河内山宗俊を演じる松本白鸚が、河竹黙阿弥の手によるせりふを語る様を聴いていて、…自分が、今、過去の時代の人々と確かにつながっているという感覚を覚えた――2年前、コクーン歌舞伎『切られの与三』(串田和美演出・美術)を観ていて、江戸時代に同じ作品を楽しんでいた観客とつながっているという感覚を覚えたことがあったのだけれども、そのときともまた異なる感覚だった。
 それは、こよなく愛する近代建築の建物を心ゆくまで眺め、その内部で心ゆくまで佇んでいるときに覚える感覚に似ていた――私がとりわけ好むのは明治から第二次世界大戦くらいまでの建築であって、…よくぞ、戦火や高度経済成長期といった激動の時代を超えて、今このときまで残っていてくれた、残してくれていた…との感慨をもって接してきた――あるときから、…きっと、私の命の長きを超えて残り続けていくのだな…とも感じるようになったけれども。そのような感慨をもって古い建築に接するとき、そうして、過去の時代、過去の人々との確かなつながりを感じるとき、私は心地よい安堵感に満たされる――自分が歴史の一部であると感じられる瞬間。興味深いのは、河竹黙阿弥のこの作品が初演されたのが明治十四年だということである――演劇においても、建築においても、西洋化、近代化の荒波が押し寄せていた時代。

(1月22日昼の部、歌舞伎座)
2020-01-22 23:17 この記事だけ表示
 歌舞伎を観に行くとき、…まだまだ勉強しなくてはいけないことがいっぱいある…と、緊張したりする――その緊張感が、ますます励みになるわけで。でも、今晩、一心に見入るうち、…勉強しなきゃ…が消えていって、…楽しい! と心から思えて、それがうれしかった…。今の私の目で観るその舞台が新鮮でおもしろいのです。そして、美しい日本語もたくさん聴けて…。歌舞伎の国に生まれてよかった! と思えた。日本人であるその喜びを最大限享受する! じっくりかみしめます!
2020-01-07 23:59 この記事だけ表示
 白浪五人男が次々と名台詞を発していく、あの稲瀬川勢揃いの場で、…一人一人の背後上空に、透明な筆が浮かんで見えた。役者たちが言葉を語るのと同時に、筆が宙でさらさらと動いていった。そうして書かれた言葉が、心に刻まれていった。
 ――作者・河竹黙阿弥が、盗賊稼業の五人の男に寄せた想い――。
 昔の観客にとって、あの七五調の名調子の台詞は、今で言えば、ミュージカルの歌のようなものだったのではないだろうか。芝居小屋で聴いて覚えて、家に帰って自分でも口ずさむ。そうして想いが広がってゆく。
 …決して一人の役者の力だけによるものではない。けれども、私には、あの透明な筆を呼び寄せるにあたっては、十代目松本幸四郎(弁天小僧菊之助と南郷力丸で役替り)が大きな力を発揮したように思えてならない。『女教師は二度抱かれた』。昨年八月の『東海道中膝栗毛』。『三谷かぶき 月光露針路日本 風雲児たち』。――今思えば、幸四郎はたびたび、作者たちの言葉を素直にそのまますっぽり入れる、真空の容れ物となってきたのではなかったか。だからこそ、その言葉はまっすぐ観る者の心に届いたのではなかったか。――言葉を降ろす者としての、役者。
2019-12-28 15:01 この記事だけ表示
 ――男は、目の前にいる女を、抱きしめることができない――。
 女はそれを望んでいる。男もそれを望んでいる。けれども、一度死んだ男は地獄に落とされ、閻魔大王の裁きによって、腐っていく身体を動かすことすらできずに朽ちていく餓鬼病となってこの世に甦った。女はそれを知らない。いつか自分も死んであの世に行ったとき、愛する男に抱きしめて欲しいと願ってけなげに生きている。目の前にいる男が、ひしと抱きしめて欲しい当の本人であることを知らずに、献身的に世話をしている。そんな女に、男は、自分の正体を明かすことができない。自分こそ、かつて美貌と何者をも恐れない力を誇ったオグリその人なのだと――。
 抱きしめたい。けれども――。その想いを、オグリを演じる四代目市川猿之助は、女へと伸ばした指先の、僅かな動きだけで表現する。指先と共に、震える心。――その指先は、泣いていた。極小な動きのうちに、空間いっぱいにあふれ出すもの――愛。

 餓鬼病の姿となって現れるオグリ。病んだ顔、病んだ身体で、そこに在る――ただそれだけで、絶望が心を突き刺す。あの姿がいつまでもいつまでも心を離れないのは、何故だろう――。おそらく私は、自分自身が人生において経験してきた孤独や絶望を、その姿に映し絵のように見ている。自分の心の中に在るものが、純粋な結晶として切り出され、目の前にある、それを客観視する不思議。
 ――2年前の公演中の事故を、ようやく振り返ることができるようになったのだ…と思った。
 誰だって、事故や病気や絶望や悲劇を好んで振り返りたくはない。できれば忘れたい。けれども、人生に起きた事柄から目を逸らし続けるわけにはいかない。いずれ向き合わなくてはならないときが来る。そのとき、人生に新たな地平が現れる。『新版 オグリ』はそんな作品である。多くの人に支えられる喜びを知ったオグリは、熊野の湯の峰に飛び込み、元の姿へ、否、喜びの分だけ大きくなった姿で、不死鳥の如きあざやかな復活を遂げるのである。
 オグリの想い人、照手姫を演じる坂東新吾があまりにけなげな愛の人なので、――彼女ならば、餓鬼病姿だろうが構わずオグリを受け止めるだろうに…と思ってしまうけれども。私は、餓鬼病の姿となったオグリに心惹かれてやまないのである。――今年7月まで、約四半世紀にわたってバーミンガム・ロイヤル・バレエ団の芸術監督を務めていたデヴィッド・ビントリー氏に、彼が手がけた『美女と野獣』についてインタビューしたときのことを思い出した。美女は、野獣の姿となった男を、その姿のまま愛している。だから、野獣が元の姿に戻ったとき、…あら? と一瞬困惑する、そんな振りを自分は入れました…と、彼が語っていたことを。

 私は、四代目市川猿之助の死生観や宗教観にふれることのできる作品が好きである――彼と光永圓道との対談集『猿之助、比叡山に千日回峰行者を訪ねる』も非常に興味深く読んだ――。“人は幸せになるために生まれてきた”が今作のテーマであり、興味深い地獄論――人の世の発展に伴い、地獄はいかに変化していくべきか――も展開される。餓鬼病の姿のオグリが、道成寺にたどり着き、人々にひどい仕打ちを受ける場面で、――私は、旧約聖書の“ヨブ記”を思い出していた。
2019-11-26 23:03 この記事だけ表示
 歌舞伎の『与話情浮名横櫛』をもとにした歌謡曲「お富さん」がヒットしたのは、昭和29年のことである。当然、生まれていない。けれども、子供のときからこの歌のことは知っていた。祖母が話してくれた。――伯父(母の兄)が子供のとき、最初に抽選があるどこかの付属小学校を受験しに行った。けれども、朝から、同行した祖母の頭の中で、「♪死んだはずだよ お富さん」が、何度も何度も流れる。何度消そうとしても、流れる。…これ、絶対落ちるわ…と思ったら、やっぱり落ちたわ、と。
 4月に、『与話情浮名横櫛』をもとにしたコクーン歌舞伎『切られの与三』の製作発表があって、演出・美術の串田和美さんが、「『お富さん』って変な歌謡曲があって」と語った、そのとき、うんうんとうなずけたのはそういうわけだったのだけれども、…その後で、不思議な気持ちになったのだった。あのとき、祖母の頭の中に「お富さん」が流れなくて、どこぞの付属小学校に受かっていたら、伯父は、成蹊小学校に行って串田さんと同級生になることもなかったんだろうな…と。串田さんが思い出話でときおり語ってくれる伯父は、何だかとてもかっこいい。

 ぼんぼん育ちなのに、お富と出逢ったばっかりに、全身、傷だらけになる与三郎。しかし。彼は、すべての傷を癒す薬を飲むことを拒む。――その傷が、彼の人生だから。
 傷。人生の傷。
――今年、とあるところで、かつて、私にこう言った人を、思いもかけず見かけた。
「宝塚ファンなんて、バカばっかりだから!」
 今、記していても、心が凍る。傷。心の傷。
 …私にそう言ったことを、本人は覚えていないんだろうな、と思った。私のことすら覚えていないかもしれない。それでいい。また傷つけられたくはない(苦笑)。でも。今となっては、そのことでその人に恨みを抱いているとかは、全然ない。それどころか、その言葉で受けた傷ゆえに、ここまで走ってきてしまったなと、不思議な感慨さえ覚えて。
 いったい、なぜ、そんな言葉が飛び出すこととなったのか――。
 それが知りたくて、その言葉をもう言わせまいと思って、しゃかりきになってやってきた。そして、今の私は、思う。言う方がおかしい、と。行き過ぎた熱狂は、宝塚に限らない。どのジャンルでも起こり得る。それを、宝塚だけ取り上げて言うのは、その人が宝塚が好きじゃないというだけ。
 あのとき、即座にそう言い返せていたら、傷つくこともなかったのかもしれない。でも、今の私はいないわけで。不思議。相手に感謝すべきなのか。…うーん。そこまでは、人間、練れてはいないかなあ…。

 もちろん、自分だって、知らず知らず人を傷つけていることもあるわけで。
ほめているのに、相手は侮辱と受け止めていたり、言葉はいろいろ難しい。書き手として、もっと精度を上げて行かなくてはいけない。
 …書いた相手に対して、十字架を背負っているように思っている。その感覚を教えてくれたのが、他ならぬ、与三郎を演じていた中村七之助である。どの文章のどの部分が、彼に対する十字架なのか、自分の心に深く留めている。たとえ、彼が忘れても、覚えている。
今年も、…ああ…と思う瞬間が何度かあったし、まだ、気づいていない分もあるかもしれないけれども。

 傷。心の傷。――一番最近受けた、大きな傷。最近と言っても、もう一年経ったけれども。
「あなたのその心の傷は、僕が癒します!」と言ってくれた、優しい人もいるけれども。
 ――私はきっと、その傷についても、一人で考えていくのだろうと思う。そして、なぜ、その傷を負わなくてはいけなかったか、いつの日か結論を出すのだろうと思う。相手に対して、もう、何の感情もない。ただ、そこに傷があるだけ。その傷を、見つめているだけ。
 消そうとは思わない。それは、与三郎と同じ。

 けれども。私は、『切られの与三』を観ていて、思った。――傷について語り始めるということは、その傷が、どこか癒え始めているということではないかと。本当に傷ついているうちは、語れない気がする。――時間が、必要。
 そして、『切られの与三』という、傷だらけの男が主人公である舞台を創った、その人の心の傷を思った。与三郎。流刑地から江戸に必死に戻って来て、その江戸は、今の渋谷のように大工事、大改造が行なわれていて、家族に受け入れられるわけでもなく、「まだ生きなきゃなんねえのかよ!」と、走り続ける与三郎。
 私は、その人を包容し、抱擁したかった。――物理的にも試みてみたのだが、うーん、人としての器がまだまだでした。だから、せめて、文章で包容できればと思って、書いている。

 ラスト。与三郎は、屋根の上にいる。少年時代の、与三郎。
 ――実は私は、ちょっと、伯父に怒っていることがあって、でも、この場面を観ていて、はっと思い出したのである。私の実家は、建築家である伯父の設計による。リビングが二階部分まで吹き抜けになっていて、床はレンガでそのまま庭まで続いていて、寒いわ、暑いわ、光熱費はかかるわ…。住みにくい。でも。自分の部屋の窓からリビングの屋根部分に出られて、子供のころ、夏はよく、そこから夜空を見上げていて――。それで、何だかもう、伯父を許した。
2018-12-30 19:28 この記事だけ表示
 あひるはデパートの上階フロアでやっている物産展が好きである。事前に情報をチェックした上で赴くこともあれば、偶然の出会いを楽しみにすることもある。今年、二月&三月のこと。たまたま立ち寄った吉祥寺、そして新宿のデパートの物産展に、「道頓堀今井」が出店しているではないですか。今井。大阪道頓堀、グリコの大看板から徒歩数分、大阪松竹座&近松門左衛門ゆかりの竹本座跡と同じ通りに本店がある今井。戦前は楽器店だった今井。うどん&そばの名店。
 今井。四月には行くけどね! 正しくは、大阪松竹座に行って、そのとき絶対寄るけどね! …あひるはうきうきしていた。なぜなら。四月の松竹座、スーパー歌舞伎U『ワンピース』に、四代目市川猿之助が出演することが発表されていたから。ここは一つ、前祝いと行こう。ということで、今井イートインコーナーのメニューの前でたたずむことしばし…。
 選べない〜!
 きつねうどんと、鴨うどんと、親子丼…。苦悩。今井といえば、甘く煮付けたおあげ(「まるき」)が入ったきつねうどんが名物…。でも、あひるは鴨も好き…。親子丼も気になる〜。…めちゃめちゃ迷った挙句、親子丼に小きつねうどんがついたセットを選択(三月には鴨うどんにしたことは言うまでもなく)。
 あひるがそのときうきうき今井のメニューで悩んでいられたのも。怪我からの復活の舞台となった一月の「壽初春大歌舞伎」『菅原伝授手習鑑 寺子屋の段』(歌舞伎座)で、涎くり与太郎役を演じる四代目の、元気な悪ガキぶりを堪能していたからである。…昨年11月の事故のとき、身体に負った傷はもちろんのこと、心配だったのは、…立つべき場所に立てない、そのことによって、心に傷を負うようなことはないだろうか…ということだった。大丈夫だった。前と変わらず、かわゆかった。それでひとまず安心。
 …と思って、そのときは今井のうどんを満喫していたのだけれども。四月公演の初日が近づくにつれ、次第に不安に…。完治、してないよね…。ルフィってけっこう運動量が多い役なんじゃあ…。でも、初日の幕は無事開いたみたい。安心。…ということで、初日から一週間ほど経った日のこと、大阪へ。まずは道頓堀今井本店にて腹ごしらえ。…ああ、本店はメニューが多すぎて選べない〜。激しい逡巡の挙句、鴨かちんうどん(お餅入り)に「まるき」をトッピング、そしてデザートに夏みかんゼリーを堪能していると、…あら、今晩、松竹座に出前するみたい。
 そして遂に劇場へ。
 ルフィめちゃめちゃ動いてる〜〜〜!
 …平昌オリンピックのフリースケーティングの後、羽生結弦に「無理禁物!」と書いた人間としては、ここでもやっぱり「無理禁物!」って書くべきでは? でも、「無理じゃないんです! 舞台に立つことがリハビリなんです!」と言われそうな…(その数日後に出演していたテレビ番組で実際そう発言)。その上、ルフィはゴム人間、だから開放骨折しても痛くないんだ! なんてアドリブさえ…。痛くないわけないだろ〜! と、なぜか外野が骨折した当の本人に向かって言いたくなる始末。…この地上にこの人を止められる人は誰もいまい、とあひるは思った。そして近づく“ファーファータイム”。ゆずの主題歌「TETOTE」にのって、ルフィが宙乗りし、観客がスーパータンバリンを打ち鳴らし、舞台と客席とが一つになって大盛り上がりする、あの場面――。
 …実は。昨年秋の東京公演の際、あひるはスーパータンバリンを買わなかった。評論家だし…。ためらう気持ちがあった。手拍子していた。でも、松竹座公演のときには、気持ちは変わっていた。一緒になって盛り上がり、その思いを味わった上で、冷静になって書き記せばいいのでは? そして、松竹座のときは、イエローに加え、限定カラーのピンクとブルーが発売されていた。ピンクなら、着ている服とのコーディネートもバッチリ。ということで、入手。買ってわかったことが一つ。過去に宝塚月組公演で販売されたタンバリンは、胴についたシンバルが金属製だったのに比べ、スーパータンバリンはプラスティックだから、音が耳に優しい。そして迎えた“ファーファータイム”。
 ――宙乗りする四代目ルフィの姿に、嗚咽。怪我をした方の腕でサーフボードを何度もつかみ、「大丈夫です!!!」と激しくアピールするルフィに、嗚咽。ピンクのタンパリンを鳴らしながら、嗚咽。結局、“ファーファータイム”中、ずっと嗚咽! …いやあ、人間って、こんなに長く嗚咽し続けられるものなんだと、自分で自分にびっくり。嗚咽最長記録。そうさ、それくらい心配だったさ! 私がはらはら気を揉んだってどうなるもんでもないからと、今井のうどんで前向きな気持ちになろうとしていたけれども。
 それにしても。四代目市川猿之助は、少年のあどけなさを、なんてまばゆく、…ほとんど、神々しいまでに、体現できる人なんだろう――。
 舞台を観ていて、…ああ、事故のとき、この人は死の淵まで行ったんだな…と感じた。死を見た人なのだ、と。だから、冒険物語の生と死の描写が、一段と深まっていた。――あと数センチ、ズレていたら、首が切断されていたかもしれなかったという話を知ったのは、その数日後のテレビ出演のときである。腕もちぎれていたかもしれなかった。そうしたら、出家しようと思っていたと。でも、そうはならなかったから、それは、役者を続けよということだと思ったと。そして、私が、…心の傷は大丈夫だろうか…と心配していたそのとき、彼は、周囲の人が、…事故は、自分のせいではないだろうか…と心に傷を負うことを心配していたのだった。優しい人。
 …嗚咽しすぎてお腹が減ったらしく、開演前にあんなに食べたにもかかわらず、休憩中に劇場の外に出て買ったかに道楽のかに寿司も、夜にはすっかり平らげてしまったあひるであった。そして、四代目の松竹座出演に合わせ、今年はさらに二回、今井でうどんを食べることができたのであった。うどんだけに、その話、長い。
 同じ時代を生きていることに、感謝。お誕生日おめでとう!
2018-11-26 00:01 この記事だけ表示
 これまで生きてきた中で、私の心の中にも無数の“傷”があって、舞台作品なり絵画なり、何かを鑑賞したとき、その“傷”によって自分なりの気づきや感じ方があり、それを文章にしたためることを生業としているという点においては、己の顔と身体に刻まれた傷を見世物にすることで食いつないでいる“切られの与三”と自分はある意味、相似形を成すのかもしれず。
 今回の舞台は、この“切られの与三”の物語の、さまざまなバージョン違いをも重層的に取り込んだ形で成立している。例えば同じ景色を見て、画家がそれぞれの作風で異なる絵画を描くように、そして、そうして描かれた絵画もまた、見る人それぞれの心にまた異なって映っているように、どこまで行っても世界には、ただ一つだけの真実などというものはないのかもしれない。本当なんてものはないのかもしれないと、作中、幾度か言及されるように。
 けれども。
 でもやはり、私の心に確かに残る愛おしい記憶というものがあって、それがすべて消えてしまったとしたら、私という人間は私ではなくなってしまうのかもしれない、と思う。例えば、シアターコクーンで串田和美作品を観ていたときの思い出。『上海バンスキング』のロビーパフォーマンスで、楽器を演奏しながらニコっと彼がこちらに微笑みかけた、その瞬間。『24番地の桜の園』、静かな悪夢のようなあの舞台を、全身の毛を逆立てたようなハイパーモードで観ていた、あの瞬間。そしてこの『切られの与三』。――目の前で、人が、何かをしている。それが作り物であることは明らかである。なのに、それを無心に観ていることが、どうしてこんなにも楽しいのだろう――。不思議だ。
 そして、不思議な舞台である。どこからどこまでが現で、どこからどこまでが夢なのか、この人はいったい生きている人なのか死んでいる人なのか、次第にわからなくなっていく。幽明が互いに溶け込んでゆく。まるで、かりそめのうたた寝の合間にふと脳裏をよぎった悪夢のように。その上で、一切の予定調和を拒否して、疾走していく。既存の“物語”になぞらえられて語られることを拒否した、生。ときに生き永らえることさえ拒否しようとする、生。こんな舞台は今までに観たことがない……と、3月の串田作品『白い病気』に続いて、ぼんやりする。
 “切られの与三”と命名された刹那、己の腕の傷を見やってニヤリと笑う中村七之助。その、乾いたニヒル。凄み。
 私の魂の欲するまま、また足を運ぼうと思う。

(5月10日18時半の部、シアターコクーン)
2018-05-11 20:33 この記事だけ表示
 一条の閃光によって、“切られの与三”のそれと相似の傷が私の心にも鮮やかに刻み込まれた、そんな観劇体験。
 明後日も観るので楽しみ!
(19時の部、シアターコクーン)
2018-05-09 00:01 この記事だけ表示
 歌舞伎座の八月納涼歌舞伎は、第一部も第二部も第三部も非常に充実していて見応えがあった。三部通して活躍していた市川猿弥だが、とりわけ第三部の野田秀樹作・演出『野田版 桜の森の満開の下』のマナコ役の演技は演技賞ものだと思う。私が観劇した日は偶然にも自身の誕生日(8月15日、終戦記念日なんですね)ということで、「Today is my birthday」と高らかに宣言した後、銀座の画廊で絵ではなくその絵の値段に心を奪われてしまった…という己の俗物性についてのスピーチをするのだが、作品の核心をも突く見事な語りだった。あひるもときどき、日本橋三越本店の画廊に行って、「この彫刻、50万円! あ、違った、200万円だった〜」と一人値段当てクイズをしています。それはさておき。
 野田自身、この作品について、“ものを創る者らの心に棲む「鬼」の話”であると公演プログラムに記している。そして、第三部もそうなら、第二部の岡本綺堂作『修禅寺物語』がまた、美に生きる者の心に棲む鬼の物語なのだった。この構成を考えた人が凄い。
 面作師(おもてつくりし)の夜叉王(坂東彌十郎は源頼家(中村勘九郎)の面を手がけているが、何度打ってもその面に死相が出ている、出来に納得できないと、将軍相手であってもこれを渡すことを断固拒もうとする。結局その面は頼家の手に渡るのだが、その夜、頼家は北條方の闇討ちに遭う。夜叉王の娘で頼家に仕える桂(市川猿之助)は、父の作った面を付け、頼家の身代わりとなろうとしたが、頼家はやはり討たれて死んでしまう。夜叉王は、何度打っても死相が出ていたのは、頼家の運命が面に現れていたため、それこそは己の面作師としての到達を表すものと感じ入る。そして、若い女性の断末魔を後の手本に写しておきたいと、深手を負って息絶えようとする娘桂の顔を模写しようとし、娘もこれに応える。
 ――凄まじい芸術論だな、と思った。気になって、売店で売っていた書籍(長倉書店『修禅寺物語』)で戯曲を読んでまた観ることにした。これがまた不思議な本で、戯曲の他に、岡本綺堂がいかにしてこの物語を着想したか、その随筆と物語とが入り混じった文章が収録されている。伊豆の修善寺温泉に逗留し、頼家の墓などに参るうちに、作家は、史実と空想とがもつれ合ったまぼろしを見る。そうして見たまぼろしこそがこの『修禅寺物語』であるというわけである。そして作家は記す。こうして見たまぼろしの世界の出来事は、「あたかも活動写真をながめるのと同じように、観る人間と観られる人間とのあいだには何の交渉を見いだすことも出来ない。こっちは黙って観ているのである。先方は勝手に動いているのである」と。つまりは、作家自身が物語を想像、創造しているのではなく、どこかから勝手に物語が降りてきているとも解釈できる。そして作家はある夜の夢で、夜叉王に逢う。作家は夜叉王に言う。芸術家だとはいえ、娘が死ぬというときに平気でその顔を写生しているのは随分ひどいと。だが、夜叉王はなんにも返事をせず、あざけるような眼で作家をじろりと見る。
 ――ますますもって凄まじい話である。作家はここで、彼自身の心に棲む鬼を見てしまったわけである。そして、書き記した。娘が死のうというときに平然とその顔を写生する鬼、それは作家自身の姿だ。
 それにしても。私はちょっと憤慨していたというのは、舞台でこのくだりにさしかかると、客席から笑いが起きるのである。凄まじい芸術論が展開されている場面で! 二度観ても同じだった(注:第二部では休憩後、観客の投票によって結末がA、Bと二つに分かれるとっても楽しい『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖』が上演されるので、両結末を見届けるためにも最低二回は観なくてはならなかった。無事両方観られました)。そして三度目、私は、岡本綺堂がまぼろしとしてこの物語を見、着想したようにこの舞台を観ようと決意し、集中力を振り絞って観劇に臨んだ。――笑いは起きなかった。そして私は聞いた。岡本綺堂が見たように、それはまぼろしかもしれない。けれども、まぼろしにしてはあまりにはっきり聞こえた。
 ――もっと芝居がしたかった。けれども、無念さはない。そして彼には、父の夢ではなく、自身の夢を追ってほしい――と。

 さて、私は、壽初春大歌舞伎で四代目市川猿之助の『黒塚』を観て以来、考えていたのである。未だ私自身の心に棲む鬼について。――この世で最も苦手だった人とも和解した以上、それでもなお己に残る執着とは――。そして我ながら、実に甘いことを考えていたのである。これぞスランプ、そんな文章書いて表に出さなくてよかった。心が死んで、生まれ変わって、わかった。
 直接向けられた悪意、高慢、哄笑、死を願う邪念、そんなものを超えてなおも真実を、そして信じるに足る美を見ようとする、それが、私の心の中に棲む鬼である。
2017-12-28 19:13 この記事だけ表示
 本日10月10日11時の部のスーパー歌舞伎U「ワンピース」観て来ました――二ヶ月以上前に楽しみに取ったチケットが、偶然にもこの日この時間でした。
 楽しかった! いっぱい泣きました。いっぱい笑いました。何よりすごいと感じたのは、出演者の皆さんの心意気です。昨日、事故のニュースを知って、私は激しく動転しました。私ですらそうなのですから、実際その場にいた方々の心の揺れや、いかばかりか。けれども、皆さんそんなことを微塵も感じさせず、ただ、その日劇場に集まった観客を楽しませる、そのことに迷いなかった。だからこそ、観ている方も心から楽しむことができた。そのスピリットが貫かれていることに、まずは心を揺さぶられました。
 舞台も、初演よりさらに練り上げられていて――。率直に言えば、初演のとき、女性ばかりの劇団、宝塚歌劇団を観慣れていて、少女漫画の世界に親しんで育ってきた私にとって、男性ばかりの歌舞伎、しかも取り上げられているのは少年漫画の作品ということで、ダブルのアウェイ感を覚えました。それから二年が経ち、舞台は練りに練り直され、磨き上げられて――。確かに貴方は舞台上にはいなかった。でもその一方で、貴方を非常に感じる舞台だった。それは、舞台が、貴方の愛で満たされていたから。作品への愛。共に舞台を創り上げる仲間への愛。観客への愛。そして何より、歌舞伎への愛――。
 私は以前、貴方に歌舞伎の面白さについて訊ねました。貴方は言った。自分は歌舞伎をずっとやってきた人間だから、むしろわからない、と。けれども、貴方がここ数年創り続けている舞台の数々は、かつての問いへの返答であるように、勝手ながら私は感じているのです。俺は歌舞伎を愛している! と、貴方は決して正面切って言うタイプで決してないと思うけれども。これが面白い! あれも面白い! と、愛ゆえのあれやこれやがてんこ盛りに詰まった舞台。
 そして、亡くなった蜷川幸雄さんがかつて貴方を私に出逢わせてくれたように、貴方は貴方の多くの仲間を私に出逢わせてくれた。その貴方の仲間が、堂々たる舞台を務めていた。皆さんを誇りに思われんことを。
 貴方に代わって役を立派に務めてくれる若手の存在は頼もしい限りです。そして、貴方というかけがえのない存在の代わりになれる人は、この世で貴方の他にはいません。多分にせっかちな性分とお見受けします。どうかどうか、無理無茶はせず、しっかり治してのご復帰を。
 「男の花道」の加賀屋歌右衛門も、土生玄碩先生の手術を受けて後、女方としてさらに磨きがかかった由。貴方が舞台人としてますますパワーアップして復帰されることを、私は確信してやみません。

 貴方の美の冒険の仲間の一人、あひるより
2017-10-10 23:31 この記事だけ表示