藤本真由
(舞台評論家・ふじもとまゆ)
1972年生まれ。
東京大学法学部卒業後、新潮社に入社。写真週刊誌「FOCUS」の記者として、主に演劇・芸能分野の取材に携わる。
2001年退社し、フリーに。演劇を中心に国内はもとより海外の公演もインタビュー・取材を手がける。
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bluemoonblue@jcom.home.ne.jp まで。
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宝塚
宝塚星組『JAGUAR BEAT−ジャガー・ビート−』(2022−2023、作・演出:齋藤吉正)でもっとも印象に残る二大フレーズと言えば、「♪Beat! Beat! Beat! Beat! Beat! Beat!」(曲「JAGUAR BEAT」より)と♪「マジ! マジ! マジック!」(曲「CRYSTAL FANTASY」より)であろう(作詞はすべて齋藤吉正による)。オープニングから頻出する前者の「ビ、ビ、ビ、ビ、ビ、ビ」という音の連なりは、運命的な出逢いの瞬間を表す「ビビッとくる」を連想させる。後者は中詰以降に登場するが、英語で言うなら”Really?”あたりのスラング的表現である「マジ」と「マジック」の音がかかっていて、敢えて言い換えるなら「ホントに魔法みたい!」くらいのニュアンスか。「♪偽りに抱かれた/終わることのないブラックシーズン」が「♪マジ! マジ! マジック!」で「♪終わることないドリームシーズン」へと変容するわけである。
この曲「CRYSTAL FANTASY」は中詰開始と共に始まり、第12場において歌い継がれていく。そして、第12場Dで「赤の神」に扮した薄いピンクの衣装の天華えまが登場し、「マジ! マジ! マジック!」と歌い出すのだが、肩から力の抜けた洒脱な感じの彼女が、その歌声とたたずまいで舞台の雰囲気を変えていくのが非常によかった――齋藤吉正の大劇場デビュー作『BLUE・MOON・BLUE−月明かりの赤い花−』(2000)のフィナーレの銀橋歌い継ぎにおいて、濃いピンクの衣装の初風緑が、その歌声で「♪大空舞うよ あふれ出す愛」と劇場を明るい空気で包んでいったことが心に深く刻み込まれているのだけれども、それと双璧を成す瞬間。そして、銀橋上の天華の振りと共に振り落としが行なわれることは、昨年のKバレエ トウキョウ『くるみ割り人形』の記事においてすでに記した(http://daisy.stablo.jp/article/501911787.html?1712316284)。振り落とされた幕の向こうに現れるのはJAGUAR(礼真琴)である。
退団公演となる『RRR × TAKA"R"AZUKA 〜√Bheem〜』で天華が演じたのは、礼真琴演じるビームのよき仲間であるペッダイヤ役。レビュー作品『VIOLETOPIA』における退団の餞の場面「エントランス・ノスタルジー」では、トレンチコートに颯爽と身を包み、劇場において過ごした日々を愛おしむように、「As Time Goes By」を甘やかなムードいっぱいに歌う。男役としてのスマートな魅力があふれる瞬間。
『ME AND MY GIRL』(2023)で演じたジェラルド役で発揮したような、とぼけたキュートさも味わい深かった。退団を惜しむ。
この曲「CRYSTAL FANTASY」は中詰開始と共に始まり、第12場において歌い継がれていく。そして、第12場Dで「赤の神」に扮した薄いピンクの衣装の天華えまが登場し、「マジ! マジ! マジック!」と歌い出すのだが、肩から力の抜けた洒脱な感じの彼女が、その歌声とたたずまいで舞台の雰囲気を変えていくのが非常によかった――齋藤吉正の大劇場デビュー作『BLUE・MOON・BLUE−月明かりの赤い花−』(2000)のフィナーレの銀橋歌い継ぎにおいて、濃いピンクの衣装の初風緑が、その歌声で「♪大空舞うよ あふれ出す愛」と劇場を明るい空気で包んでいったことが心に深く刻み込まれているのだけれども、それと双璧を成す瞬間。そして、銀橋上の天華の振りと共に振り落としが行なわれることは、昨年のKバレエ トウキョウ『くるみ割り人形』の記事においてすでに記した(http://daisy.stablo.jp/article/501911787.html?1712316284)。振り落とされた幕の向こうに現れるのはJAGUAR(礼真琴)である。
退団公演となる『RRR × TAKA"R"AZUKA 〜√Bheem〜』で天華が演じたのは、礼真琴演じるビームのよき仲間であるペッダイヤ役。レビュー作品『VIOLETOPIA』における退団の餞の場面「エントランス・ノスタルジー」では、トレンチコートに颯爽と身を包み、劇場において過ごした日々を愛おしむように、「As Time Goes By」を甘やかなムードいっぱいに歌う。男役としてのスマートな魅力があふれる瞬間。
『ME AND MY GIRL』(2023)で演じたジェラルド役で発揮したような、とぼけたキュートさも味わい深かった。退団を惜しむ。
『RRR × TAKA"R"AZUKA 〜√Bheem〜』(Based on SS Rajamouli’s ‘RRR’.)は、S・S・ラージャマウリ監督の世界的大ヒット映画『RRR』が原作(脚本・演出:谷貴矢)。実在の独立運動指導者コムラム・ビームとA・ラーマ・ラージュを主人公に、二人がイギリス領インド帝国に戦いを挑んでいく物語を、宝塚版ではビーム視点で再構築。シャーロック・ホームズ・シリーズの作者アーサー・コナン・ドイルを主人公に据えた雪組公演『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル−Boiled Doyle on the Toil Trail−』が大英帝国の光の部分を描く作品ならば、続いての星組公演は大英帝国の負の部分に光を当てる作品である。宝塚大劇場公演の初日が開いてすぐ観る機会があり、……こんなにも重いテーマを扱い、歌と踊りをふんだんに盛り込んだ作品を、年明け早々このクオリティで上演するんだ……と、正月気分が吹っ飛んだ。大劇場での一カ月ほどの公演を経ての東京宝塚劇場公演はますますパワーアップ。実際の歴史においては出逢うことのなかったコムラム・ビーム(礼真琴)とA・ラーマ・ラージュ(暁千星)が運命的な出会いを果たし、それぞれの使命と友情との間で揺れる、そんな人間模様があざやかに描き出される。映画で大人気を博した「ナートゥ・ナートゥ」のダンス・シーンも、抑圧からの解放を目指して立ち上がる強い思いがこめられているからこそ熱く激しく盛り上がる、そんな物語上の重要性をきっちりと踏まえて踊られているのがすばらしい。
大劇場で舞台を観た際、新宿中村屋のインドカリーのキャッチフレーズが「恋と革命の味」であることを思い出した。ビームやラーマより少し上の世代の独立運動家だったベンガル生まれのラス・ビハリ・ボースは、インド総督への襲撃事件をきっかけにイギリス政府に追われる身となり、日本に密入国して武器を祖国へと送る。日本政府からも国外退去命令を受けるが、中村屋の創業者夫妻が彼をかくまい、夫妻の娘とボースは後に結婚。そして、本場のカリーを日本に紹介したいとのボースの願いから中村屋名物インドカリーが生まれ、今日に至るまでその味を伝えている。子供のころから親しんでいて、今でも月に一度は食べに行く、その味の背景にある物語を思った。
『VIOLETOPIA』は作・演出の指田珠子の大劇場デビューとなるレビュー。廃墟となった劇場が、そこに棲まう記憶と共に甦り――。劇場に在るのは幻! 虚構! とこれでもかと提示され、じらしありずらしあり、客席降りで盛り上がる中詰め使用曲の原曲は、熱狂的なファンに対するどこか冷やかな目線の歌詞が印象的な、フランスのバンド、フェニックスの「リストマニア」(“リストマニア”=作曲家フランツ・リストの熱狂的なファンの意。2022年に上演された宝塚花組『巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜』にも“リストマニア”が登場していた)。それでも拍手と手拍子を送ってしまう劇場好きとは随分と被虐的であることよ……と自嘲したくなるようなせつなさを覚える、そんな毒がどこかたまらない作品。星組の今の充実ぶりがうかがえる、見応えありの二本立て。
大劇場で舞台を観た際、新宿中村屋のインドカリーのキャッチフレーズが「恋と革命の味」であることを思い出した。ビームやラーマより少し上の世代の独立運動家だったベンガル生まれのラス・ビハリ・ボースは、インド総督への襲撃事件をきっかけにイギリス政府に追われる身となり、日本に密入国して武器を祖国へと送る。日本政府からも国外退去命令を受けるが、中村屋の創業者夫妻が彼をかくまい、夫妻の娘とボースは後に結婚。そして、本場のカリーを日本に紹介したいとのボースの願いから中村屋名物インドカリーが生まれ、今日に至るまでその味を伝えている。子供のころから親しんでいて、今でも月に一度は食べに行く、その味の背景にある物語を思った。
『VIOLETOPIA』は作・演出の指田珠子の大劇場デビューとなるレビュー。廃墟となった劇場が、そこに棲まう記憶と共に甦り――。劇場に在るのは幻! 虚構! とこれでもかと提示され、じらしありずらしあり、客席降りで盛り上がる中詰め使用曲の原曲は、熱狂的なファンに対するどこか冷やかな目線の歌詞が印象的な、フランスのバンド、フェニックスの「リストマニア」(“リストマニア”=作曲家フランツ・リストの熱狂的なファンの意。2022年に上演された宝塚花組『巡礼の年〜リスト・フェレンツ、魂の彷徨〜』にも“リストマニア”が登場していた)。それでも拍手と手拍子を送ってしまう劇場好きとは随分と被虐的であることよ……と自嘲したくなるようなせつなさを覚える、そんな毒がどこかたまらない作品。星組の今の充実ぶりがうかがえる、見応えありの二本立て。
雪組東京宝塚劇場公演『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル−Boiled Doyle on the Toil Trail−』『FROZEN HOLIDAY−Snow Troupe 100th Anniversary−』&退団者たち[宝塚]
シャーロック・ホームズ・シリーズの作者アーサー・コナン・ドイルが主人公の『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル−Boiled Doyle on the Toil Trail−』(“オンザ”の箇所にも「・(中黒)」が必要のように思うのですが)。作・演出の生田大和は、宙組公演『シャーロック・ホームズ−The Game Is Afoot!−』(2021)を手がけた経験あり。今回ドイルを演じるのは彩風咲奈、長身でスーツをビシッと着こなして登場する。そして、作品には、ホームズのシリーズが掲載されている「ストランド・マガジン」編集部がたびたび登場する。――元日の能登半島地震、翌日の羽田空港における日航機炎上、旧田中角栄邸の火災など、今年は一年が始まって十日くらいで大事件が次々と起きた。そんな折にこの舞台を観たということもあったからなのか、自分が職業人生をスタートさせた1995年があざやかに甦ってきた。1995年は、1月17日に阪神・淡路大震災があり、3月20日には地下鉄サリン事件が起き、その十日後には警察庁長官狙撃事件があった。そのそれぞれの日、自分が何をしていたか、今もはっきりと覚えている。心ざわざわする、どこか不穏なものを感じる中、4月になり、新米記者として歩み始めた。私が配属になった雑誌の創刊編集長は長身で、スーツをビシッと着こなしていて、そして、厳しかった。新米記者は、「あなたの文章は人間が書けてないんだよ」という叱言を何度か頂戴した。おもしろい作品を書きたいと願うドイルと、おもしろい作品を雑誌に掲載したいと願うストランド・マガジン編集部の人々を観ていて、書き手としての基礎を叩き込まれた、そんな新米記者時代を思い出した。
魔法のペンを得たドイルの目の前に、シャーロック・ホームズ(朝美絢)が現れる。シリーズが人気を博したことにより、虚構であるはずのホームズという存在は次第に大きくなってゆき、ドイルの人生をも振り回す。ときに悪魔のようないでたちで登場し、ドイルを翻弄するホームズ。妻ルイーザ(夢白あや)のアドバイスも受け、ホームズと訣別するために、ドイルはホームズを亡きものとすることにし、『最後の事件』の着想を練るが、ホームズには弱点がないという設定ゆえ、大いに苦労する。『最後の事件』の結末とドイルの実人生との絡め方については疑問なしとしないが、宝塚の舞台作りにもつながる物作りの苦労と喜びを描く作品で、「世界には、それでも物語が必要だ」なるドイルのセリフで締めくくられる。
作中、ドイルの育った家庭が父チャールズ(奏乃はると)の飲酒により崩壊したこと、ホームズ・シリーズのヒットを受け、離れて暮らす家族をドイルが呼び寄せ一つにしようとするエピソードが語られる。ドイルの母メアリ(妃華ゆきの)からの手紙を受けて、ドイルの妹ロティ(野々花ひまり)が過去を振り返って歌うが、この野々花の歌がしみじみ心を打つものだった。
「ストランド・マガジン」のオーナー、ジョージ・ニューンズ役の真那春人の軽妙な演技。怪しげな催眠術を使うミロ・デ・メイヤー教授(実在したメイヤー教授とは異なる設定とのこと)役の縣千もとぼけた味を発揮。
雪組誕生100周年を祝福する『FROZEN HOLIDAY−Snow Troupe 100th Anniversary−』には、作曲家フランク・ワイルドホーンによる「SNOW FLOWER WILL BLOOM」の曲のプレゼント付き(ワイルドホーン夫人である和央ようかは元宙組トップスターだが、雪組に配属され、研鑽を積んだ)。舞台に映し出されるスライド、そして、作・演出の野口幸作が手がけたこの曲の歌詞で、「戦争で街が焼かれて/瓦礫が溢れた時代/流行病で街から/人が消え去った時代」と、この100年の間のさまざまな苦難が言及されるが、そこに出て来ない出来事として、2011年3月11日の東日本大震災を思い出した。このとき東京宝塚劇場で『ロミオとジュリエット』を上演していたのが雪組である。地震の結果生じた電力不足が舞台芸術界にとっても大きな問題となり、余震も続く中、公演は続けられた。
100周年を迎えるFROZEN HOTELにさまざまな宿泊客がやってくるという設定の作品で、クリスマス・メドレーあり、和テイストありと、多彩に変化する場面が、“冬の休日”のテーマのもとしっかりまとめ上げられている。花、月、雪、星、宙と宝塚に5つ組がある中、雪組は、一つの季節と結びついている唯一の組であることを改めて思った。今年後半の『ベルサイユのばら−フェルゼン編−』で退団となる彩風咲奈にとってはこれが大劇場公演における最後のレヴュー作品だが、長身で颯爽と躍動する姿で印象付け、夢白あやとのコンビネーションも非常にしっくり来ていた。朝美絢は、彼女の中のおもしろさが男役像に深みを与えるべく発揮できるようになってきた感がある。朝美が軸になり、雪組男役陣を率いてT.M.Revolutionの「WHITE BREATH」でかっこよく歌い踊るシーンの勢いで今後もGO! このシーンでは和希そら、縣千にも大いにパワーを感じた。夢白あやは華やかさで魅了する。白いドレスで出てきた彼女にさまざまな飾り付けをしてショートケーキのように仕上げるシーンがあり、ここでかぶっているショートケーキのハットがめちゃめちゃかわいいのですが(衣装:加藤真美)、ちょうどドイルの時代であるヴィクトリア朝風のロリータ服を得意とするブランドで、まさにケーキのようなハットを発見、今回の雪組公演のためにあるようなアイテムだな……と思った次第。
この公演で退団となる沙羅アンナが『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』で演じたのは、霊媒師エステル・ロバーツ(実在した霊媒師だが、舞台で描かれた時代における実年齢とはかなり違っており、ミロ・デ・メイヤー教授同様、異なる設定ということのようである)。心霊現象研究協会の会合で一心不乱に踊る様にインパクトがあった。
そして、「ストランド・マガジン」編集長ハーバート・グリーンハウ・スミスを演じた和希そら。よき書き手、物語を発掘せんと心に炎を燃やす様に、鬼気迫るものを感じさせる演技だった。『FROZEN HOLIDAY』では渋いいい声で「ママがサンタにキスをした」を歌っていて、大人の魅力。和希の話になると、みんな口を揃えて「もったいない」と言う。私は、第二の人生でもパワー爆発してくれるんだろうなと、大いに期待している。
魔法のペンを得たドイルの目の前に、シャーロック・ホームズ(朝美絢)が現れる。シリーズが人気を博したことにより、虚構であるはずのホームズという存在は次第に大きくなってゆき、ドイルの人生をも振り回す。ときに悪魔のようないでたちで登場し、ドイルを翻弄するホームズ。妻ルイーザ(夢白あや)のアドバイスも受け、ホームズと訣別するために、ドイルはホームズを亡きものとすることにし、『最後の事件』の着想を練るが、ホームズには弱点がないという設定ゆえ、大いに苦労する。『最後の事件』の結末とドイルの実人生との絡め方については疑問なしとしないが、宝塚の舞台作りにもつながる物作りの苦労と喜びを描く作品で、「世界には、それでも物語が必要だ」なるドイルのセリフで締めくくられる。
作中、ドイルの育った家庭が父チャールズ(奏乃はると)の飲酒により崩壊したこと、ホームズ・シリーズのヒットを受け、離れて暮らす家族をドイルが呼び寄せ一つにしようとするエピソードが語られる。ドイルの母メアリ(妃華ゆきの)からの手紙を受けて、ドイルの妹ロティ(野々花ひまり)が過去を振り返って歌うが、この野々花の歌がしみじみ心を打つものだった。
「ストランド・マガジン」のオーナー、ジョージ・ニューンズ役の真那春人の軽妙な演技。怪しげな催眠術を使うミロ・デ・メイヤー教授(実在したメイヤー教授とは異なる設定とのこと)役の縣千もとぼけた味を発揮。
雪組誕生100周年を祝福する『FROZEN HOLIDAY−Snow Troupe 100th Anniversary−』には、作曲家フランク・ワイルドホーンによる「SNOW FLOWER WILL BLOOM」の曲のプレゼント付き(ワイルドホーン夫人である和央ようかは元宙組トップスターだが、雪組に配属され、研鑽を積んだ)。舞台に映し出されるスライド、そして、作・演出の野口幸作が手がけたこの曲の歌詞で、「戦争で街が焼かれて/瓦礫が溢れた時代/流行病で街から/人が消え去った時代」と、この100年の間のさまざまな苦難が言及されるが、そこに出て来ない出来事として、2011年3月11日の東日本大震災を思い出した。このとき東京宝塚劇場で『ロミオとジュリエット』を上演していたのが雪組である。地震の結果生じた電力不足が舞台芸術界にとっても大きな問題となり、余震も続く中、公演は続けられた。
100周年を迎えるFROZEN HOTELにさまざまな宿泊客がやってくるという設定の作品で、クリスマス・メドレーあり、和テイストありと、多彩に変化する場面が、“冬の休日”のテーマのもとしっかりまとめ上げられている。花、月、雪、星、宙と宝塚に5つ組がある中、雪組は、一つの季節と結びついている唯一の組であることを改めて思った。今年後半の『ベルサイユのばら−フェルゼン編−』で退団となる彩風咲奈にとってはこれが大劇場公演における最後のレヴュー作品だが、長身で颯爽と躍動する姿で印象付け、夢白あやとのコンビネーションも非常にしっくり来ていた。朝美絢は、彼女の中のおもしろさが男役像に深みを与えるべく発揮できるようになってきた感がある。朝美が軸になり、雪組男役陣を率いてT.M.Revolutionの「WHITE BREATH」でかっこよく歌い踊るシーンの勢いで今後もGO! このシーンでは和希そら、縣千にも大いにパワーを感じた。夢白あやは華やかさで魅了する。白いドレスで出てきた彼女にさまざまな飾り付けをしてショートケーキのように仕上げるシーンがあり、ここでかぶっているショートケーキのハットがめちゃめちゃかわいいのですが(衣装:加藤真美)、ちょうどドイルの時代であるヴィクトリア朝風のロリータ服を得意とするブランドで、まさにケーキのようなハットを発見、今回の雪組公演のためにあるようなアイテムだな……と思った次第。
この公演で退団となる沙羅アンナが『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル』で演じたのは、霊媒師エステル・ロバーツ(実在した霊媒師だが、舞台で描かれた時代における実年齢とはかなり違っており、ミロ・デ・メイヤー教授同様、異なる設定ということのようである)。心霊現象研究協会の会合で一心不乱に踊る様にインパクトがあった。
そして、「ストランド・マガジン」編集長ハーバート・グリーンハウ・スミスを演じた和希そら。よき書き手、物語を発掘せんと心に炎を燃やす様に、鬼気迫るものを感じさせる演技だった。『FROZEN HOLIDAY』では渋いいい声で「ママがサンタにキスをした」を歌っていて、大人の魅力。和希の話になると、みんな口を揃えて「もったいない」と言う。私は、第二の人生でもパワー爆発してくれるんだろうなと、大いに期待している。
雪組東京宝塚劇場公演『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル−Boiled Doyle on the Toil Trail−』『FROZEN HOLIDAY−Snow Troupe 100th Anniversary−』[宝塚]
魔法のペンを手に入れたアーサー・コナン・ドイルの目の前に、シャーロック・ホームズが現れて――。書き手とインスピレーションをめぐる考察が笑いをまじえて描かれる『ボイルド・ドイル・オンザ・トイル・トレイル−Boiled Doyle on the Toil Trail−』(作・演出:生田大和)。長身の雪組トップスター彩風咲奈が長い手足の動きも軽妙にコミカルにドイルを演じる。ホームズ(朝美絢)によるドイルの翻弄っぷり、ドイルを励まし続ける妻ルイーザ(夢白あや)の超ポジティブぶりも楽しい。2024年は雪組誕生100周年、その始まりを、クリスマスから新年にかけてのホリデイ・シーズン気分満載で祝福する『FROZEN HOLIDAY−Snow Troupe 100th Anniversary−』(作・演出:野口幸作)は、寒い季節に温かい飲み物でほっこり一息つくときのような思いを味わえるレヴュー作品。主題歌「♪ENJOY!/FROZEN HOLIDAY」(作詞:野口幸作、作曲:青木朝子)のフレーズがとてもキャッチーで今も頭をぐるぐるぐる。
ショー・ジャンルのベストは星組『JAGUAR BEAT―ジャガー・ビート−』(作・演出:齋藤吉正)。芝居ジャンルのベストは星組『1789−バスティーユの恋人たち−』(潤色・演出:小池修一郎)。本公演(本拠地である宝塚大劇場&東京宝塚劇場での公演)以外の劇場公演のベストは、月組『DEATH TAKES A HOLIDAY』(シアターオーブ、潤色・演出:生田大和、配信視聴)と、星組『ME AND MY GIRL』(博多座、脚色:小原弘稔、脚色・演出:三木章雄)。年明けの『JAGUAR BEAT』で勢いに乗った星組が爆走していった感あり。
新人賞は、トップ娘役就任作『ジュエル・ド・パリ!!−パリの宝石たち−』で破壊力満点の舞台を見せた雪組の夢白あや。そして、『ENCHANTEMENT−華麗なる香水−』でショースターぶりを、『鴛鴦歌合戦』でコメディエンヌぶりを発揮した花組の星空美咲。
新人賞は、トップ娘役就任作『ジュエル・ド・パリ!!−パリの宝石たち−』で破壊力満点の舞台を見せた雪組の夢白あや。そして、『ENCHANTEMENT−華麗なる香水−』でショースターぶりを、『鴛鴦歌合戦』でコメディエンヌぶりを発揮した花組の星空美咲。
<始まりは『BLUE・MOON・BLUE』>
『JAGUAR BEAT−ジャガー・ビート−』について語る前に、まずは作・演出の齋藤吉正の宝塚大劇場ショー・デビュー作、月組『BLUE・MOON・BLUE−月明かりの赤い花−』(2000)について語らなくてはならない。砂漠にたたずむ瀕死のゲリラ戦士(真琴つばさ)が、美しく妖しい赤い花(檀れい)にいざなわれ、蛇ナーガ(紫吹淳)も登場する幻覚を見る――。設定も、音楽の流れ方も、斬新だった。観客の受け止め方は分かれた。「意気揚々に迎えた初日公演終演後の客席のなんともいえない舞台との大きな温度差と壁」と、作者自身が『JAGUAR BEAT』公演プログラムで語っている。作者は重ねて、「いつも胸の奥で引っかかるものは『BLUE・MOON・BLUE』」「至らなかったものばかりが思い出される作品ですが今の私にはない“チャレンジ”がそこにはありました」と述べ、その“チャレンジ”を今の星組、すなわち『JAGUAR BEAT』に賭けるとしている。
宝塚大劇場、東京のTAKARAZUKA1000days劇場、博多座と上演された『BLUE・MOON・BLUE』だが、2000年にはベルリン公演(フリードリッヒ・シュタットパラスト劇場)が行なわれ、各組から選抜されたメンバーが参加したことなどもあり、前述の配役で上演されたのは宝塚大劇場公演のみである。
<「ラインダンス早すぎ!」問題と『タンホイザー』>
宝塚歌劇には欠かせないラインダンスだが、『JAGUAR BEAT』においてその登場シーンはかなり早い。プロローグ終わりに行なわれる。『JAGUAR BEAT』の感想として、「あっという間に終わった」「長く感じた」の双方が見受けられる。暗転を一切入れずに展開していく手法に加え、ラインダンスの配置の影響もあったと考え得る。
1月に「パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂」展を観に行き、リヒャルト・ワーグナーが『タンホイザー』をパリ・オペラ座で上演する際、バレエをどこに配置するかでいろいろあったとの展示を見た。そして実際、その月に新国立劇場オペラハウスで上演された『タンホイザー』を観ると、バレエ・シーンが開始早々出てくる。『タンホイザー』パリ・オペラ座公演におけるバレエの配置位置は、当時の劇場の状況、慣習とも関わる問題でもある。だが、言葉なしで踊りのみでつづるシーンを作品の流れ的にどこにもってくるかという問題を考える上で、非常に興味深かった。
<“二刀流”で気づいた>
「『JAGUAR BEAT』はトップスターの出番が多すぎる」と言う人がいた。正直、私はそのことについて、これまであまり考えたことがなかった。しかし。3月のWBC決勝「日本対アメリカ」で大谷翔平選手の二刀流出場を初めて観て、何だか腑に落ちた。抑え投手として登板するためブルペンで調整したり、打席が回ってきそうになったらまたベンチに戻ったり、めちゃめちゃ忙しい。舞台だと、裏は見えないので、わからないのである。
<四人娘と五人衆>
『BLUE・MOON・BLUE』には、蛇ナーガの取り巻きとして、娘役たちによるウサギ四人娘が登場。アジアン・ムードの宙組『満天星大夜總会―THE STAR DUST PARTY―』(2003)にはパンダ四人娘が登場した。『JAGUAR BEAT』においても、中詰の第12場Eでワイルドキャット四人娘が登場し、JAGUARとキュートに戯れる。
第13場Aでは、バファロー(瀬央ゆりあ。この場ではトヒル)、青の神(綺城ひか理)、黒の神(暁千星)、赤の神(天華えま)、白の神(極美慎)の“五人衆”が登場する。雪組『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』(2011)の中詰後にも、五人衆が銀橋上で次々キャッチフレーズを決めていくシーンがあった。このシーンで、1975年から1977年に放送された特撮テレビドラマ『秘密戦隊ゴレンジャー』の名乗りを思い出したのだが、『秘密戦隊ゴレンジャー』自体、歌舞伎の『青砥稿花紅彩画』(通称『白浪五人男』)を原典としていることをこのとき知った。ちなみに、『JAGUAR BEAT』東京公演中の1月の「壽 初春大歌舞伎」(歌舞伎座)第一部でちょうど『弁天娘女男白浪』(『青砥稿花紅彩画』のうち<浜松屋見世先の場>と<稲瀬川勢揃いの場>を上演する際の外題)を上演しており、原典の原典と同時期に観ることができた。
<改めて、その構造>
「この作品、創った人の頭の中、いったいどうなってるんだか観てみたい……。あ、今、観てるのか」
と、初見のときに思った『JAGUAR BEAT』だが、次第に見えてきたその構造について。
JAGUAR(礼真琴)とクリスタルバード(舞空瞳)が、バファロー(瀬央ゆりあ)やクリスタルバードの翼を奪って逃げたマーリン(暁千星)と宇宙空間でさまざまなドラマを繰り広げた果て、美の彼岸で一つとなり、デュエットダンスを踊る(ここまでが第21場)。そこに、ジャガー横田の「愛のジャガー」、西城秀樹の「ジャガー」、春畑道哉の「JAGUAR」と“ジャガー”尽くしのフィナーレがつく。第21場のデュエットダンスによってJAGUARとクリスタルバードは一体となっていることから、このフィナーレにおいて、JAGUARは自分を鼓舞すると同時に、クリスタルバードをも鼓舞していることになる。以前書いたが、JAGUARはクリエイター、クリスタルバードはそのミューズ、インスピレーション――宝塚作品の舞台を見守るすべての観客が内包される――であり、ここに、『JAGUAR BEAT』は、劇場空間そのものを祝福する。その空間に、思う。「創造(SOUZOU)」と「想像(SOUZOU)」の翼は、舞台上と客席とで分かち合ってこそ。
<効果と予言>
以前記したように、1月にこの舞台を観劇した後、毎日のように映像を観ないとおさまらない状態になった。そして気づいたのが。
ものすごく気持ちが楽になった! ――1972年に日本で女性として生まれた自分、生きてきた人生を、そのまま受け止められるようになった。もちろん、自分として最大限の努力はしていく。でも、今さら他の誰にもなれない。ならなくていい。
男役としてせつなさを身上としている礼真琴がJAGUARを演じたこともあるのか、第23場の「JAGUAR」を歌いながらの銀橋渡りがせつないのである。よって、『ROYAL STRAIGHT FLUSH』の歌詞「♪俺とお前の合言葉」に従い、“俺−お前”呼びで行かせていただく。
「俺とお前がいるここも世界だ!」
警鐘を鳴らすため、歴史を叙述したら、何だか違うところで予言になってしまった、そんな作品、『JAGUAR BEAT』。警鐘は重く受け止める。二度と“マーリン”をナルキッソスにはしたくない。
『JAGUAR BEAT−ジャガー・ビート−』について語る前に、まずは作・演出の齋藤吉正の宝塚大劇場ショー・デビュー作、月組『BLUE・MOON・BLUE−月明かりの赤い花−』(2000)について語らなくてはならない。砂漠にたたずむ瀕死のゲリラ戦士(真琴つばさ)が、美しく妖しい赤い花(檀れい)にいざなわれ、蛇ナーガ(紫吹淳)も登場する幻覚を見る――。設定も、音楽の流れ方も、斬新だった。観客の受け止め方は分かれた。「意気揚々に迎えた初日公演終演後の客席のなんともいえない舞台との大きな温度差と壁」と、作者自身が『JAGUAR BEAT』公演プログラムで語っている。作者は重ねて、「いつも胸の奥で引っかかるものは『BLUE・MOON・BLUE』」「至らなかったものばかりが思い出される作品ですが今の私にはない“チャレンジ”がそこにはありました」と述べ、その“チャレンジ”を今の星組、すなわち『JAGUAR BEAT』に賭けるとしている。
宝塚大劇場、東京のTAKARAZUKA1000days劇場、博多座と上演された『BLUE・MOON・BLUE』だが、2000年にはベルリン公演(フリードリッヒ・シュタットパラスト劇場)が行なわれ、各組から選抜されたメンバーが参加したことなどもあり、前述の配役で上演されたのは宝塚大劇場公演のみである。
<「ラインダンス早すぎ!」問題と『タンホイザー』>
宝塚歌劇には欠かせないラインダンスだが、『JAGUAR BEAT』においてその登場シーンはかなり早い。プロローグ終わりに行なわれる。『JAGUAR BEAT』の感想として、「あっという間に終わった」「長く感じた」の双方が見受けられる。暗転を一切入れずに展開していく手法に加え、ラインダンスの配置の影響もあったと考え得る。
1月に「パリ・オペラ座 響き合う芸術の殿堂」展を観に行き、リヒャルト・ワーグナーが『タンホイザー』をパリ・オペラ座で上演する際、バレエをどこに配置するかでいろいろあったとの展示を見た。そして実際、その月に新国立劇場オペラハウスで上演された『タンホイザー』を観ると、バレエ・シーンが開始早々出てくる。『タンホイザー』パリ・オペラ座公演におけるバレエの配置位置は、当時の劇場の状況、慣習とも関わる問題でもある。だが、言葉なしで踊りのみでつづるシーンを作品の流れ的にどこにもってくるかという問題を考える上で、非常に興味深かった。
<“二刀流”で気づいた>
「『JAGUAR BEAT』はトップスターの出番が多すぎる」と言う人がいた。正直、私はそのことについて、これまであまり考えたことがなかった。しかし。3月のWBC決勝「日本対アメリカ」で大谷翔平選手の二刀流出場を初めて観て、何だか腑に落ちた。抑え投手として登板するためブルペンで調整したり、打席が回ってきそうになったらまたベンチに戻ったり、めちゃめちゃ忙しい。舞台だと、裏は見えないので、わからないのである。
<四人娘と五人衆>
『BLUE・MOON・BLUE』には、蛇ナーガの取り巻きとして、娘役たちによるウサギ四人娘が登場。アジアン・ムードの宙組『満天星大夜總会―THE STAR DUST PARTY―』(2003)にはパンダ四人娘が登場した。『JAGUAR BEAT』においても、中詰の第12場Eでワイルドキャット四人娘が登場し、JAGUARとキュートに戯れる。
第13場Aでは、バファロー(瀬央ゆりあ。この場ではトヒル)、青の神(綺城ひか理)、黒の神(暁千星)、赤の神(天華えま)、白の神(極美慎)の“五人衆”が登場する。雪組『ROYAL STRAIGHT FLUSH!!』(2011)の中詰後にも、五人衆が銀橋上で次々キャッチフレーズを決めていくシーンがあった。このシーンで、1975年から1977年に放送された特撮テレビドラマ『秘密戦隊ゴレンジャー』の名乗りを思い出したのだが、『秘密戦隊ゴレンジャー』自体、歌舞伎の『青砥稿花紅彩画』(通称『白浪五人男』)を原典としていることをこのとき知った。ちなみに、『JAGUAR BEAT』東京公演中の1月の「壽 初春大歌舞伎」(歌舞伎座)第一部でちょうど『弁天娘女男白浪』(『青砥稿花紅彩画』のうち<浜松屋見世先の場>と<稲瀬川勢揃いの場>を上演する際の外題)を上演しており、原典の原典と同時期に観ることができた。
<改めて、その構造>
「この作品、創った人の頭の中、いったいどうなってるんだか観てみたい……。あ、今、観てるのか」
と、初見のときに思った『JAGUAR BEAT』だが、次第に見えてきたその構造について。
JAGUAR(礼真琴)とクリスタルバード(舞空瞳)が、バファロー(瀬央ゆりあ)やクリスタルバードの翼を奪って逃げたマーリン(暁千星)と宇宙空間でさまざまなドラマを繰り広げた果て、美の彼岸で一つとなり、デュエットダンスを踊る(ここまでが第21場)。そこに、ジャガー横田の「愛のジャガー」、西城秀樹の「ジャガー」、春畑道哉の「JAGUAR」と“ジャガー”尽くしのフィナーレがつく。第21場のデュエットダンスによってJAGUARとクリスタルバードは一体となっていることから、このフィナーレにおいて、JAGUARは自分を鼓舞すると同時に、クリスタルバードをも鼓舞していることになる。以前書いたが、JAGUARはクリエイター、クリスタルバードはそのミューズ、インスピレーション――宝塚作品の舞台を見守るすべての観客が内包される――であり、ここに、『JAGUAR BEAT』は、劇場空間そのものを祝福する。その空間に、思う。「創造(SOUZOU)」と「想像(SOUZOU)」の翼は、舞台上と客席とで分かち合ってこそ。
<効果と予言>
以前記したように、1月にこの舞台を観劇した後、毎日のように映像を観ないとおさまらない状態になった。そして気づいたのが。
ものすごく気持ちが楽になった! ――1972年に日本で女性として生まれた自分、生きてきた人生を、そのまま受け止められるようになった。もちろん、自分として最大限の努力はしていく。でも、今さら他の誰にもなれない。ならなくていい。
男役としてせつなさを身上としている礼真琴がJAGUARを演じたこともあるのか、第23場の「JAGUAR」を歌いながらの銀橋渡りがせつないのである。よって、『ROYAL STRAIGHT FLUSH』の歌詞「♪俺とお前の合言葉」に従い、“俺−お前”呼びで行かせていただく。
「俺とお前がいるここも世界だ!」
警鐘を鳴らすため、歴史を叙述したら、何だか違うところで予言になってしまった、そんな作品、『JAGUAR BEAT』。警鐘は重く受け止める。二度と“マーリン”をナルキッソスにはしたくない。
――俺のこの闘い、愛するお前がいなきゃ、意味ないんだよ!
そんなキャッチコピーをつけたくなるような、暁千星のビルなのだった。そうして、物語の間中、暁ビルは二方向において闘いを繰り広げる。サリー(舞空瞳)との愛を守らんがための彼女との闘い。ロンドンの下町ランベス育ちの自分を、愛するサリーとセットで当主として受け入れよとの、ヘアフォード伯爵家との闘い。サリーが貴婦人然とした姿で戻ってきて、ハッピーエンドと思いきや。
「この二人、きっとこれからも苦労するんですよ」
……とでも言いたげな。これからもタフな闘いは続く、そんな示唆。いや、まあ、「ご当主とご令室、ランベス育ちなんですって」とは言われ続けそう。でも。愛する相手が一緒ならば、乗り越えていけるのでは?
暁のビルの演技を観ていると、このギャグはもともとの台本上入っているものなのか、それとも後の段階で加えられたものなのか、気になってくるところがある。手元にある英語台本を見てみると、演技上違和感を覚えていると思しき箇所のギャグは記されていない感じ(それでもそこできっちり笑いを取りに行ってはいたが)。確かに、「土手かぼちゃ」って昔は聞いたけど……。これからも愛され続けていく作品だと思う。次の上演の機会にアップデートを望みたい。
第二幕第二場、ヘアフォード家の先祖たちが肖像画から出てきてビルの叔母マリア公爵夫人(小桜ほのか)と共に『ヘアフォードの歌』のナンバーを歌い、タップ・ダンスを繰り広げる「図書室」の場面を観ていて、2019年秋、母と共に訪れたイギリス・ケント州のノール・ハウスを思い出した。ヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』の舞台であるノール・ハウスの薄暗いギャラリーにはずらっと肖像画が並んでいて、その屋敷で流れてきた時間、歴史の重みに圧倒されるような思いがした。
ジャッキーを演じた極美慎のあっけらかんとしたセクシーさ。彼女を愛するジェラルド役天華えまのあまりにもあっけらかんとした“働きたくない感”に笑う。ヘアフォード家の弁護士パーチェスター役のひろ香祐の軽快な動き。そして、気になったのが、輝咲玲央演じる執事ヘザーセットの存在。『家政婦は見た!』(というドラマが昔あった)ならぬ“執事は見た!”、ではないですが、あれこれ知っていそうな佇まい。
トイレは高級ホテルばりに広くて多くて、売店も大充実(作品にちなんでスコーンの出店あり、高級ブランドの洋服のセールや着物の販売までやっていた)、日本でもっともホスピタリティにあふれる劇場の一つである「博多座」に宝塚観劇に行ったのは、安蘭けい率いる星組(!)公演以来、16年ぶりでした。
そんなキャッチコピーをつけたくなるような、暁千星のビルなのだった。そうして、物語の間中、暁ビルは二方向において闘いを繰り広げる。サリー(舞空瞳)との愛を守らんがための彼女との闘い。ロンドンの下町ランベス育ちの自分を、愛するサリーとセットで当主として受け入れよとの、ヘアフォード伯爵家との闘い。サリーが貴婦人然とした姿で戻ってきて、ハッピーエンドと思いきや。
「この二人、きっとこれからも苦労するんですよ」
……とでも言いたげな。これからもタフな闘いは続く、そんな示唆。いや、まあ、「ご当主とご令室、ランベス育ちなんですって」とは言われ続けそう。でも。愛する相手が一緒ならば、乗り越えていけるのでは?
暁のビルの演技を観ていると、このギャグはもともとの台本上入っているものなのか、それとも後の段階で加えられたものなのか、気になってくるところがある。手元にある英語台本を見てみると、演技上違和感を覚えていると思しき箇所のギャグは記されていない感じ(それでもそこできっちり笑いを取りに行ってはいたが)。確かに、「土手かぼちゃ」って昔は聞いたけど……。これからも愛され続けていく作品だと思う。次の上演の機会にアップデートを望みたい。
第二幕第二場、ヘアフォード家の先祖たちが肖像画から出てきてビルの叔母マリア公爵夫人(小桜ほのか)と共に『ヘアフォードの歌』のナンバーを歌い、タップ・ダンスを繰り広げる「図書室」の場面を観ていて、2019年秋、母と共に訪れたイギリス・ケント州のノール・ハウスを思い出した。ヴァージニア・ウルフの小説『オーランドー』の舞台であるノール・ハウスの薄暗いギャラリーにはずらっと肖像画が並んでいて、その屋敷で流れてきた時間、歴史の重みに圧倒されるような思いがした。
ジャッキーを演じた極美慎のあっけらかんとしたセクシーさ。彼女を愛するジェラルド役天華えまのあまりにもあっけらかんとした“働きたくない感”に笑う。ヘアフォード家の弁護士パーチェスター役のひろ香祐の軽快な動き。そして、気になったのが、輝咲玲央演じる執事ヘザーセットの存在。『家政婦は見た!』(というドラマが昔あった)ならぬ“執事は見た!”、ではないですが、あれこれ知っていそうな佇まい。
トイレは高級ホテルばりに広くて多くて、売店も大充実(作品にちなんでスコーンの出店あり、高級ブランドの洋服のセールや着物の販売までやっていた)、日本でもっともホスピタリティにあふれる劇場の一つである「博多座」に宝塚観劇に行ったのは、安蘭けい率いる星組(!)公演以来、16年ぶりでした。
1974年に初演された『ベルサイユのばら』(池田理代子の同名少女漫画が原作)は、宝塚歌劇団にとって起死回生の大ヒットとなった。以来、宝塚では、フランス革命期を舞台にした作品が多く上演されている(おもしろいところでは、漫画『ルパン三世』を原作とする雪組『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』もまたフランス革命ものである)。
2012年にフランスで初演され、2015年に月組で日本初演されたこの『1789−バスティーユの恋人たち−』も、フランス革命を題材にしたミュージカルである(潤色・演出:小池修一郎)。初演の際は月組トップスターの龍真咲が主人公のロナン・マズリエに、トップ娘役の愛希れいかがフランス王妃マリー・アントワネットに扮した。今回の星組公演では、星組トップスターの礼真琴がロナン・マズリエ、トップ娘役の舞空瞳が王太子の養育係でロナンの恋人となるオランプという配役。
小池修一郎は、行き過ぎたフランス革命を揶揄するブロードウェイ・ミュージカル『THE SCARLET PIMPERNEL』の潤色・演出を手がけた経験もある。そして、今回の『1789』において、『ベルサイユのばら』が親しまれていることを念頭に置きつつもこれと絶妙の距離を保つ手腕が光った。例えば、王妃マリー・アントワネット(有沙瞳)にフェルゼン(天飛華音)が別れを告げるシーン。『ベルサイユのばら』を知る観客ならば……これはあの場面……とピンと来る場面だが、同じようにやっても『ベルサイユのばら』をなぞることになってしまう。示唆はしつつも異なるものとして提示する、その線引きが巧みだった。火薬を手に入れるためバスティーユ要塞に乗り込んでいったロナンは、銃弾を受け、オランプや仲間に見守られて死ぬ。その後、登場人物たちが「人間および市民の権利の宣言」の文章を読み上げ、歌となり、魂となった礼のロナンが白い衣装でその中で舞うとき、歴史上自由を求めて闘った人々への鎮魂の念が込められているのを感じた。ロナンがオランプとの恋に身を焦がす姿に、礼真琴が男役として身上とするせつなさが生きた。オランプの舞空瞳も、自分の責務と素直な思いとの間に揺れる姿で本領発揮。そのコミカルな演技は、重い作品の中での清涼剤的楽しさ。
『ベルサイユのばら』には、バスティーユ襲撃の前、オスカルが、貴族の身分を捨てて皆と共に闘うと告げる名場面があるが、『1789』においてはカミーユ・デムーランのナンバー「武器を取れ」につながるところがある。デムーランを演じた暁千星の歌唱は作品におけるこのナンバーの重要性をきっちり踏まえたものだった。
ルイ16世の弟アルトワ伯爵役の瀬央ゆりあの、これみよがしでない妖しさ、冷やかさ。専科の輝月ゆうまが演じるペイロール伯爵は、権力なるものがときとして内包する悪を象徴するかのようだった。白妙なつのポリニャック夫人役には、映画『マリー・アントワネットに別れをつげて』(とは王妃との関係性は違うが)を思い出し。国務大臣ジャック・ネッケル役の輝咲玲央の重厚な演技。
2012年にフランスで初演され、2015年に月組で日本初演されたこの『1789−バスティーユの恋人たち−』も、フランス革命を題材にしたミュージカルである(潤色・演出:小池修一郎)。初演の際は月組トップスターの龍真咲が主人公のロナン・マズリエに、トップ娘役の愛希れいかがフランス王妃マリー・アントワネットに扮した。今回の星組公演では、星組トップスターの礼真琴がロナン・マズリエ、トップ娘役の舞空瞳が王太子の養育係でロナンの恋人となるオランプという配役。
小池修一郎は、行き過ぎたフランス革命を揶揄するブロードウェイ・ミュージカル『THE SCARLET PIMPERNEL』の潤色・演出を手がけた経験もある。そして、今回の『1789』において、『ベルサイユのばら』が親しまれていることを念頭に置きつつもこれと絶妙の距離を保つ手腕が光った。例えば、王妃マリー・アントワネット(有沙瞳)にフェルゼン(天飛華音)が別れを告げるシーン。『ベルサイユのばら』を知る観客ならば……これはあの場面……とピンと来る場面だが、同じようにやっても『ベルサイユのばら』をなぞることになってしまう。示唆はしつつも異なるものとして提示する、その線引きが巧みだった。火薬を手に入れるためバスティーユ要塞に乗り込んでいったロナンは、銃弾を受け、オランプや仲間に見守られて死ぬ。その後、登場人物たちが「人間および市民の権利の宣言」の文章を読み上げ、歌となり、魂となった礼のロナンが白い衣装でその中で舞うとき、歴史上自由を求めて闘った人々への鎮魂の念が込められているのを感じた。ロナンがオランプとの恋に身を焦がす姿に、礼真琴が男役として身上とするせつなさが生きた。オランプの舞空瞳も、自分の責務と素直な思いとの間に揺れる姿で本領発揮。そのコミカルな演技は、重い作品の中での清涼剤的楽しさ。
『ベルサイユのばら』には、バスティーユ襲撃の前、オスカルが、貴族の身分を捨てて皆と共に闘うと告げる名場面があるが、『1789』においてはカミーユ・デムーランのナンバー「武器を取れ」につながるところがある。デムーランを演じた暁千星の歌唱は作品におけるこのナンバーの重要性をきっちり踏まえたものだった。
ルイ16世の弟アルトワ伯爵役の瀬央ゆりあの、これみよがしでない妖しさ、冷やかさ。専科の輝月ゆうまが演じるペイロール伯爵は、権力なるものがときとして内包する悪を象徴するかのようだった。白妙なつのポリニャック夫人役には、映画『マリー・アントワネットに別れをつげて』(とは王妃との関係性は違うが)を思い出し。国務大臣ジャック・ネッケル役の輝咲玲央の重厚な演技。
モーリー・イェストンが作詞・作曲を手がけた2011年初演のオフ・ブロードウェイ・ミュージカルの日本初演で、潤色・演出は生田大和。宝塚ではイェストン作品は『グランドホテル』が二度、『ファントム』が四度上演されている。この作品の音楽にもところどころ『ファントム』を思い出し。
人の命を奪うことに疲れた死神(月城かなと)が、人間の姿を借りてこの世で過ごし、人間について、生について探求していく。人ならざる存在を通じて人間の生を描く、ヒット作『エリザベート』とも共通する趣向である。そしてこちらは少々コミカル・タッチ。ニコライ・サーキ青年となり、人間として初めて食べる朝食のサニーサイドアップをスキップして喜ぶ死神がかわいい。そして、なんせ人間としては非常に初心なところが周囲の人々を翻弄してしまう。初めての恋を知る死神にときめき――人を好きになるという感情を初めて知ったのは、それが恋なのだと初めて知ったのは、いつだっただろう……と。月城は、「人として、生きて」、「One More Day」のナンバーの歌唱もよかった。
月城の演じる死神を観ながら、――宝塚の舞台を踏み、去っていったタカラジェンヌたち、そのうち私がその舞台を観ることのできた人々の芸が、ふとしたところからそれこそ善き“ファントム”のように顔を出すのを見つけたときの歓びについて、改めて考えた。そして、この作品の脚本を手がけたトーマス・ミーハンとピーター・ストーンがすでに故人であることも。死して思いは残り、二人は、作品を通じて人間の生を讃え続ける。人間が生を大切にしていないと怒る死神は、最終的に「愛は死よりも強い」との境地に至る。そのセリフが重みをもって響いた。
死神を愛することとなるヒロイン・グラツィア役の海乃美月も、どこか夢見ているような発声がとても魅力的。デュエット曲「More and More」では月城サーキの愛の熱量に包容力をもって応えた。時代は1920年代、加藤真美が衣装を手がけたグラツィアのドレスはどれも素敵なデザインで、その着こなしもよかった。
グラツィアの父ヴィットリオ・ランベルティ公爵(風間柚乃)とランベルティ家に仕える使用人頭フィデレ(佳城葵)だけが、死神の正体を知っている――二人のやりとりの妙。風間はヒゲもよく似合ってダンディ、死神、すなわち生に真摯に立ち向かう。佳城の軽妙な演技には“芝居の月組”の継承をみる思い。ランベルティ家の古くからの知り合いである老エヴァンジェリーナ・ディ・サン・ダニエッリ伯爵夫人(彩みちる)がすぐさま死神の正体を察知するところに、どこか『リトル・ナイト・ミュージック』のマダム・アームフェルトを思い出し。そのエヴァンジェリーナが、彼女に長年優しく思いを寄せ続けたダリオ・アルビオーネ男爵(英真なおき)と遂に結ばれる展開にほっこり。死神とは知らずサーキを狙うメイドを桃歌雪が色っぽく演じる。海乃グラツィアとその義理の姉アリス(白河りり)、グラツィアの親友デイジー(きよら羽龍)が三人で歌う「Finally to Know」もキュートだった。
人の命を奪うことに疲れた死神(月城かなと)が、人間の姿を借りてこの世で過ごし、人間について、生について探求していく。人ならざる存在を通じて人間の生を描く、ヒット作『エリザベート』とも共通する趣向である。そしてこちらは少々コミカル・タッチ。ニコライ・サーキ青年となり、人間として初めて食べる朝食のサニーサイドアップをスキップして喜ぶ死神がかわいい。そして、なんせ人間としては非常に初心なところが周囲の人々を翻弄してしまう。初めての恋を知る死神にときめき――人を好きになるという感情を初めて知ったのは、それが恋なのだと初めて知ったのは、いつだっただろう……と。月城は、「人として、生きて」、「One More Day」のナンバーの歌唱もよかった。
月城の演じる死神を観ながら、――宝塚の舞台を踏み、去っていったタカラジェンヌたち、そのうち私がその舞台を観ることのできた人々の芸が、ふとしたところからそれこそ善き“ファントム”のように顔を出すのを見つけたときの歓びについて、改めて考えた。そして、この作品の脚本を手がけたトーマス・ミーハンとピーター・ストーンがすでに故人であることも。死して思いは残り、二人は、作品を通じて人間の生を讃え続ける。人間が生を大切にしていないと怒る死神は、最終的に「愛は死よりも強い」との境地に至る。そのセリフが重みをもって響いた。
死神を愛することとなるヒロイン・グラツィア役の海乃美月も、どこか夢見ているような発声がとても魅力的。デュエット曲「More and More」では月城サーキの愛の熱量に包容力をもって応えた。時代は1920年代、加藤真美が衣装を手がけたグラツィアのドレスはどれも素敵なデザインで、その着こなしもよかった。
グラツィアの父ヴィットリオ・ランベルティ公爵(風間柚乃)とランベルティ家に仕える使用人頭フィデレ(佳城葵)だけが、死神の正体を知っている――二人のやりとりの妙。風間はヒゲもよく似合ってダンディ、死神、すなわち生に真摯に立ち向かう。佳城の軽妙な演技には“芝居の月組”の継承をみる思い。ランベルティ家の古くからの知り合いである老エヴァンジェリーナ・ディ・サン・ダニエッリ伯爵夫人(彩みちる)がすぐさま死神の正体を察知するところに、どこか『リトル・ナイト・ミュージック』のマダム・アームフェルトを思い出し。そのエヴァンジェリーナが、彼女に長年優しく思いを寄せ続けたダリオ・アルビオーネ男爵(英真なおき)と遂に結ばれる展開にほっこり。死神とは知らずサーキを狙うメイドを桃歌雪が色っぽく演じる。海乃グラツィアとその義理の姉アリス(白河りり)、グラツィアの親友デイジー(きよら羽龍)が三人で歌う「Finally to Know」もキュートだった。
4月5日11時の部観劇(日本青年館ホール)。2016年にパリで初演されたフレンチ・ミュージカルを、谷貴矢の潤色・演出で。宝塚では1975年に初演された柴田侑宏作・演出の佳作『赤と黒』が上演を重ねており、……安蘭けい主演の2008年星組版、おもしろかったな……と記憶をたどりつつ観る(2008年星組版に出演していて好印象を残した英真なおきと白妙なつがこのたびも出演していたということもあり)。ブルジョワを揶揄するようなところのあるこのフレンチ・ミュージカルで、パリで活躍する歌手でストーリーテラーも兼ねるジェロニモを演じる暁千星が魅力を放った。暁は、月組時代の『川霧の橋』(2021)で色悪的な役どころを演じた際も、庶民の暮らしは楽にならないといった意のセリフを吐いて凄みを見せ、やはり月組時代に主演した『ブエノスアイレスの風』(2022)では、1900年代半ばのアルゼンチン・ブエノスアイレス、反政府ゲリラのリーダーとして政治犯で服役するも特赦で釈放された主人公という役どころを、ウクライナ情勢を含む現代社会への眼差しを感じさせる演技で構築した、鋭くときにシニカルな視点が光る人である。ジェロニモの演技においても、女性が男性を演じる宝塚ならではの中性的で妖しい魅力を大いにふりまきながらも、そのシニカルな眼差しをもって、主人公ジュリアン・ソレル(礼真琴)が繰り広げる愛と階級闘争の物語をストーリーテラーとして観客に提示した。ヴェリエール貧民収容所所長ムッシュー・ヴァルノ役のひろ香祐とその妻ヴァルノ夫人を演じた小桜ほのかは、『レ・ミゼラブル』のテナルディエ夫妻を思わせるようなコミカルな活躍〜――小桜は案外怪演系なんだな、と実感。