演時は長谷川一夫と共に演出。今回は谷正純と共に演出)は、1945年の福井空襲の後、犠牲となった遺体を運ぶ仕事を12歳で担った経験を語っていた。『宝塚百年を越えて 植田紳爾』(語り手 植田紳爾/聞き手 川崎賢子)でも読んでいたエピソードだったが、彼自身の声で聞く、――最初は一つ一つの死を悼む気持ちがあっても、次第に機械的にならざるを得ない、そのとき自分自身を含む人間の業を感じたとの話は、ロシアのウクライナ侵攻が始まっていた後でもあり、一層心に迫ってきた。『ベルサイユのばら』における愛と死は、そんな生と死の経験をした人の書く愛と死なのだとそのとき感じ、そして、今回の舞台からも痛切に感じる。初演から50周年の上演にふさわしく、『ベルサイユのばら』でなじみ深い有名楽曲がふんだんに盛り込まれ、宝塚の華やかな舞台を普段から観慣れている目でもやはりあでやかさに驚くような舞台が繰り広げられ、――けれども、作品の根底にこうして流れるものを、後世に伝えていかなくてはならない、と思う。
今回、新曲として、『ベルサイユのばら』の楽曲群に「セラビ・アデュー」が加わった。作詞は植田紳爾、作曲は吉田優子。彩風咲奈の退団を盛大に演出すべく、実に効果的に用いられている楽曲である。「♪さよならだけが人生と/思い知るとき人は愛を/抱き締めるのか」の歌詞にまず思い出すのは、于武陵の漢詩「勧酒」の一節の井伏鱒二による訳「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」――井伏鱒二はこのフレーズを林芙美子との交流から思いついたようである。そして、植田紳爾の代表作『風と共に去りぬ』の有名曲「さよならは夕映えの中で」――ヒロイン・スカーレットをおいて一人去るレット・バトラーが、「♪サヨナラは言わずに 別れたい」との絶唱を聴かせる曲である。
さよなら。別れ。――出逢いなくして別れなし。さよならの数だけ出逢いがあった。さよならがせつないのは、それだけその出逢いが大切で愛おしいものだったから。
彩風フェルゼンの思い人マリー・アントワネットを演じた夢白あやは、実は案外憑依系なんだな、と。フェルゼンとマリー・アントワネットの往復書簡集を読んで臨んだというその演技は、ときに、肖像画の中からマリーその人が抜け出てきたかのようなリアリティをもって迫ってきた。本当に普通の、一人の人間である。救い出したいとのフェルゼンの申し出を断り、断頭台に見立てた大階段を一人登っていくときも。それでも、なお、自分自身を超えた何か立派なものを“演じ”なくてはならない運命を課せられた者の姿を描き出していた。
朝美絢のオスカルは女らしさと男らしさのバランスが絶妙だった。縣千のアンドレと二人で演じる有名な<今宵一夜>のシーン、美しく見せるための演者にとっての過酷な体勢に、歌舞伎出身の長谷川一夫の振付が今なお受け継がれていることをかみしめた。アンドレがオスカルの毒殺を図るシーンがないなど、出番が限られた中で、男装の麗人とそれを支える存在という二人の愛は確かに描き出されていた。諏訪さきのジェローデルも途中の語り部的役割をしっかり務めていた。音彩唯は、ロココの歌手としての歌唱、そして悪女ジャンヌ・バロワ・ド・ラ・モット役の演技とも、新公学年とは思えない堂々とした貫禄。
フェルゼンのマリー・アントワネットへの愛を諫めるメルシー伯爵役汝鳥伶(専科)の、一言言葉を発しただけでにじみ出るあの思いの深さ。フェルゼンのフランス行きを後押しする、スウェーデン国王グスタフ三世役の夏美よう(専科)の愛への熱さ。ブイエ将軍役の悠真倫(専科)はきっちり悪役に徹する。オスカルやフェルゼンの取り巻きの貴婦人、モンゼット侯爵夫人の万里柚美(専科)が宮廷の華やかさをふりまく。そして、モンゼットに対抗するシッシーナ伯爵夫人役で、長身の娘役杏野このみが存在感を発揮、柚美モンゼット共々舞台に滑稽さと悲哀とを描き出した。
これが退団となる野々花ひまりのロザリーはきりっと強い印象で、夢白マリー・アントワネットとのバランスのよさを感じさせた。同じく退団の希良々うみは、令嬢カトリーヌ役として宮廷を華やかに彩った。
月組の久世星佳主演で1990年に初演された作品の待望の再演(作・演出=正塚晴彦)。作品も音楽(作曲・編曲=高橋城、高橋恵)も演者たちもかっこよく、おもしろい! 最後までハラハラドキドキ。主人公の天才詐欺師ドノヴァンを演じる風間柚乃が、……こんな風にエスコートされたら素敵だろうな……と思わせる男役の魅力を発揮。ヒロイン・シャロンを演じる花妃舞音は、恩人を殺された復讐を果たすためのドノヴァンによる詐欺、“芝居”に参加することになり、これをきっかけに冴えない日々から抜け出そうとする。自分の殻を破ろうともがくシャロンを演じる花妃に、磨けば大いに光るのではないかと思われる鉱脈のきらめきのような瞬間あり。ドノヴァンのシャロンへの指南がそのまま演劇論に感じられたりするのがおもしろかったり。ちょっとゆっくり整理したく。
『ベルサイユのばら』初演から50年。記念の年を寿ぐ公演は、大切に上演され続けてきた作品を次世代に引き継がんとする気迫が光る力演揃いの舞台。そして本日9月4日はハンス・アクセル・フォン・フェルゼンの誕生日。そんな日にふさわしく、不思議な力に満ちた公演でした。
昨年の『カジノ・ロワイヤル〜我が名はボンド〜』以来となった宙組の東京宝塚劇場での公演は、“大階段”をタイトルに掲げたレビューの一本もの(作・演出=齋藤吉正)。日本初のレビュー『吾が巴里よ<モン・パリ>』(1927)はじめ、宝塚で上演されてきたさまざまな作品の名曲から成り、黒燕尾服のシーンあり、ラテンのナンバーありと盛りだくさんの構成で、下級生に至るまで多くのキャストに見せ場が与えられている――『エスカイヤ・ガールス』(1965)表題曲を、娘役3名がアイドル風振付で踊るシーンの楽しさ(振付=瀬川ナミ)。そんな作品で、トップ娘役春乃さくらが大奮闘大活躍、ショースターぶりがすばらしい。ラテンクイーンに扮し、『パッショネイト宝塚!』(2014)の「パッショネイト!」を熱唱するシーンのはじけるエネルギー、その凄み。かと思えば、『ラ・ベルたからづか』(1979)の「ラ・ヴィオレテラ」ではしっとりとした歌唱を披露する。『王家に捧ぐ歌−オペラ「アイーダ」より』(2003)の「世界に求む−王家に捧げる歌−」に乗ってのデュエットダンスでは、トップスター芹香斗亜相手に頼もしいまでの包容力を発揮。年末を待たずして、春乃さくら、2024年度の躍進賞確定である。芹香斗亜は、<第4章>での『ザ・レビュー』(1977)の「夢人」の歌唱あたりから歌に思いが乗るようになっていった印象。桜木みなとは、熱いラテン・ナンバーで綴る中盤、『CONGA!!』(2012)表題曲のシーンでラテンに大いに強いところを見せた。動きの美しさで目を引くのは天彩峰里。『BLUE・MOON・BLUE−月明かりの赤い花−』(2000)再現のシーンで蛇に扮した鷹翔千空は、その他のシーンでも踊りのキレのよさが際立っていた。2000年の初演以来、本公演ではついぞ再現されることのなかった『BLUE・MOON・BLUE』のここに来ての再現はうれしく、と同時に、大切な青春の一章のファイナル・ページをめくったような思いでいっぱいである。
『Eternal Voice 消え残る想い』で、月組トップスター月城かなと演じる考古学者ユリウスとトップ娘役海乃美月演じるアデーラは、物質に残る“記憶”を知ることのできる能力を持っている。その不思議な能力はアデーラを苦しめてきたが、ユリウスと出逢い、心を通わせていくことによって彼女は癒やされ、ヴィクトリア朝のイギリスを揺るがす陰謀事件を二人して解決することとなる。この作品で描かれるほど不思議な能力ではないにしても、人が己に与えられた能力を存分に生かして生を幸せなものとして生きる上では多分に努力が必要であり、生かす道を模索し切り拓く上ではときに困難が生じることもある。この物語におけるユリウスとアデーラは似通った能力の持ち主であるが、たとえ似たものでないにしても、何かしらの能力の持ち主であるがゆえにある立場におかれる、そのことによって何かしらの孤独を感じる状況が生じ、その状況の共通性ゆえに人間が心を通わせるということもまたあり得る。
トップコンビとして共に舞台を創り上げていく上でさまざまなことがあって、互いに向き合い、共に乗り越えてきて、今があるんだな……と感じさせる舞台だった。そんな二人の姿は何だかマーブル模様を思わせた。二つの個性が相対するうちに溶け合って形成された、二人にしか出し得ない模様。世界のさまざまな場所に存在し得るコンビという関係性について、改めて、いいな、と思わせてくれるトップコンビである。ショー『Grande TAKARAZUKA 110!』のフィナーレで、二人がデュエットダンスを踊る。月城に対する海乃の表情がやわらかくて、楽しめているんだな、と感じた。コンビを組んだ最初のうちはまだまだ硬いところがあるように感じていたから、二人してここまで来たんだな、と。
『Eternal Voice 消え残る想い』は、事件解決もさることながら、人生のふとしたなにげない一瞬も愛おしみたくなるような魅力があるのが正塚晴彦作品らしい。例えば、ユリウスの助手的存在であるカイ(礼華はる)がちょっとした心情をソロで歌うとか、ティールームでウェイトレスが紅茶を持ってくるとか、芯となる芝居の後ろで人々が通り過ぎていったりとか、そんな一瞬一瞬。たまたまユリウスとアデーラ、そして陰謀にまつわる話がメインで描かれているけれども、人それぞれ、自分が主役である人生の物語を生きていることの尊さを感じさせる作品である。
『Grande TAKARAZUKA 110!』(作・演出=中村一徳)には、“和物の雪組”出身である月城かなとへの惜別の思いがこめられた、和物調の衣裳で舞い踊る<第6章 SETSUGETSU 雪月>の場面がある。雪組時代の月城かなとは魅力にあふれた若手スターで、月組に来てからはその魅力にますます磨きがかかって、今となってはずっと月組にいたような風に舞台の中心に立っている人が、雪組若手スター時代に見せていた顔をもう一度見せてくれたような気がして、最後に何だかうれしかった。月城かなとは、台本とじっくり向き合うのが好きな、芝居心にあふれた人である。古風なようでときにはっちゃけた魅力も見せる海乃美月共々、今後も楽しみ。
次期トップスターの鳳月杏は、今回の2本立てでも見せたように、シリアスとコミカル、大人の魅力とフレッシュな魅力と、幅広く行ける人である。その鳳月経由なのであろうと思うが、礼華はるに元宙組トップスター大空祐飛(月組→花組→宙組)の男役芸が伝わっていっている感もあり、これも楽しみ。風間柚乃は歌声で客席に明るい幸福感をもたらすことのできる男役である。彩みちるは声のトーンをさらに上手く使えるようになると芝居にパンチ力が増すように思う。落ち着いてしまいがちなところのある天紫珠李だけれども、ショーで若々しい魅力を放っていた。
『Eternal Voice 消え残る想い』で月城ユリウスと海乃アデーラにねぎらいの言葉をかけるヴィクトリア女王役の梨花ますみの演技は、退団する二人への惜別の思いがにじんでいた。『Grande TAKARAZUKA 110!』での餞の場面、麗泉里ら退団者たちによる銀橋を渡っての歌唱も、こめられた思いが大いに伝わるものだった。
トップコンビとして共に舞台を創り上げていく上でさまざまなことがあって、互いに向き合い、共に乗り越えてきて、今があるんだな……と感じさせる舞台だった。そんな二人の姿は何だかマーブル模様を思わせた。二つの個性が相対するうちに溶け合って形成された、二人にしか出し得ない模様。世界のさまざまな場所に存在し得るコンビという関係性について、改めて、いいな、と思わせてくれるトップコンビである。ショー『Grande TAKARAZUKA 110!』のフィナーレで、二人がデュエットダンスを踊る。月城に対する海乃の表情がやわらかくて、楽しめているんだな、と感じた。コンビを組んだ最初のうちはまだまだ硬いところがあるように感じていたから、二人してここまで来たんだな、と。
『Eternal Voice 消え残る想い』は、事件解決もさることながら、人生のふとしたなにげない一瞬も愛おしみたくなるような魅力があるのが正塚晴彦作品らしい。例えば、ユリウスの助手的存在であるカイ(礼華はる)がちょっとした心情をソロで歌うとか、ティールームでウェイトレスが紅茶を持ってくるとか、芯となる芝居の後ろで人々が通り過ぎていったりとか、そんな一瞬一瞬。たまたまユリウスとアデーラ、そして陰謀にまつわる話がメインで描かれているけれども、人それぞれ、自分が主役である人生の物語を生きていることの尊さを感じさせる作品である。
『Grande TAKARAZUKA 110!』(作・演出=中村一徳)には、“和物の雪組”出身である月城かなとへの惜別の思いがこめられた、和物調の衣裳で舞い踊る<第6章 SETSUGETSU 雪月>の場面がある。雪組時代の月城かなとは魅力にあふれた若手スターで、月組に来てからはその魅力にますます磨きがかかって、今となってはずっと月組にいたような風に舞台の中心に立っている人が、雪組若手スター時代に見せていた顔をもう一度見せてくれたような気がして、最後に何だかうれしかった。月城かなとは、台本とじっくり向き合うのが好きな、芝居心にあふれた人である。古風なようでときにはっちゃけた魅力も見せる海乃美月共々、今後も楽しみ。
次期トップスターの鳳月杏は、今回の2本立てでも見せたように、シリアスとコミカル、大人の魅力とフレッシュな魅力と、幅広く行ける人である。その鳳月経由なのであろうと思うが、礼華はるに元宙組トップスター大空祐飛(月組→花組→宙組)の男役芸が伝わっていっている感もあり、これも楽しみ。風間柚乃は歌声で客席に明るい幸福感をもたらすことのできる男役である。彩みちるは声のトーンをさらに上手く使えるようになると芝居にパンチ力が増すように思う。落ち着いてしまいがちなところのある天紫珠李だけれども、ショーで若々しい魅力を放っていた。
『Eternal Voice 消え残る想い』で月城ユリウスと海乃アデーラにねぎらいの言葉をかけるヴィクトリア女王役の梨花ますみの演技は、退団する二人への惜別の思いがにじんでいた。『Grande TAKARAZUKA 110!』での餞の場面、麗泉里ら退団者たちによる銀橋を渡っての歌唱も、こめられた思いが大いに伝わるものだった。
チャールズ・ディケンズの長編小説『大いなる遺産』が原作。登場人物の性格も変わりかねない物語変更がある中、星組生たちはよく頑張っている。主人公ピップを演じる暁千星は、子供時代を演じる場面はないものの、どこか途方に暮れて膝を抱え座っている少年の面影を常に感じさせるような演技が魅力。ディケンズの原作の言葉そのままのセリフを口にしたとき、観る者の心に迫るものがある。フィナーレのソロダンスでは空を貫く彗星の如き輝きを見せた。温かみあふれるピップの義兄ジョー・ガージェリー役の美稀千種、ワイルドに一途な脱獄犯エイベル・マグウィッチ役の輝咲玲央が物語をがっちり固め、ピップの親友ハーバート・ポケット役の稀惺かずともさわやか。舞台版でさらに難易度増したミステリアスなヒロイン、エステラ役の瑠璃花夏も健闘している。天飛華音がピップの恋敵であるベントリー・ドラムルと、ピップの心の中にひそむ“闇”を一人二役で演じているが、作劇及び演出上、現在と回想、現実と夢との区別のつけ方がうまく行っていないこともあり、難しい役どころとなっている。
観劇にあたり、初めて原作を読んだのだが(加賀山卓朗翻訳の新潮文庫版)、ページをめくる手が止まらないおもしろさ。ディケンズの人間存在や社会のあり方に対するまなざしに心打たれた。「つまり、人生をつうじて、私たちの最悪の弱さや卑しさは、もっとも軽蔑する人がいることで表に出てくる」(新潮文庫版上巻373ページ)の一節の鋭さ。
観劇にあたり、初めて原作を読んだのだが(加賀山卓朗翻訳の新潮文庫版)、ページをめくる手が止まらないおもしろさ。ディケンズの人間存在や社会のあり方に対するまなざしに心打たれた。「つまり、人生をつうじて、私たちの最悪の弱さや卑しさは、もっとも軽蔑する人がいることで表に出てくる」(新潮文庫版上巻373ページ)の一節の鋭さ。
振り返り映像での初演時のパフォーマンスも、そして今現在のパフォーマンスも、初演出演のレジェンドたち、すごい……とときに涙しながら観ており。そしてレジェンドたちと共に「愛あればこそ」を歌う『ベルサイユのばら』作・演出の植田紳爾(御年91歳)というスペシャルな瞬間が観られた! 久しぶりに『ベルサイユのばら』にふれて、いろいろと気づきあり。
『ベルサイユのばら50〜半世紀の軌跡〜』東京公演千秋楽ライブ配信観ます。楽しみ。
月組トップコンビ月城かなと&海乃美月の退団公演は、座付き作家の宛書の妙が味わえる芝居とレビューの二本立て。ヴィクトリア女王統治下、政治的宗教的陰謀渦巻くイギリスを舞台に、不思議な能力をもつ男女が心を通わせていく様を描く『Eternal Voice 消え残る想い』(作・演出=正塚晴彦)は、人生及び人間について示唆に富み、ぐっと引き込まれる、見応えのある作品。ときにダークな色合いなれど、人間存在に対する温かなまなざしからの笑いが織り込まれているのがいい。『Grande TAKARAZUKA 110!』(作・演出=中村一徳)は、宝塚歌劇110年の歴史と伝統をかみしめ、舞台に立つ人々の命の輝きを大切に守っていきたいとの演出家の真摯な思いを感じさせる、華やかなレビュー。どちらの作品も、座付き作家が出演者一人一人に心を寄せて創っていることがうかがえて。今日の舞台は、芝居の冒頭から月城かなとの客席に向ける思いが強く、熱く、そこに月組生たちと専科の高翔みず希、凛城きらの思いが加わって、実に熱気あふれるものだった。そして、……トップコンビって素敵だな……と思わせてくれる、月城かなと&海乃美月のパートナーシップ。
祝・極美慎、覚醒――クライマックスの大熱唱で、この間の日曜日に家族で父のお墓参りをしたこと、11年前のその日に家族で父を看取ったときの弟の涙を思い出した――。小桜ほのかもよかった。スティルツ(高足)に乗って飄々とした演技を披露した巨人役の大希颯ほか、気になる存在もちらほら。星組、生き生き。
(5日15時の部、東急シアターオーブ)
(5日15時の部、東急シアターオーブ)