『与話情浮名横櫛 源氏店』 名場面の醍醐味をよく伝える舞台だった。すべての瞬間の濃密さを緊密に感じる55分。和泉屋多左衛門(河原崎権十郎)に世話されているお富(坂東玉三郎)が、囲われ者であるということもあり(実は違うのだが)置かれている立場の哀しさが、番頭藤八(片岡市蔵)や蝙蝠の安五郎(松本幸蔵)とのやりとりからくっきりと浮かび上がる。そして、お互い死んだと思っていた与三郎(染五郎)との再会――。お富は知らないのだが、実は多左衛門はお富の兄。その実兄の前でお富は与三郎を兄だと言いつくろう。そんなお富の人となりについても承知しつつ、妹を添わせて大丈夫なのか与三郎の人となりを見定めつつ、言葉では何も言わずに、兄妹の証拠の品をそっとお富に手渡して出ていく。たたずまいに多くをにじませる権十郎の多座衛門。

『火の鳥』 初演は今年の「八月納涼歌舞伎」。現実社会のありようを念頭において作られた作品ながら、観ている間の俗世界との切り離され方がすばらしく、デトックスされたようなすっきりとした思いで劇場を後にした。今回さらにブラッシュアップしての上演。演者が変わったこともあるのか、初演とはまた異なる寓話性を観た思い。今回は、父である大王(市川中車)に永遠の力をもつとされる火の鳥(坂東玉三郎)を探しに行くよう命じられるヤマヒコ(市川染五郎)とウミヒコ(市川左近)の兄弟に、歴史上も多くある兄弟の相克の物語を連想したり。玉三郎の火の鳥が、衣裳の袖のところについた棒を手で優雅に操って布を波打たせる様は、20世紀初頭に活躍したロイ・フラーの舞を思わせて。そして、クレーンに乗っての宙乗り。語り口調も優雅で、思わず火の鳥ごっこをしたくなる魅力。

(12月5日18時10分、歌舞伎座)
『當年祝春駒』 晴れがましい気持ち胸にあふれて。工藤左衛門祐経役中村歌六の艶。

『歌舞伎絶対続魂 幕を閉めるな』 二回目の観劇で、極めて緻密に作られていることを確認。そして、観劇後に包まれるあのほっこりとした幸せ感たるや――舞台と客席側とで「舞台を何とか最後まで遂行する」物語を分かち合い、それがすなわち日々劇場空間で行なわれていることなのだと客席側としても改めて認識できるところに起因しているのだと思う。笑いの波状攻撃のような作品で至るところに笑いのツボがありますが、「ポン!」がとても好き。そして邦楽演奏のあの曲、配信してほしい! 帰宅して『もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう』を観ると共通点がいろいろとあるので、ドラマの展開も観つつじっくり書きたいです。22日にはライブ配信もあり。

(11月13日17時の部、歌舞伎座)
『御摂勧進帳 加賀国安宅の関の場』 歌舞伎十八番の『勧進帳』より先に成立した作品。『勧進帳』を観ると何だか宗教的な儀式に立ち合っているかのように緊張したりするのだけれども、こちらの演目は、武蔵坊弁慶(坂東巳之助)が読み上げる偽の勧進帳の中身を覗き込んで見ようとする番卒たちとの間におかしな攻防戦があったり、ほっこりとした笑いもいろいろと。弁慶が番卒たちの首をどんどん引っこ抜いて天水桶の中に投げ込み、二本の金剛杖で桶をかき回すラストまで、大らかなおもしろみにあふれた作品で、巳之助の弁慶もかわいらしかった。

『道行雪故郷 新口村』 雪景色と着物の着こなしとが織り成す色彩美。傾城梅川(中村雀右衛門)と亀屋忠兵衛(中村扇雀)が裸足で雪の中を歩む姿に、今この瞬間にも世界に哀しい恋人たちがいることを思った。

『鳥獣戯画絵巻』 ミャクミャクにキティちゃん、スヌーピー等々、さまざまなコラボグッズも販売されるなど大人気の国宝「鳥獣人物戯画」を題材にした作品で、今回が歌舞伎公演としての初演。東大寺の「お水取り」を題材にした『達陀』(僧侶たちが激しく踊りまくる。また観たい)と近い時期に作られていて、『達陀』同様非常にクセになる味わいをもった作品である。鳥羽僧正(七代目尾上菊五郎)が戯画を描き始める。と、蛙、兎、猿、狐、梟が現れて――。男蛙役の中村芝翫が、蛙の鬘も似合って、童の木目込み人形のような愛くるしさ。猿僧正役の尾上松緑(藤間勘右衛門名義で演出も)が猿たちを引き連れ両手を前に揃えて馬が走るみたいに花道を行くのがツボにはまり、その後の休憩時間に外出して再入場のためにチケットを見せる際、――今ここであの振りの真似をして通りたい! という謎の衝動を抑えるのが大変だった(笑)。それ以外でも、片足で立ってもう片足を振り上げながらその場で回転していく等、一緒に踊り出したくなるような楽しい振りがいっぱい。ラストは、鳥羽僧正が描き上げた絵巻を眺め、そこに鳥獣たちが現れて踊るのだが、――これ全部この人の頭の中だったのか、さすが――と納得してしまう、七代目菊五郎のかぶいたいでたちとオーラだった。三味線、太棹、箏、尺八に加え、ドラムやティンパニが鳴ったり、女声コーラスの響きがどこかシュールだったり、音楽も非常に趣向が凝らされていた。

『曽我綉俠御所染 御所五郎蔵』 この様式美と河竹黙阿弥のセリフの美しさに自分自身もっと馴染んでいきたい、と思った。
 17分があっという間に経過する華やかな『當年祝春駒』に続いては、作・演出=三谷幸喜の新作『三谷かぶき 歌舞伎絶対続魂(ショウ・マスト・ゴー・オン) 幕を閉めるな』の上演。2時間5分、ほとんど口を開けて観ていた――今年一番笑ったかも! 近くの海外からの観客もタブレットで字幕を観たり演技を観たりしながら爆笑していて、何だかとってもうれしかった。バックステージものには、創り手の舞台芸術観の深さ、そして舞台芸術(観客も含む)への愛の深さが現れるのだとしみじみ。また観たい。

(11月5日17時の部、歌舞伎座)
 千穐楽の本日のキャストはBプロ。初役も多く、新たな個性を見せるフレッシュな顔ぶれをベテラン勢がきっちり引き締める。<渡海屋・大物浦>女房お柳実は尚侍の局役の片岡孝太郎が、この役の見どころ、面白味をたっぷりと伝える演技を見せた。

(10月21日11時の部、歌舞伎座)
 キャストはBプロ。<木の実>観客を包み込むようなウェルカムムードをたたえて登場、愛嬌たっぷり実は悪なる人物、いがみの権太を実にチャーミングに演じる片岡仁左衛門――その一挙手一投足、くるくると変わる茶目っ気いっぱいの表情から目が離せない。<すし屋>悪人から善人へと戻る「モドリ」で、瀕死の権太が聖なる存在へと反転する様を観ていた――父である鮓屋弥左衛門役の中村歌六の胸に抱かれた瞬間、宗教画のような美しさに息を呑んだ――。

(10月14日15時の部、歌舞伎座)
 キャストはAプロ。佐藤四郎兵衛忠信実は源九郎狐を演じるのは市川團子。
 『吉野山』Bプロで佐藤四郎兵衛忠信実は源九郎狐を演じる尾上右近が、このAプロでは清元栄寿太夫として清元のタテを務めていて、二刀流すごい! と思うと共に、演者と奏者両方の立場から作品を知ることの重みを興味深く感じた。
 『川連法眼館』私はここのくだりを観るといつも養子に行って苦労した亡き父親と彼がかわいがっていた愛犬のことを思い出すのだが、気合十分、初々しくすっきりとしたかわいらしさのある團子の源九郎狐に、父についても今までとは異なる思いが胸にこみあげてくるのを感じた。『吉野山』共々演奏陣の気迫もすごかった。

(10月6日18時40分の部、歌舞伎座)
 Bプロキャストの千穐楽。菅丞相役は松本幸四郎――今まで観た彼の舞台の中で一番好きである。
 A、Bプロ双方の昼の部と夜の部を観て、……こことあそこがつながっているんだ……と気づくたび、またそれぞれの部を観たくなり、これは無限ループで観られるな……と。なぜそこまでこの作品に自分は心ひかれるか。それは、人が人から何かを伝えられ、そして人に何かを伝えていくという営みの尊さと厳しさとが描かれている作品だからなのだと思った――この物語において非常に心引きつけられるのは、『筆法伝授』の幕において菅丞相から神道秘文の一巻を伝授されるも勘当は許されず、それを逆手に、勘当されている自分には主人はいないと言って妨げる者を討ち、菅丞相の若君菅秀才を預かる武部源蔵の姿である。6月25日に生まれ、2月25日に亡くなった菅原道真と「25」とは所縁の深い数字だという。2025年という年に、ダブルキャストだからこそさまざまな角度からこの物語を味わうことができて、本当に充実した観劇となった。
 毎月、あそこに行けば必ずいい舞台が観られる。私にとって歌舞伎座はそんな場所である。

(9月23日11時の部、歌舞伎座)
 キャストBプロで夜の部二回目の観劇。濃密な人間ドラマを堪能すると共に、“秀山祭“にふさわしく、二世中村吉右衛門を偲ぶ夜ともなり。明日はBプロの千穐楽〜。

(9月22日16時半の部、歌舞伎座)
 桃井家の家老加古川本蔵一家と塩冶家家老大星由良之助一家に焦点が当たる<二段目 桃井館力弥使者の場><同 松切りの場>及び<九段目 山科閑居の場>という興味深い組み合わせでの上演。……実は――の心を秘めた人々が集い、その本心をぶつけ合う<山科閑居の場>のおもしろさ。

(9月20日13時の部、新国立劇場中劇場)