藤本真由
(舞台評論家・ふじもとまゆ)
1972年生まれ。
東京大学法学部卒業後、新潮社に入社。写真週刊誌「FOCUS」の記者として、主に演劇・芸能分野の取材に携わる。
2001年退社し、フリーに。演劇を中心に国内はもとより海外の公演もインタビュー・取材を手がける。
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オペラ
指揮=大野和士、演出・美術・衣裳=ヤニス・コッコス、合唱=新国立劇場合唱団、管弦楽=東京フィルハーモニー交響楽団。ジョアキーノ・ロッシーニの最後のオペラ作品を日本で初めて原語で舞台上演。輝かしく美しい音楽が堪能できると共に、歴史と思想史を伝え、現在、未来を考える手がかりと成し得る、そんなメディアとしての舞台芸術、オペラの可能性に改めて目を拓かれる舞台。あまりに有名な序曲が何だか挽歌のようにも聴こえ――文化や時代に終止符を打つ歴史上のさまざまな出来事について思いを馳せ。“森”がもつ文化的、民俗学的意味合いについても考えた。第二次世界大戦下における日本とアジア諸国の関係性、第二次世界大戦後のアメリカと日本の関係性が鏡合わせのように見える瞬間もあった。知性と感性に訴えかけるバランスがよくとれていて、今後新国立劇場オペラハウスにおいて長く上演されていってほしいプロダクション。
(11月26日14時の部、新国立劇場オペラハウス)
(11月26日14時の部、新国立劇場オペラハウス)
物語の社会的背景や登場人物のおかれた状況、そしてさまざまな感情につき、奥深く、それでいて実にバランスよく提示するマウリツィオ・ベニーニの指揮が多くの示唆に富んでいて、冒頭から心をぐっとつかまれた。非常に新鮮にこの物語を受け止めることができ、カヴァラドッシに仮託されたものについて改めて興味深く思った。新国立劇場の人気プロダクション、アントネッロ・マダウ=ディアツの演出もわかりやすく、オペラに初めてふれる方にもお勧めしたいこの公演は21日まで。
(14時の部、新国立劇場オペラハウス)
(14時の部、新国立劇場オペラハウス)
指揮:フランチェスコ・ランツィロッタ(管弦楽:東京フィルハーモニー管弦楽団)。このオペラを聴くといつも出だしから問いかけられているように感じるのだけれども、今日においても通じるその鋭い問いかけとさまざまな論点が明快に伝わってくる舞台だった。
(19時の部、新国立劇場オペラハウス)
(19時の部、新国立劇場オペラハウス)
14時の部観劇(新国立劇場オペラパレス。指揮:レナート・バルサドンナ、演出:ステファノ・ヴィツィオーリ、管弦楽:東京交響楽団)。耳福〜。折りたたみ式ドールハウスみたいな家の装置もかわいく(美術:スザンナ・ロッシ・ヨスト)。それにしても、この物語が始まる前にドン・パスクワーレは相当恨まれていたのかな……とでも考えないと、彼への仕打ちがあまりにひどいような。タイトルロールを歌ったミケーレ・ペルトゥージのコミカルなしぐさがときにエレガントですらあるのを観ていて、よけいにそう思い。
『シモン・ボッカネグラ』は、14世紀の実在のジェノヴァ共和国の総督を主人公に据えたジュゼッペ・ヴェルディ作曲のオペラである。自分の判断が多くの人々の命に関わってくる総督という立場。そんな存在に仮託されたものに思いを馳せた。今年上演された『リゴレット』でもタイトルロールを演じたロベルト・フロンターリがシモン・ボッカネグラ役。オペラを聴いていて初めて男性役について歌ってみたいなと思った、そんな演技、歌唱だった。
6月28日鑑賞。作曲:テレンス・ブランチャード、台本:マイケル・クリストファー、指揮:ヤニック・ネゼ=セガン、演出:ジェイムズ・ロビンソン、振付:カミーユ・A・ブラウン。実在の黒人スター・ボクサー、エミール・グリフィスを主人公に描くオペラ。セント・トーマス島からニューヨークに出てきたグリフィスは、ボクサーとしての才能を見出され、頭角を現す。対戦に際し、王者ベニー・ペレットに「maricón」(スペイン語で同性愛者に対する差別語)となじられた彼は、相手を昏睡状態に陥るまで殴り続け、ペレットはそのまま意識が戻ることなく死ぬ(ペレットの方も健康上何らかの問題を抱えていたことが作中示唆される)。チャンピオンとしての栄光を味わうも、ペレットへの贖罪意識に苛まれ続け、「ボクサー脳症」にも蝕まれていくグリフィス。認知症になった彼が、ペレットの息子と会う日がやってきて――。「歌手か野球選手か帽子作りで成功したい」とグリフィス青年が希望を歌う場面のラテンのお祭りムードや、臨場感あふれるリングでのボクシング・シーンなど、見どころいっぱい。グリフィスを捨てた母親、捨てられたグリフィスを虐待するいとこ、グリフィスが出入りするゲイバーのマダムなどいたって強烈な個性をもつ女性キャラクターが次々と登場するが、それぞれが適度な距離感と冷静さをもって描かれている。その距離感と冷静さは作品全体に貫かれているものでもあって、だからこそ、グリフィスの生きた人生が提示する諸問題がひしひしと胸に迫ってくる。ラスト、ペレットの息子がグリフィスに、赦しは自分自身の中にしかないと言う、それはもう、絶対そう言うんだろうな……と事前にわかるものがあっても、やはりそこでそう言葉にされることの意味は非常に大きいと感じた。
5月12日19時の部観劇(ミューザ川崎シンフォニーホール)。指揮:ジョナサン・ノット、演出監修:サー・トーマス・アレン、合唱:二期会合唱団、管弦楽:東京交響楽団。……頼もしき年下のcollaboratorを得て、“闘い”、頑張る! な話であったか。
タイトルロールを歌ったニコラ・アライモが、声もよく、大きなお腹を突き出してのコミカルな演技もノリノリで楽しかった。
見立てであったか。初めて気づき。この日、午後から、「今晩『こうもり』観に行くんだよ〜」と家でメロディを口ずさんでいたのですが、浮かれて歌ってる場合じゃなかったかしら、みたいな。そして、「♪ドイツは狙ってる/帝国の分裂を」と、『エリザベート』の「独立運動」の一節を歌いたくなり。日本で言うなら、バブル経済崩壊後にディスコのお立ち台ブームが最高潮を迎えたみたいな感じもちょっとあり……? とイメージしたり。
(12月6日19時の部、新国立劇場オペラハウス)
(12月6日19時の部、新国立劇場オペラハウス)
11月15日19時の部観劇(新国立劇場オペラハウス)。67歳にして至った境地、ジュゼッペ・ヴェルディの音楽の素晴らしさ(指揮=大野和士、管弦楽=東京フィルハーモニー交響楽団)。芸術のマジカルさを分かち合えた夜。