ナチス・ドイツ占領下のパリでレビュー劇場の灯を守ろうと奮闘する人々の姿を描く『アルカンシェル〜パリに架かる虹〜』は、花組トップコンビ柚香光&星風まどかの退団公演(作・演出:小池修一郎)。レビュー・シーンもふんだんに盛り込まれ、さまざまなジャンルの曲で踊りまくる柚香光が観られる――男役として完成した彼女のそのダンスには、男役としての可動域を超越した魅力が光る。パリの空に虹がかかるラスト・シーンの味わいに至るまでどこか削ぎ落された感があり、これまでの小池作品とは少し異なる印象を受けた。専科の一樹千尋と輝月ゆうまの演技が大いに効いている。
 中詰の「リストマニア」の「♪走れ 走れ」で一緒に踊っていたからか、家でライブ配信を観ていただけとは思えないほどぐったりしたので(笑)、今宵は余談のみにて。
 宮廷服の人々もいれば、礼真琴や暁千星ら男役たちが宮廷服風の上着に太いストライプのパンツをはいて飾りのついたベレー帽をかぶっていたり、とてもデコラティブな中詰の衣装(衣装:有村淳)。それで、思い出した。以前、ロンドンに出張したとき、持っていたバッグが壊れてしまって、コヴェント・ガーデン・マーケットで好きな雰囲気のバッグを見つけて買ったことがある。帰国してよく見たら、……前に宝塚大劇場にあるお店で買ったのと同じ日本のブランド「CHIMAKI」のバッグだった〜と。ゴブラン織りと手染めしたアンティーク・レースが組み合わされていて、中詰で舞空瞳率いる娘役陣が着ている衣装の雰囲気っぽかったのでした。そんなライブ配信を観ているソファはと言えば、夫が百貨店で「かわいいの見つけた〜」と買ってきたものなのだけれども、後で宝塚大劇場に行ったら、劇場ロビーにおいてある椅子の生地と同じ柄で。大劇場の椅子の方はもう違うものになっていますが、我が家ではまだ現役。
 よき楽でした!
 素晴らしい舞台。最初の方の美稀千種の歌からたびたび滂沱の涙。「ナートゥ・ナートゥ」、自己流で一緒に踊っていたらめちゃめちゃ楽しかったけど息が切れました(笑)。
 宝塚版『RRR』、ここに見事に終演〜!
 この二本立てについては、年明けから始まった宝塚大劇場公演の初日が開いてすぐの公演をまずは観た。そのとき最初に思ったのは、……星組トップスター礼真琴がゆっくり休めてよかった……ということだった。昨年秋の約2カ月間の休養を経て舞台に戻ってきた彼女は、心身共に充実した感があり、自分の見せたい舞台を自信をもって提示していた。
 『RRR × TAKA"R"AZUKA 〜√Bheem〜』(Based on SS Rajamouli’s ‘RRR’.)について。インドを舞台にした作品は宝塚では多くはないが、1959年に初演された菊田一夫作品『ダル・レークの恋』は4度上演を重ねており、もっとも最近の再演である2021年版の潤色・演出は谷貴矢が担当。『RRR × TAKA"R"AZUKA 〜√Bheem〜』の脚本・演出も彼が手がけている。
 映画『RRR』については、日本でも大ヒットしていること、宝塚での上演を望む声があることは知っていた。そして、宝塚版の舞台を観た後に鑑賞した。……なるほど、これは、宝塚での上演を望む声が多かったのもむべなるかな……と。男同士の篤い友情もの、そして、『ベルサイユのばら』にみられるような解放闘争ものもまた、宝塚歌劇の得意とするジャンルだからである。映画を観て、大英帝国の圧政に対するインドの人々の不屈の魂に、そして、今日の世界において、映画という芸術方式をもって闘うクリエイターたちの魂に心打たれた。
 映画で、一人の子供を救いたいと願った橋の上のラーマと川岸のビームの目が合う――共に絶望に在った二人の運命的な出逢いの場面において、インドの人々の不屈の魂に私は深く心打たれたのだったが、運命の出逢いは、宝塚版においてもよく表現されていたと思う。礼真琴扮するコムラム・ビームと暁千星扮するA・ラーマ・ラージュが共闘して子供を救い、出逢う場面は、ほとんど、『ロミオとジュリエット』や『ウエスト・サイド・ストーリー』の優れた舞台におけるあの運命の瞬間のように、……出逢ってしまった……と心震えるものがあった。そして、宝塚版においても「出逢い」は重要なテーマに思える。ビームとラーマの出逢い。ビームとイギリス人女性ジェニー(舞空瞳)の出逢い。ジェニーの役どころは映画版より大きくなっており、ビームとの出逢いによって彼女の人生にもまた変化が訪れるのであろうことが、銀橋上のソロの歌によって示される。出逢いは人を変えていく。思えば、宝塚歌劇を通して多くの人々と出逢い、さまざまな文化芸術と出逢ってきた。今回、『RRR』と出逢ったように。
 トップスター礼真琴と二番手暁千星ががっちり組み、男同士の友情、その絆の深さを舞台上に描き出す。利益相反すると見えて、最終的に、二人の思いは一つとなる。有名な「ナートゥ・ナートゥ」のダンス・シーンでも、礼と暁の踊りの個性は、映画版でビームを演じたN・T・ラーマ・ラオ・ジュニアとラーマを演じたラーム・チャランの踊りの個性が違ったように異なっていて、そこが非常に楽しい。宝塚版ではタイトルに銘打たれているように明確にビームが主人公であり、礼が正義に燃えるヒーローをまっすぐ明るく演じるなら、ラーマ役の暁は大きな使命のために“裏切り者”を演じる難しい役柄を、彼女ならではの鋭敏な人間観察力をもって見せた。舞空が演じるジェニーには、総督の姪でイギリス人女性である彼女がなぜビームに深く心を寄せるのか、その心の奥底に分け入ってみたくなる誘惑にかられる魅力があった。ゴーンド族の村長バッジュと歌唱を多く担当するSINGERRR男を兼ねた星組組長美稀千種の存在感の重み。インド総督スコットに扮した輝咲玲央は、ビームとラーマが最終的に手を下すのももっともと納得するところへと導く憎まれ役の演技が心憎い。その妻キャサリン役の小桜ほのかは、サディスティックな中にどこか色気を漂わせる演技。ラーマの叔父ヴェンカテシュワルル役のひろ香祐はキャラクターの再現度高し。
 約3時間の映画のエッセンスが1時間35分の舞台にぎゅっと凝縮されていた。映画の音楽も多く使用されていたが、エドワード・エルガー作曲の「希望と栄光の国」の旋律がときに悪夢の如く編曲されて用いられているのが印象的だった(作曲・編曲:太田健、高橋恵)。余談になるが、日本ではもっぱら「威風堂々」と呼ばれるこの旋律は、私の母校成蹊学園(出身者として、俳優・演出家の串田和美、安倍晋三元内閣総理大臣、次回星組大劇場公演作品の原作である三谷幸喜脚本・監督の映画『記憶にございません!』で主人公の内閣総理大臣役を演じた俳優の中井貴一がいる)では卒業式典の際に奏でられていた。私にとっては、成蹊学園を支援していた三菱財閥の岩崎小彌太と銀行家の今村繁三が共にケンブリッジ大学卒であることを何だか思い出させる曲でもある。今村繁三はパブリックスクールのリース校出身者でもあり、二人がイギリスで受けた教育は成蹊学園の在り方にも影響を及ぼしたのではないかと思われる。

 『VIOLETOPIA』について。宝塚歌劇を象徴する花といえば、すみれ(名曲「すみれの花咲く頃」にちなむ)。ということで、これが大劇場公演デビュー作となる指田珠子、宝塚歌劇論を掲げての登場である。これでもかと劇場の虚構性が提示された作品であることはすでに記した(http://daisy.stablo.jp/article/502516132.html?1712322104)。さらに、トップ娘役の舞空瞳の男装と男役の暁千星の“女装”を同じ場面に登場させ、フィナーレの男役群舞では敢えてサングラスをかけさせるなど、趣向爆発。主題歌「追憶の劇場 VIOLETOPIA」には宝塚5組の名前がちりばめられ、中詰の「リストマニア」には「♪走れ 走れ」の歌詞があり……と来れば、星組の前回ショー作品『JAGUAR BEAT−ジャガー・ビート−』を多分に意識したような。
 その「リストマニア」による中詰の客席降りの場面なのだが、受け止め方が激しく変化した。最初に観た際から非常に心揺さぶられ、落涙。でも、どこか客席への挑戦状のようにも感じられ、何だかアンビバレントな思いに。なんせ、「リストマニア」に演出家がつけた訳詞は、「♪目の前そびえる喝采 大歓声/呑まれてたまるか/でも吞まれそう」である。けれども、だんだん変化が生じ。次に観たときには、「……ああ、『リストマニア』始まっちゃった。半分終わっちゃったな……」と思い、次に観たときには、「リストマニア」どころか作品のオープニングの段階で「終わってほしくないから始まってほしくない!」と思うほど。舞台を観ていて終わってほしくないと感じるときはたびたびあるが、始まってすらほしくなかったのは初めてである(それでは観られない)。そして、最初は挑発的に思えていた「リストマニア」が、何だか、劇場空間において虚構を創り出しこれを分かち合う上での舞台側と客席側との甘い関係を歌う曲に思えてきたのが不思議。そこにあるのは虚構であっても、そのときそこで感じた思いは真実だから、だから、走っていける。何だか今はそう思う。
 幻想的な雰囲気の作品なので、芯を務める礼真琴のまっすぐな個性がとても映える。彼女が蛇に扮して踊り、村の女(舞空瞳)を魅了するサーカス小屋の場面では、布が取り去られてテントがぱっと消えた瞬間、……風が吹いて、振り返ったらすべてが消えてなくなっていて、でも、生まれる前からの記憶がそこに埋められているのを発見したような、そんな思いにとらわれた――。
 暁千星は……不思議な人である。雰囲気を操れる? そして今回、約十年ぶりに封印が解かれてしまったわけだが(2019年12月の覚醒以来、よくぞここまで来た)、その先に行かなければ意味がない。ということで、任せた!

 長らく星組の舞台を支えてきた大輝真琴は愛くるしい魅力をもった男役であるが、『RRR』では主人公ビームの闘いを支える親方オム役として、慈愛あふれる演技を披露、ベテランの芸の奥行を感じさせた。

 千秋楽公演のライブ配信、観ます!
 宝塚星組『JAGUAR BEAT−ジャガー・ビート−』(2022−2023、作・演出:齋藤吉正)でもっとも印象に残る二大フレーズと言えば、「♪Beat! Beat! Beat! Beat! Beat! Beat!」(曲「JAGUAR BEAT」より)と♪「マジ! マジ! マジック!」(曲「CRYSTAL FANTASY」より)であろう(作詞はすべて齋藤吉正による)。オープニングから頻出する前者の「ビ、ビ、ビ、ビ、ビ、ビ」という音の連なりは、運命的な出逢いの瞬間を表す「ビビッとくる」を連想させる。後者は中詰以降に登場するが、英語で言うなら”Really?”あたりのスラング的表現である「マジ」と「マジック」の音がかかっていて、敢えて言い換えるなら「ホントに魔法みたい!」くらいのニュアンスか。「♪偽りに抱かれた/終わることのないブラックシーズン」が「♪マジ! マジ! マジック!」で「♪終わることないドリームシーズン」へと変容するわけである。
 この曲「CRYSTAL FANTASY」は中詰開始と共に始まり、第12場において歌い継がれていく。そして、第12場Dで「赤の神」に扮した薄いピンクの衣装の天華えまが登場し、「マジ! マジ! マジック!」と歌い出すのだが、肩から力の抜けた洒脱な感じの彼女が、その歌声とたたずまいで舞台の雰囲気を変えていくのが非常によかった――齋藤吉正の大劇場デビュー作『BLUE・MOON・BLUE−月明かりの赤い花−』(2000)のフィナーレの銀橋歌い継ぎにおいて、濃いピンクの衣装の初風緑が、その歌声で「♪大空舞うよ あふれ出す愛」と劇場を明るい空気で包んでいったことが心に深く刻み込まれているのだけれども、それと双璧を成す瞬間。そして、銀橋上の天華の振りと共に振り落としが行なわれることは、昨年のKバレエ トウキョウ『くるみ割り人形』の記事においてすでに記した(http://daisy.stablo.jp/article/501911787.html?1712316284)。振り落とされた幕の向こうに現れるのはJAGUAR(礼真琴)である。
 退団公演となる『RRR × TAKA"R"AZUKA 〜√Bheem〜』で天華が演じたのは、礼真琴演じるビームのよき仲間であるペッダイヤ役。レビュー作品『VIOLETOPIA』における退団の餞の場面「エントランス・ノスタルジー」では、トレンチコートに颯爽と身を包み、劇場において過ごした日々を愛おしむように、「As Time Goes By」を甘やかなムードいっぱいに歌う。男役としてのスマートな魅力があふれる瞬間。
 『ME AND MY GIRL』(2023)で演じたジェラルド役で発揮したような、とぼけたキュートさも味わい深かった。退団を惜しむ。
 『RRR × TAKA"R"AZUKA 〜√Bheem〜』(Based on SS Rajamouli’s ‘RRR’.)は、S・S・ラージャマウリ監督の世界的大ヒット映画『RRR』が原作(脚本・演出:谷貴矢)。実在の独立運動指導者コムラム・ビームとA・ラーマ・ラージュを主人公に、二人がイギリス領インド帝国に戦いを挑んでいく物語を、宝塚版ではビーム視点で再構築。シャーロック・ホームズ・シリーズの作者アーサー・コナン・ドイルを主人公に据えた雪組公演『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル−Boiled Doyle on the Toil Trail−』が大英帝国の光の部分を描く作品ならば、続いての星組公演は大英帝国の負の部分に光を当てる作品である。宝塚大劇場公演の初日が開いてすぐ観る機会があり、……こんなにも重いテーマを扱い、歌と踊りをふんだんに盛り込んだ作品を、年明け早々このクオリティで上演するんだ……と、正月気分が吹っ飛んだ。大劇場での一カ月ほどの公演を経ての東京宝塚劇場公演はますますパワーアップ。実際の歴史においては出逢うことのなかったコムラム・ビーム(礼真琴)とA・ラーマ・ラージュ(暁千星)が運命的な出会いを果たし、それぞれの使命と友情との間で揺れる、そんな人間模様があざやかに描き出される。映画で大人気を博した「ナートゥ・ナートゥ」のダンス・シーンも、抑圧からの解放を目指して立ち上がる強い思いがこめられているからこそ熱く激しく盛り上がる、そんな物語上の重要性をきっちりと踏まえて踊られているのがすばらしい。
 大劇場で舞台を観た際、新宿中村屋のインドカリーのキャッチフレーズが「恋と革命の味」であることを思い出した。ビームやラーマより少し上の世代の独立運動家だったベンガル生まれのラス・ビハリ・ボースは、インド総督への襲撃事件をきっかけにイギリス政府に追われる身となり、日本に密入国して武器を祖国へと送る。日本政府からも国外退去命令を受けるが、中村屋の創業者夫妻が彼をかくまい、夫妻の娘とボースは後に結婚。そして、本場のカリーを日本に紹介したいとのボースの願いから中村屋名物インドカリーが生まれ、今日に至るまでその味を伝えている。子供のころから親しんでいて、今でも月に一度は食べに行く、その味の背景にある物語を思った。
 『VIOLETOPIA』は作・演出の指田珠子の大劇場デビューとなるレビュー。廃墟となった劇場が、そこに棲まう記憶と共に甦り――。劇場に在るのは幻! 虚構! とこれでもかと提示され、じらしありずらしあり、客席降りで盛り上がる中詰め使用曲の原曲は、熱狂的なファンに対するどこか冷やかな目線の歌詞が印象的な、フランスのバンド、フェニックスの「リストマニア」(“リストマニア”=作曲家フランツ・リストの熱狂的なファンの意。2022年に上演された宝塚花組『巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜』にも“リストマニア”が登場していた)。それでも拍手と手拍子を送ってしまう劇場好きとは随分と被虐的であることよ……と自嘲したくなるようなせつなさを覚える、そんな毒がどこかたまらない作品。星組の今の充実ぶりがうかがえる、見応えありの二本立て。
 シャーロック・ホームズ・シリーズの作者アーサー・コナン・ドイルが主人公の『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル−Boiled Doyle on the Toil Trail−』(“オンザ”の箇所にも「・(中黒)」が必要のように思うのですが)。作・演出の生田大和は、宙組公演『シャーロック・ホームズ−The Game Is Afoot!−』(2021)を手がけた経験あり。今回ドイルを演じるのは彩風咲奈、長身でスーツをビシッと着こなして登場する。そして、作品には、ホームズのシリーズが掲載されている「ストランド・マガジン」編集部がたびたび登場する。――元日の能登半島地震、翌日の羽田空港における日航機炎上、旧田中角栄邸の火災など、今年は一年が始まって十日くらいで大事件が次々と起きた。そんな折にこの舞台を観たということもあったからなのか、自分が職業人生をスタートさせた1995年があざやかに甦ってきた。1995年は、1月17日に阪神・淡路大震災があり、3月20日には地下鉄サリン事件が起き、その十日後には警察庁長官狙撃事件があった。そのそれぞれの日、自分が何をしていたか、今もはっきりと覚えている。心ざわざわする、どこか不穏なものを感じる中、4月になり、新米記者として歩み始めた。私が配属になった雑誌の創刊編集長は長身で、スーツをビシッと着こなしていて、そして、厳しかった。新米記者は、「あなたの文章は人間が書けてないんだよ」という叱言を何度か頂戴した。おもしろい作品を書きたいと願うドイルと、おもしろい作品を雑誌に掲載したいと願うストランド・マガジン編集部の人々を観ていて、書き手としての基礎を叩き込まれた、そんな新米記者時代を思い出した。
 魔法のペンを得たドイルの目の前に、シャーロック・ホームズ(朝美絢)が現れる。シリーズが人気を博したことにより、虚構であるはずのホームズという存在は次第に大きくなってゆき、ドイルの人生をも振り回す。ときに悪魔のようないでたちで登場し、ドイルを翻弄するホームズ。妻ルイーザ(夢白あや)のアドバイスも受け、ホームズと訣別するために、ドイルはホームズを亡きものとすることにし、『最後の事件』の着想を練るが、ホームズには弱点がないという設定ゆえ、大いに苦労する。『最後の事件』の結末とドイルの実人生との絡め方については疑問なしとしないが、宝塚の舞台作りにもつながる物作りの苦労と喜びを描く作品で、「世界には、それでも物語が必要だ」なるドイルのセリフで締めくくられる。
 作中、ドイルの育った家庭が父チャールズ(奏乃はると)の飲酒により崩壊したこと、ホームズ・シリーズのヒットを受け、離れて暮らす家族をドイルが呼び寄せ一つにしようとするエピソードが語られる。ドイルの母メアリ(妃華ゆきの)からの手紙を受けて、ドイルの妹ロティ(野々花ひまり)が過去を振り返って歌うが、この野々花の歌がしみじみ心を打つものだった。
 「ストランド・マガジン」のオーナー、ジョージ・ニューンズ役の真那春人の軽妙な演技。怪しげな催眠術を使うミロ・デ・メイヤー教授(実在したメイヤー教授とは異なる設定とのこと)役の縣千もとぼけた味を発揮。

 雪組誕生100周年を祝福する『FROZEN HOLIDAY−Snow Troupe 100th Anniversary−』には、作曲家フランク・ワイルドホーンによる「SNOW FLOWER WILL BLOOM」の曲のプレゼント付き(ワイルドホーン夫人である和央ようかは元宙組トップスターだが、雪組に配属され、研鑽を積んだ)。舞台に映し出されるスライド、そして、作・演出の野口幸作が手がけたこの曲の歌詞で、「戦争で街が焼かれて/瓦礫が溢れた時代/流行病で街から/人が消え去った時代」と、この100年の間のさまざまな苦難が言及されるが、そこに出て来ない出来事として、2011年3月11日の東日本大震災を思い出した。このとき東京宝塚劇場で『ロミオとジュリエット』を上演していたのが雪組である。地震の結果生じた電力不足が舞台芸術界にとっても大きな問題となり、余震も続く中、公演は続けられた。
 100周年を迎えるFROZEN HOTELにさまざまな宿泊客がやってくるという設定の作品で、クリスマス・メドレーあり、和テイストありと、多彩に変化する場面が、“冬の休日”のテーマのもとしっかりまとめ上げられている。花、月、雪、星、宙と宝塚に5つ組がある中、雪組は、一つの季節と結びついている唯一の組であることを改めて思った。今年後半の『ベルサイユのばら−フェルゼン編−』で退団となる彩風咲奈にとってはこれが大劇場公演における最後のレヴュー作品だが、長身で颯爽と躍動する姿で印象付け、夢白あやとのコンビネーションも非常にしっくり来ていた。朝美絢は、彼女の中のおもしろさが男役像に深みを与えるべく発揮できるようになってきた感がある。朝美が軸になり、雪組男役陣を率いてT.M.Revolutionの「WHITE BREATH」でかっこよく歌い踊るシーンの勢いで今後もGO! このシーンでは和希そら、縣千にも大いにパワーを感じた。夢白あやは華やかさで魅了する。白いドレスで出てきた彼女にさまざまな飾り付けをしてショートケーキのように仕上げるシーンがあり、ここでかぶっているショートケーキのハットがめちゃめちゃかわいいのですが(衣装:加藤真美)、ちょうどドイルの時代であるヴィクトリア朝風のロリータ服を得意とするブランドで、まさにケーキのようなハットを発見、今回の雪組公演のためにあるようなアイテムだな……と思った次第。

 この公演で退団となる沙羅アンナが『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』で演じたのは、霊媒師エステル・ロバーツ(実在した霊媒師だが、舞台で描かれた時代における実年齢とはかなり違っており、ミロ・デ・メイヤー教授同様、異なる設定ということのようである)。心霊現象研究協会の会合で一心不乱に踊る様にインパクトがあった。
 そして、「ストランド・マガジン」編集長ハーバート・グリーンハウ・スミスを演じた和希そら。よき書き手、物語を発掘せんと心に炎を燃やす様に、鬼気迫るものを感じさせる演技だった。『FROZEN HOLIDAY』では渋いいい声で「ママがサンタにキスをした」を歌っていて、大人の魅力。和希の話になると、みんな口を揃えて「もったいない」と言う。私は、第二の人生でもパワー爆発してくれるんだろうなと、大いに期待している。
 魔法のペンを手に入れたアーサー・コナン・ドイルの目の前に、シャーロック・ホームズが現れて――。書き手とインスピレーションをめぐる考察が笑いをまじえて描かれる『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル−Boiled Doyle on the Toil Trail−』(作・演出:生田大和)。長身の雪組トップスター彩風咲奈が長い手足の動きも軽妙にコミカルにドイルを演じる。ホームズ(朝美絢)によるドイルの翻弄っぷり、ドイルを励まし続ける妻ルイーザ(夢白あや)の超ポジティブぶりも楽しい。2024年は雪組誕生100周年、その始まりを、クリスマスから新年にかけてのホリデイ・シーズン気分満載で祝福する『FROZEN HOLIDAY−Snow Troupe 100th Anniversary−』(作・演出:野口幸作)は、寒い季節に温かい飲み物でほっこり一息つくときのような思いを味わえるレヴュー作品。主題歌「♪ENJOY!/FROZEN HOLIDAY」(作詞:野口幸作、作曲:青木朝子)のフレーズがとてもキャッチーで今も頭をぐるぐるぐる。
 ショー・ジャンルのベストは星組『JAGUAR BEAT―ジャガー・ビート−』(作・演出:齋藤吉正)。芝居ジャンルのベストは星組『1789−バスティーユの恋人たち−』(潤色・演出:小池修一郎)。本公演(本拠地である宝塚大劇場&東京宝塚劇場での公演)以外の劇場公演のベストは、月組『DEATH TAKES A HOLIDAY』(シアターオーブ、潤色・演出:生田大和、配信視聴)と、星組『ME AND MY GIRL』(博多座、脚色:小原弘稔、脚色・演出:三木章雄)。年明けの『JAGUAR BEAT』で勢いに乗った星組が爆走していった感あり。
 新人賞は、トップ娘役就任作『ジュエル・ド・パリ!!−パリの宝石たち−』で破壊力満点の舞台を見せた雪組の夢白あや。そして、『ENCHANTEMENT−華麗なる香水−』でショースターぶりを、『鴛鴦歌合戦』でコメディエンヌぶりを発揮した花組の星空美咲。
<始まりは『BLUE・MOON・BLUE』>
 『JAGUAR BEAT−ジャガー・ビート−』について語る前に、まずは作・演出の齋藤吉正の宝塚大劇場ショー・デビュー作、月組『BLUE・MOON・BLUE−月明かりの赤い花−』(2000)について語らなくてはならない。砂漠にたたずむ瀕死のゲリラ戦士(真琴つばさ)が、美しく妖しい赤い花(檀れい)にいざなわれ、蛇ナーガ(紫吹淳)も登場する幻覚を見る――。設定も、音楽の流れ方も、斬新だった。観客の受け止め方は分かれた。「意気揚々に迎えた初日公演終演後の客席のなんともいえない舞台との大きな温度差と壁」と、作者自身が『JAGUAR BEAT』公演プログラムで語っている。作者は重ねて、「いつも胸の奥で引っかかるものは『BLUE・MOON・BLUE』」「至らなかったものばかりが思い出される作品ですが今の私にはない“チャレンジ”がそこにはありました」と述べ、その“チャレンジ”を今の星組、すなわち『JAGUAR BEAT』に賭けるとしている。
 宝塚大劇場、東京のTAKARAZUKA1000days劇場、博多座と上演された『BLUE・MOON・BLUE』だが、2000年にはベルリン公演(フリードリッヒ・シュタットパラスト劇場)が行なわれ、各組から選抜されたメンバーが参加したことなどもあり、前述の配役で上演されたのは宝塚大劇場公演のみである。

<「ラインダンス早すぎ!」問題と『タンホイザー』>
 宝塚歌劇には欠かせないラインダンスだが、『JAGUAR BEAT』においてその登場シーンはかなり早い。プロローグ終わりに行なわれる。『JAGUAR BEAT』の感想として、「あっという間に終わった」「長く感じた」の双方が見受けられる。暗転を一切入れずに展開していく手法に加え、ラインダンスの配置の影響もあったと考え得る。
 1月に「パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂」展を観に行き、リヒャルト・ワーグナーが『タンホイザー』をパリ・オペラ座で上演する際、バレエをどこに配置するかでいろいろあったとの展示を見た。そして実際、その月に新国立劇場オペラハウスで上演された『タンホイザー』を観ると、バレエ・シーンが開始早々出てくる。『タンホイザー』パリ・オペラ座公演におけるバレエの配置位置は、当時の劇場の状況、慣習とも関わる問題でもある。だが、言葉なしで踊りのみでつづるシーンを作品の流れ的にどこにもってくるかという問題を考える上で、非常に興味深かった。

<“二刀流”で気づいた>
 「『JAGUAR BEAT』はトップスターの出番が多すぎる」と言う人がいた。正直、私はそのことについて、これまであまり考えたことがなかった。しかし。3月のWBC決勝「日本対アメリカ」で大谷翔平選手の二刀流出場を初めて観て、何だか腑に落ちた。抑え投手として登板するためブルペンで調整したり、打席が回ってきそうになったらまたベンチに戻ったり、めちゃめちゃ忙しい。舞台だと、裏は見えないので、わからないのである。

<四人娘と五人衆>
 『BLUE・MOON・BLUE』には、蛇ナーガの取り巻きとして、娘役たちによるウサギ四人娘が登場。アジアン・ムードの宙組『満天星大夜總会―THE STAR DUST PARTY―』(2003)にはパンダ四人娘が登場した。『JAGUAR BEAT』においても、中詰の第12場Eでワイルドキャット四人娘が登場し、JAGUARとキュートに戯れる。
 第13場Aでは、バファロー(瀬央ゆりあ。この場ではトヒル)、青の神(綺城ひか理)、黒の神(暁千星)、赤の神(天華えま)、白の神(極美慎)の“五人衆”が登場する。雪組『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』(2011)の中詰後にも、五人衆が銀橋上で次々キャッチフレーズを決めていくシーンがあった。このシーンで、1975年から1977年に放送された特撮テレビドラマ『秘密戦隊ゴレンジャー』の名乗りを思い出したのだが、『秘密戦隊ゴレンジャー』自体、歌舞伎の『青砥稿花紅彩画』(通称『白浪五人男』)を原典としていることをこのとき知った。ちなみに、『JAGUAR BEAT』東京公演中の1月の「壽 初春大歌舞伎」(歌舞伎座)第一部でちょうど『弁天娘女男白浪』(『青砥稿花紅彩画』のうち<浜松屋見世先の場>と<稲瀬川勢揃いの場>を上演する際の外題)を上演しており、原典の原典と同時期に観ることができた。

<改めて、その構造>
「この作品、創った人の頭の中、いったいどうなってるんだか観てみたい……。あ、今、観てるのか」
 と、初見のときに思った『JAGUAR BEAT』だが、次第に見えてきたその構造について。
 JAGUAR(礼真琴)とクリスタルバード(舞空瞳)が、バファロー(瀬央ゆりあ)やクリスタルバードの翼を奪って逃げたマーリン(暁千星)と宇宙空間でさまざまなドラマを繰り広げた果て、美の彼岸で一つとなり、デュエットダンスを踊る(ここまでが第21場)。そこに、ジャガー横田の「愛のジャガー」、西城秀樹の「ジャガー」、春畑道哉の「JAGUAR」と“ジャガー”尽くしのフィナーレがつく。第21場のデュエットダンスによってJAGUARとクリスタルバードは一体となっていることから、このフィナーレにおいて、JAGUARは自分を鼓舞すると同時に、クリスタルバードをも鼓舞していることになる。以前書いたが、JAGUARはクリエイター、クリスタルバードはそのミューズ、インスピレーション――宝塚作品の舞台を見守るすべての観客が内包される――であり、ここに、『JAGUAR BEAT』は、劇場空間そのものを祝福する。その空間に、思う。「創造(SOUZOU)」と「想像(SOUZOU)」の翼は、舞台上と客席とで分かち合ってこそ。

<効果と予言>
 以前記したように、1月にこの舞台を観劇した後、毎日のように映像を観ないとおさまらない状態になった。そして気づいたのが。
 ものすごく気持ちが楽になった! ――1972年に日本で女性として生まれた自分、生きてきた人生を、そのまま受け止められるようになった。もちろん、自分として最大限の努力はしていく。でも、今さら他の誰にもなれない。ならなくていい。
 男役としてせつなさを身上としている礼真琴がJAGUARを演じたこともあるのか、第23場の「JAGUAR」を歌いながらの銀橋渡りがせつないのである。よって、『ROYAL STRAIGHT FLUSH』の歌詞「♪俺とお前の合言葉」に従い、“俺−お前”呼びで行かせていただく。
「俺とお前がいるここも世界だ!」

 警鐘を鳴らすため、歴史を叙述したら、何だか違うところで予言になってしまった、そんな作品、『JAGUAR BEAT』。警鐘は重く受け止める。二度と“マーリン”をナルキッソスにはしたくない。