歌舞伎の『与話情浮名横櫛』をもとにした歌謡曲「お富さん」がヒットしたのは、昭和29年のことである。当然、生まれていない。けれども、子供のときからこの歌のことは知っていた。祖母が話してくれた。――伯父(母の兄)が子供のとき、最初に抽選があるどこかの付属小学校を受験しに行った。けれども、朝から、同行した祖母の頭の中で、「♪死んだはずだよ お富さん」が、何度も何度も流れる。何度消そうとしても、流れる。…これ、絶対落ちるわ…と思ったら、やっぱり落ちたわ、と。
 4月に、『与話情浮名横櫛』をもとにしたコクーン歌舞伎『切られの与三』の製作発表があって、演出・美術の串田和美さんが、「『お富さん』って変な歌謡曲があって」と語った、そのとき、うんうんとうなずけたのはそういうわけだったのだけれども、…その後で、不思議な気持ちになったのだった。あのとき、祖母の頭の中に「お富さん」が流れなくて、どこぞの付属小学校に受かっていたら、伯父は、成蹊小学校に行って串田さんと同級生になることもなかったんだろうな…と。串田さんが思い出話でときおり語ってくれる伯父は、何だかとてもかっこいい。

 ぼんぼん育ちなのに、お富と出逢ったばっかりに、全身、傷だらけになる与三郎。しかし。彼は、すべての傷を癒す薬を飲むことを拒む。――その傷が、彼の人生だから。
 傷。人生の傷。
――今年、とあるところで、かつて、私にこう言った人を、思いもかけず見かけた。
「宝塚ファンなんて、バカばっかりだから!」
 今、記していても、心が凍る。傷。心の傷。
 …私にそう言ったことを、本人は覚えていないんだろうな、と思った。私のことすら覚えていないかもしれない。それでいい。また傷つけられたくはない(苦笑)。でも。今となっては、そのことでその人に恨みを抱いているとかは、全然ない。それどころか、その言葉で受けた傷ゆえに、ここまで走ってきてしまったなと、不思議な感慨さえ覚えて。
 いったい、なぜ、そんな言葉が飛び出すこととなったのか――。
 それが知りたくて、その言葉をもう言わせまいと思って、しゃかりきになってやってきた。そして、今の私は、思う。言う方がおかしい、と。行き過ぎた熱狂は、宝塚に限らない。どのジャンルでも起こり得る。それを、宝塚だけ取り上げて言うのは、その人が宝塚が好きじゃないというだけ。
 あのとき、即座にそう言い返せていたら、傷つくこともなかったのかもしれない。でも、今の私はいないわけで。不思議。相手に感謝すべきなのか。…うーん。そこまでは、人間、練れてはいないかなあ…。

 もちろん、自分だって、知らず知らず人を傷つけていることもあるわけで。
ほめているのに、相手は侮辱と受け止めていたり、言葉はいろいろ難しい。書き手として、もっと精度を上げて行かなくてはいけない。
 …書いた相手に対して、十字架を背負っているように思っている。その感覚を教えてくれたのが、他ならぬ、与三郎を演じていた中村七之助である。どの文章のどの部分が、彼に対する十字架なのか、自分の心に深く留めている。たとえ、彼が忘れても、覚えている。
今年も、…ああ…と思う瞬間が何度かあったし、まだ、気づいていない分もあるかもしれないけれども。

 傷。心の傷。――一番最近受けた、大きな傷。最近と言っても、もう一年経ったけれども。
「あなたのその心の傷は、僕が癒します!」と言ってくれた、優しい人もいるけれども。
 ――私はきっと、その傷についても、一人で考えていくのだろうと思う。そして、なぜ、その傷を負わなくてはいけなかったか、いつの日か結論を出すのだろうと思う。相手に対して、もう、何の感情もない。ただ、そこに傷があるだけ。その傷を、見つめているだけ。
 消そうとは思わない。それは、与三郎と同じ。

 けれども。私は、『切られの与三』を観ていて、思った。――傷について語り始めるということは、その傷が、どこか癒え始めているということではないかと。本当に傷ついているうちは、語れない気がする。――時間が、必要。
 そして、『切られの与三』という、傷だらけの男が主人公である舞台を創った、その人の心の傷を思った。与三郎。流刑地から江戸に必死に戻って来て、その江戸は、今の渋谷のように大工事、大改造が行なわれていて、家族に受け入れられるわけでもなく、「まだ生きなきゃなんねえのかよ!」と、走り続ける与三郎。
 私は、その人を包容し、抱擁したかった。――物理的にも試みてみたのだが、うーん、人としての器がまだまだでした。だから、せめて、文章で包容できればと思って、書いている。

 ラスト。与三郎は、屋根の上にいる。少年時代の、与三郎。
 ――実は私は、ちょっと、伯父に怒っていることがあって、でも、この場面を観ていて、はっと思い出したのである。私の実家は、建築家である伯父の設計による。リビングが二階部分まで吹き抜けになっていて、床はレンガでそのまま庭まで続いていて、寒いわ、暑いわ、光熱費はかかるわ…。住みにくい。でも。自分の部屋の窓からリビングの屋根部分に出られて、子供のころ、夏はよく、そこから夜空を見上げていて――。それで、何だかもう、伯父を許した。
2018-12-30 19:28 この記事だけ表示
 あひるはデパートの上階フロアでやっている物産展が好きである。事前に情報をチェックした上で赴くこともあれば、偶然の出会いを楽しみにすることもある。今年、二月&三月のこと。たまたま立ち寄った吉祥寺、そして新宿のデパートの物産展に、「道頓堀今井」が出店しているではないですか。今井。大阪道頓堀、グリコの大看板から徒歩数分、大阪松竹座&近松門左衛門ゆかりの竹本座跡と同じ通りに本店がある今井。戦前は楽器店だった今井。うどん&そばの名店。
 今井。四月には行くけどね! 正しくは、大阪松竹座に行って、そのとき絶対寄るけどね! …あひるはうきうきしていた。なぜなら。四月の松竹座、スーパー歌舞伎U『ワンピース』に、四代目市川猿之助が出演することが発表されていたから。ここは一つ、前祝いと行こう。ということで、今井イートインコーナーのメニューの前でたたずむことしばし…。
 選べない〜!
 きつねうどんと、鴨うどんと、親子丼…。苦悩。今井といえば、甘く煮付けたおあげ(「まるき」)が入ったきつねうどんが名物…。でも、あひるは鴨も好き…。親子丼も気になる〜。…めちゃめちゃ迷った挙句、親子丼に小きつねうどんがついたセットを選択(三月には鴨うどんにしたことは言うまでもなく)。
 あひるがそのときうきうき今井のメニューで悩んでいられたのも。怪我からの復活の舞台となった一月の「壽初春大歌舞伎」『菅原伝授手習鑑 寺子屋の段』(歌舞伎座)で、涎くり与太郎役を演じる四代目の、元気な悪ガキぶりを堪能していたからである。…昨年11月の事故のとき、身体に負った傷はもちろんのこと、心配だったのは、…立つべき場所に立てない、そのことによって、心に傷を負うようなことはないだろうか…ということだった。大丈夫だった。前と変わらず、かわゆかった。それでひとまず安心。
 …と思って、そのときは今井のうどんを満喫していたのだけれども。四月公演の初日が近づくにつれ、次第に不安に…。完治、してないよね…。ルフィってけっこう運動量が多い役なんじゃあ…。でも、初日の幕は無事開いたみたい。安心。…ということで、初日から一週間ほど経った日のこと、大阪へ。まずは道頓堀今井本店にて腹ごしらえ。…ああ、本店はメニューが多すぎて選べない〜。激しい逡巡の挙句、鴨かちんうどん(お餅入り)に「まるき」をトッピング、そしてデザートに夏みかんゼリーを堪能していると、…あら、今晩、松竹座に出前するみたい。
 そして遂に劇場へ。
 ルフィめちゃめちゃ動いてる〜〜〜!
 …平昌オリンピックのフリースケーティングの後、羽生結弦に「無理禁物!」と書いた人間としては、ここでもやっぱり「無理禁物!」って書くべきでは? でも、「無理じゃないんです! 舞台に立つことがリハビリなんです!」と言われそうな…(その数日後に出演していたテレビ番組で実際そう発言)。その上、ルフィはゴム人間、だから開放骨折しても痛くないんだ! なんてアドリブさえ…。痛くないわけないだろ〜! と、なぜか外野が骨折した当の本人に向かって言いたくなる始末。…この地上にこの人を止められる人は誰もいまい、とあひるは思った。そして近づく“ファーファータイム”。ゆずの主題歌「TETOTE」にのって、ルフィが宙乗りし、観客がスーパータンバリンを打ち鳴らし、舞台と客席とが一つになって大盛り上がりする、あの場面――。
 …実は。昨年秋の東京公演の際、あひるはスーパータンバリンを買わなかった。評論家だし…。ためらう気持ちがあった。手拍子していた。でも、松竹座公演のときには、気持ちは変わっていた。一緒になって盛り上がり、その思いを味わった上で、冷静になって書き記せばいいのでは? そして、松竹座のときは、イエローに加え、限定カラーのピンクとブルーが発売されていた。ピンクなら、着ている服とのコーディネートもバッチリ。ということで、入手。買ってわかったことが一つ。過去に宝塚月組公演で販売されたタンバリンは、胴についたシンバルが金属製だったのに比べ、スーパータンバリンはプラスティックだから、音が耳に優しい。そして迎えた“ファーファータイム”。
 ――宙乗りする四代目ルフィの姿に、嗚咽。怪我をした方の腕でサーフボードを何度もつかみ、「大丈夫です!!!」と激しくアピールするルフィに、嗚咽。ピンクのタンパリンを鳴らしながら、嗚咽。結局、“ファーファータイム”中、ずっと嗚咽! …いやあ、人間って、こんなに長く嗚咽し続けられるものなんだと、自分で自分にびっくり。嗚咽最長記録。そうさ、それくらい心配だったさ! 私がはらはら気を揉んだってどうなるもんでもないからと、今井のうどんで前向きな気持ちになろうとしていたけれども。
 それにしても。四代目市川猿之助は、少年のあどけなさを、なんてまばゆく、…ほとんど、神々しいまでに、体現できる人なんだろう――。
 舞台を観ていて、…ああ、事故のとき、この人は死の淵まで行ったんだな…と感じた。死を見た人なのだ、と。だから、冒険物語の生と死の描写が、一段と深まっていた。――あと数センチ、ズレていたら、首が切断されていたかもしれなかったという話を知ったのは、その数日後のテレビ出演のときである。腕もちぎれていたかもしれなかった。そうしたら、出家しようと思っていたと。でも、そうはならなかったから、それは、役者を続けよということだと思ったと。そして、私が、…心の傷は大丈夫だろうか…と心配していたそのとき、彼は、周囲の人が、…事故は、自分のせいではないだろうか…と心に傷を負うことを心配していたのだった。優しい人。
 …嗚咽しすぎてお腹が減ったらしく、開演前にあんなに食べたにもかかわらず、休憩中に劇場の外に出て買ったかに道楽のかに寿司も、夜にはすっかり平らげてしまったあひるであった。そして、四代目の松竹座出演に合わせ、今年はさらに二回、今井でうどんを食べることができたのであった。うどんだけに、その話、長い。
 同じ時代を生きていることに、感謝。お誕生日おめでとう!
2018-11-26 00:01 この記事だけ表示
 これまで生きてきた中で、私の心の中にも無数の“傷”があって、舞台作品なり絵画なり、何かを鑑賞したとき、その“傷”によって自分なりの気づきや感じ方があり、それを文章にしたためることを生業としているという点においては、己の顔と身体に刻まれた傷を見世物にすることで食いつないでいる“切られの与三”と自分はある意味、相似形を成すのかもしれず。
 今回の舞台は、この“切られの与三”の物語の、さまざまなバージョン違いをも重層的に取り込んだ形で成立している。例えば同じ景色を見て、画家がそれぞれの作風で異なる絵画を描くように、そして、そうして描かれた絵画もまた、見る人それぞれの心にまた異なって映っているように、どこまで行っても世界には、ただ一つだけの真実などというものはないのかもしれない。本当なんてものはないのかもしれないと、作中、幾度か言及されるように。
 けれども。
 でもやはり、私の心に確かに残る愛おしい記憶というものがあって、それがすべて消えてしまったとしたら、私という人間は私ではなくなってしまうのかもしれない、と思う。例えば、シアターコクーンで串田和美作品を観ていたときの思い出。『上海バンスキング』のロビーパフォーマンスで、楽器を演奏しながらニコっと彼がこちらに微笑みかけた、その瞬間。『24番地の桜の園』、静かな悪夢のようなあの舞台を、全身の毛を逆立てたようなハイパーモードで観ていた、あの瞬間。そしてこの『切られの与三』。――目の前で、人が、何かをしている。それが作り物であることは明らかである。なのに、それを無心に観ていることが、どうしてこんなにも楽しいのだろう――。不思議だ。
 そして、不思議な舞台である。どこからどこまでが現で、どこからどこまでが夢なのか、この人はいったい生きている人なのか死んでいる人なのか、次第にわからなくなっていく。幽明が互いに溶け込んでゆく。まるで、かりそめのうたた寝の合間にふと脳裏をよぎった悪夢のように。その上で、一切の予定調和を拒否して、疾走していく。既存の“物語”になぞらえられて語られることを拒否した、生。ときに生き永らえることさえ拒否しようとする、生。こんな舞台は今までに観たことがない……と、3月の串田作品『白い病気』に続いて、ぼんやりする。
 “切られの与三”と命名された刹那、己の腕の傷を見やってニヤリと笑う中村七之助。その、乾いたニヒル。凄み。
 私の魂の欲するまま、また足を運ぼうと思う。

(5月10日18時半の部、シアターコクーン)
2018-05-11 20:33 この記事だけ表示
 一条の閃光によって、“切られの与三”のそれと相似の傷が私の心にも鮮やかに刻み込まれた、そんな観劇体験。
 明後日も観るので楽しみ!
(19時の部、シアターコクーン)
2018-05-09 00:01 この記事だけ表示
 歌舞伎座の八月納涼歌舞伎は、第一部も第二部も第三部も非常に充実していて見応えがあった。三部通して活躍していた市川猿弥だが、とりわけ第三部の野田秀樹作・演出『野田版 桜の森の満開の下』のマナコ役の演技は演技賞ものだと思う。私が観劇した日は偶然にも自身の誕生日(8月15日、終戦記念日なんですね)ということで、「Today is my birthday」と高らかに宣言した後、銀座の画廊で絵ではなくその絵の値段に心を奪われてしまった…という己の俗物性についてのスピーチをするのだが、作品の核心をも突く見事な語りだった。あひるもときどき、日本橋三越本店の画廊に行って、「この彫刻、50万円! あ、違った、200万円だった〜」と一人値段当てクイズをしています。それはさておき。
 野田自身、この作品について、“ものを創る者らの心に棲む「鬼」の話”であると公演プログラムに記している。そして、第三部もそうなら、第二部の岡本綺堂作『修禅寺物語』がまた、美に生きる者の心に棲む鬼の物語なのだった。この構成を考えた人が凄い。
 面作師(おもてつくりし)の夜叉王(坂東彌十郎は源頼家(中村勘九郎)の面を手がけているが、何度打ってもその面に死相が出ている、出来に納得できないと、将軍相手であってもこれを渡すことを断固拒もうとする。結局その面は頼家の手に渡るのだが、その夜、頼家は北條方の闇討ちに遭う。夜叉王の娘で頼家に仕える桂(市川猿之助)は、父の作った面を付け、頼家の身代わりとなろうとしたが、頼家はやはり討たれて死んでしまう。夜叉王は、何度打っても死相が出ていたのは、頼家の運命が面に現れていたため、それこそは己の面作師としての到達を表すものと感じ入る。そして、若い女性の断末魔を後の手本に写しておきたいと、深手を負って息絶えようとする娘桂の顔を模写しようとし、娘もこれに応える。
 ――凄まじい芸術論だな、と思った。気になって、売店で売っていた書籍(長倉書店『修禅寺物語』)で戯曲を読んでまた観ることにした。これがまた不思議な本で、戯曲の他に、岡本綺堂がいかにしてこの物語を着想したか、その随筆と物語とが入り混じった文章が収録されている。伊豆の修善寺温泉に逗留し、頼家の墓などに参るうちに、作家は、史実と空想とがもつれ合ったまぼろしを見る。そうして見たまぼろしこそがこの『修禅寺物語』であるというわけである。そして作家は記す。こうして見たまぼろしの世界の出来事は、「あたかも活動写真をながめるのと同じように、観る人間と観られる人間とのあいだには何の交渉を見いだすことも出来ない。こっちは黙って観ているのである。先方は勝手に動いているのである」と。つまりは、作家自身が物語を想像、創造しているのではなく、どこかから勝手に物語が降りてきているとも解釈できる。そして作家はある夜の夢で、夜叉王に逢う。作家は夜叉王に言う。芸術家だとはいえ、娘が死ぬというときに平気でその顔を写生しているのは随分ひどいと。だが、夜叉王はなんにも返事をせず、あざけるような眼で作家をじろりと見る。
 ――ますますもって凄まじい話である。作家はここで、彼自身の心に棲む鬼を見てしまったわけである。そして、書き記した。娘が死のうというときに平然とその顔を写生する鬼、それは作家自身の姿だ。
 それにしても。私はちょっと憤慨していたというのは、舞台でこのくだりにさしかかると、客席から笑いが起きるのである。凄まじい芸術論が展開されている場面で! 二度観ても同じだった(注:第二部では休憩後、観客の投票によって結末がA、Bと二つに分かれるとっても楽しい『東海道中膝栗毛 歌舞伎座捕物帖』が上演されるので、両結末を見届けるためにも最低二回は観なくてはならなかった。無事両方観られました)。そして三度目、私は、岡本綺堂がまぼろしとしてこの物語を見、着想したようにこの舞台を観ようと決意し、集中力を振り絞って観劇に臨んだ。――笑いは起きなかった。そして私は聞いた。岡本綺堂が見たように、それはまぼろしかもしれない。けれども、まぼろしにしてはあまりにはっきり聞こえた。
 ――もっと芝居がしたかった。けれども、無念さはない。そして彼には、父の夢ではなく、自身の夢を追ってほしい――と。

 さて、私は、壽初春大歌舞伎で四代目市川猿之助の『黒塚』を観て以来、考えていたのである。未だ私自身の心に棲む鬼について。――この世で最も苦手だった人とも和解した以上、それでもなお己に残る執着とは――。そして我ながら、実に甘いことを考えていたのである。これぞスランプ、そんな文章書いて表に出さなくてよかった。心が死んで、生まれ変わって、わかった。
 直接向けられた悪意、高慢、哄笑、死を願う邪念、そんなものを超えてなおも真実を、そして信じるに足る美を見ようとする、それが、私の心の中に棲む鬼である。
2017-12-28 19:13 この記事だけ表示
 本日10月10日11時の部のスーパー歌舞伎U「ワンピース」観て来ました――二ヶ月以上前に楽しみに取ったチケットが、偶然にもこの日この時間でした。
 楽しかった! いっぱい泣きました。いっぱい笑いました。何よりすごいと感じたのは、出演者の皆さんの心意気です。昨日、事故のニュースを知って、私は激しく動転しました。私ですらそうなのですから、実際その場にいた方々の心の揺れや、いかばかりか。けれども、皆さんそんなことを微塵も感じさせず、ただ、その日劇場に集まった観客を楽しませる、そのことに迷いなかった。だからこそ、観ている方も心から楽しむことができた。そのスピリットが貫かれていることに、まずは心を揺さぶられました。
 舞台も、初演よりさらに練り上げられていて――。率直に言えば、初演のとき、女性ばかりの劇団、宝塚歌劇団を観慣れていて、少女漫画の世界に親しんで育ってきた私にとって、男性ばかりの歌舞伎、しかも取り上げられているのは少年漫画の作品ということで、ダブルのアウェイ感を覚えました。それから二年が経ち、舞台は練りに練り直され、磨き上げられて――。確かに貴方は舞台上にはいなかった。でもその一方で、貴方を非常に感じる舞台だった。それは、舞台が、貴方の愛で満たされていたから。作品への愛。共に舞台を創り上げる仲間への愛。観客への愛。そして何より、歌舞伎への愛――。
 私は以前、貴方に歌舞伎の面白さについて訊ねました。貴方は言った。自分は歌舞伎をずっとやってきた人間だから、むしろわからない、と。けれども、貴方がここ数年創り続けている舞台の数々は、かつての問いへの返答であるように、勝手ながら私は感じているのです。俺は歌舞伎を愛している! と、貴方は決して正面切って言うタイプで決してないと思うけれども。これが面白い! あれも面白い! と、愛ゆえのあれやこれやがてんこ盛りに詰まった舞台。
 そして、亡くなった蜷川幸雄さんがかつて貴方を私に出逢わせてくれたように、貴方は貴方の多くの仲間を私に出逢わせてくれた。その貴方の仲間が、堂々たる舞台を務めていた。皆さんを誇りに思われんことを。
 貴方に代わって役を立派に務めてくれる若手の存在は頼もしい限りです。そして、貴方というかけがえのない存在の代わりになれる人は、この世で貴方の他にはいません。多分にせっかちな性分とお見受けします。どうかどうか、無理無茶はせず、しっかり治してのご復帰を。
 「男の花道」の加賀屋歌右衛門も、土生玄碩先生の手術を受けて後、女方としてさらに磨きがかかった由。貴方が舞台人としてますますパワーアップして復帰されることを、私は確信してやみません。

 貴方の美の冒険の仲間の一人、あひるより
2017-10-10 23:31 この記事だけ表示
 一月まったく更新しなかったので各方面にご心配をかけておりましたが、またもや更新が滞り。元気なのです。それであちこち飛び回っており。
 さて、元気なあひるは半月ほど前、博多座に行ってきました。目指すは四代目市川猿之助主演の二月花形歌舞伎。ちなみに、博多座に足を運んだのは2007年夏の星組公演以来、福岡を訪れたのは2008年の星組全国ツアー公演以来。およそ十年ぶりの博多座でしたが、つくづく、いい劇場だな…と。
 今回の演目は昼の部が「男の花道」と「艶姿澤瀉祭」、夜の部が「雪之丞変化」。「男の花道」は一昨年の明治座で泣き過ぎた演目、「雪之丞変化」も一昨年の名古屋中日劇場で観て大好きになった演目と、博多座近くに住んでいたら毎日のように通いたいラインアップ。「男の花道」は、四代目演じる女形加賀屋歌右衛門と篤い友情を結ぶ医師土生玄碩役に、昨年のNHK大河ドラマ「真田丸」序盤、亡き父武田信玄の亡霊を見てしまう武田勝頼役で強い印象を残した平岳大。一昨年この役に扮した市川中車が苦労人ゆえの屈折感を滲ませた造形だったのに対し、平は先端の医術を信奉する知的エリートの自信みなぎる造形。それゆえ、当時まだ多くの人が信じるに至ってはいない自らの医術を信じ、己の手に身を任せての手術を決断した歌右衛門との間に友情も芽生えるのだなと。その玄碩の命を救うため、公演途中で舞台を降りるという、舞台人として重大な決断を下した歌右衛門。二人が久しぶりに再会し、「歌右衛門!」「せんせ!」「歌右衛門!」「せんせ!」「歌右衛門!」「せんせ!」とただただ互いの名前を呼び合うクライマックス、心と心との結びつきは、もうほとんどラブシーンだなと…。互いに心から信じる相手、その人の顔を久々に見られたことが、そしてその人と名を呼び合うことが、ただただうれしい。愉悦。それがラブシーンでなくて何であろう。男性とも、女性とも、一人でも多くの人と、そのような心の結びつきを持ちたいものだと思うあひる。それにしても。「男の花道」では皆さん、よく泣きますね。下手したら? あひるより先にすすり泣き。いや、あひるも人のこと言えないけれども。泣いている人を見かけると、「やっぱり泣いちゃいますよね!」と手を取り合いたくなり。何も、安っぽい感動を切り売りして客席を泣かせにかかっているわけじゃない。心の結びつき、愛が、確かに舞台に描かれているから、そして人は、心の奥でどこかそうしたものを求めているから、…泣いてしまうのだと思う。
 夜の部の「雪之丞変化」では、四代目の女っぷりが上がったというか、元来のかわゆさ愛らしさがますます屈託なく表に出てきたというか、雪之丞を慕う浪路との情景が、二人の美しい娘が並んでいる様を観るような妖しさで、眼福至極。中日劇場に続いて浪路を演じる中村梅丸は、心根が本当にピュアな造形がかわいらしいことこの上なし。
 さて。「艶姿澤瀉祭」である。「艶姿」と書いて“はですがた”と読む。この作品については、新作ということ以外あまりよくわかっていなかったあひる。休憩中に、劇場ロビーに置いてあった「ステージぴあ九州版」を手に取ったところ、「宝塚のようなレビュー形式の華やかな舞台になる予定」と、四代目自らインタビューで答えているではないですか! いやが上にも高まる期待。
 というのも。あひるは博多座観劇の数日前、「ステージ・ショウの時代」(森話社)という本を読んでいた。これが、どこをとっても大変おもしろく、650グラム弱400ページを持ち歩いてまで一気読み。宝塚歌劇や二代目市川猿之助(初代猿翁)についてもいろいろと示唆に富む内容だったのだけれども、その中に、昭和13年に二代目と日劇ダンシングチームが共演した「妖霊星」なる“歌舞伎バレー”の写真が載っていた。舞台斜めに階段が置かれ、その階段上と舞台上に居並ぶダンサーたちが、舞台中央の二代目に向かって手を伸ばし、二代目がはっと上に手を広げてポーズを決めている。何じゃこの異種混合感〜。めちゃめちゃ斬新でおもしろそう! …その写真を見たとき、あひるの中には新たな夢が芽生えたのだった。ちなみに、その少し前に読んだ「夢の衣裳・記憶の壺 舞踊とモダニズム」(國吉和子)によって、二代目が観たバレエ・リュス作品がレオニード・マシーン振付の「奇妙な店」(カンカン・ダンサーが出てくる)と「三角帽子」(スペイン舞踊がふんだんに取り入れられていて、舞台美術はピカソ)であることを知り。
 さて。「男の花道」でたっぷり涙をしぼられ、休憩時間に少しクールダウンして、「艶姿澤瀉祭」全6景、はじまりはじまり〜。そこでびっくりした。
 日本物ショーなのにオーケストラじゃない!
 歌舞伎である。当たり前である。しかし。“日本物もオーケストラの音楽で踊る”という宝塚歌劇の約束事がそれほどまでに、まるで脊髄反射のように自分に染み渡っていることに驚くあひる。もう一つ、改めての気づき。宝塚でもよく、「ショー、レビューは衣装代がかかる」と言われますが、そうだよな…と。なんせ衣装をとっかえひっかえしなくちゃならない。でも。澤瀉屋の面々が次から次へと着替えて出てくるのを観るのがとても楽しかった! 芝居作品と、無心に踊り続けるこういうレビュー作品とで、出演者たちが見せる顔もまた違う。三代目猿之助が鍛え上げ、四代目が今率いる、澤瀉屋の愛すべき手練れの人々について、観劇を重ねていくうち、自分の中に少しずつ蓄積がなされていくことを喜びに感じていて、充分に蓄えられたら書いていきたいな…と思っているものだけれども、この作品でまたちょっと蓄えが増えたなと。
 芸者姿になったり、着流し姿になったり、はたまた藤の精になったり、四代目、男役トップスターと娘役トップスターを一人で兼ねるかのような、一人トップコンビを務めるかのような奮闘ぶり。着流し姿で坂東巳之助&中村隼人と踊る「深川マンボ」はキレッキレ。めくるめく〜。…前から感じていたけれども改めて思う。立役のとき、四代目は、宝塚の男役時代の紫吹淳の日本物の姿に似ている。そしてここに! 宝塚史にその名を残す名ダンサー娘役、星奈優里を参戦させたい!
 第五景「炎」ではなんと、薔薇をくわえて平岳大が登場! 踊るはフラメンコ。パッショネイト! そこに、澤瀉屋の汝鳥伶兼天真みちる(あひるの心の中の呼び名)こと市川猿弥が登場! 平のサパテアード。猿弥の足踏み。平! 猿弥! 平! 猿弥! 掛け合い。高揚!
「…この人、どうして歌舞伎の舞台に出てフラメンコ踊ってるんだろう…」
 ふと思った。しかし。それがいい! その異種混合感がたまらない。「妖霊星」の写真を見たとき、あひるが思ったのはそのことだった。あまりにきちっきちっとジャンル分けされていってしまうと、どこか堅苦しくなる。窮屈になる。もちろん、各ジャンル、根底にどこか守るべきものはあって、それをみんなで、ここが守る線だろうとか、ここは踏み越えてもいいだろうとか、考えていくべきだろうとは思うし、それがそのジャンルを発展させてゆく何よりの礎になると思うけれども、精神はまず自由でいいんじゃないか。新奇な試みがあっていいんじゃないか。だからこそ二代目は日劇ダンシングチームと踊ってしまっているんじゃなかろうか。こんなにも楽しそうに。私は、「妖霊星」の写真を見たとき、昭和13年のその舞台を観た人が心底うらやましかった。そして今、胸を張って言える。四代目が創った、平岳大がフラメンコ踊ってる歌舞伎舞踊を観たら、めちゃめちゃおもしろかったよ! と。
 第六景で、四代目は出雲の阿国となって登場する。そしてラストでは名古屋山三と姿を変えて、宙乗りで上から降りてくる。手すりにはピンクの電飾。…「男の花道」の後、「宙乗り、なかったね」と言っている人がいた。まるで、森光子がでんぐり返しを封印した後の「放浪記」を観て、「でんぐり返し、なかったね」ともらすかの如く(客席で実際聞いた感想)。まさか「男の花道」で、歌右衛門が宙乗りで玄碩先生のところに来るわけにもいくまい。しかし、そんな感想をもらしていた観客も、「艶姿澤瀉祭」の宙乗りで、来た来た〜という感じで大喜び。そんなに宙乗りが観たいか! 観たい! 少なくともあひるは。そしてなぜかいつも、周囲と一緒になって、上空の四代目に向かって手を振りたくなる。振っている。不思議である。「心は一緒に飛んでるから!」という一種のマニフェストであろうか。それにしても。周囲と一緒に泣いたり、手を振ったり、四代目の舞台の客席にいると、私はとても幸せである。
 ……と、高揚しっぱなしのうちに、あっという間に終わってしまった「艶姿澤瀉祭」。50分。ほぼ宝塚のレビューと同じ上演時間。ガツンと来る日本物ショーが観たかったあひる、大満足。というか、もっと何回も観ればよかった。「雪之丞変化」共々、ぜひ東京で上演して欲しい! めくるめく高揚を口ずさみつつ帰れるよう、主題歌も欲しいくらいである。題名も「艶姿澤瀉祭」だし、宝塚の自画自賛ソングと同じくらい“澤瀉屋”を連呼する歌を。そして、「妖霊星」の写真を見たとき芽生えた新たな夢を、さらに強く思ったのだった。
 いつか四代目に、宝塚の日本物ショーを創って欲しい!
 「傾城反魂香」は大好きな近松門左衛門作品である。芸術のマジカルさが描かれた作品であると思う。絵に描いた虎が抜け出したり、これをまた画力でかき消したり。上演の「土佐将監閑居の場」では、吃音ゆえに苦しむ絵師又平(四代目中村鴈治郎)が、絶望し、死を覚悟して手水鉢に描いた自画像が、石を通り抜けて向こう側にまで表れる。この“奇跡”に、師に見事名字を与えられる。シェイクスピア作品を読んでいても、こうした芸術のマジカルさが描かれていると感じる瞬間がある。近松もシェイクスピアも、実際にそのマジカルさを知っていた人ではないかと考えるゆえんである。
 又平がなかなか出世できないのは、どもりゆえ、偉い人たちの相手が難しいため。絵師としての出世に、画力以外のものが問われていることが描かれている。日常生活では、女房おとく(四代目市川猿之助)が又平の代わりにあれこれ、ときにしゃべりすぎるくらいしゃべって、それで足りている。夫婦の間はそれでいい。又平があ、とか、う、とか言えば、おとくが万事察して、「お茶よ」とか「絵筆洗っておきました」とか、あれこれ尽くしているのだろうから。猿之助のおとくで私が好きなのは、しゃべりすぎるくらいしゃべる様に好ましい愛嬌があることと、夫の描く絵に惚れ込んでいる感があることである。夫婦愛に加え、芸術のマジカルさを描いた作品ととらえたとき、このおとくの思いは大きな援護射撃となる。
 出世難しく絶望したとき、…鴈治郎の又平はもう、ボロボロ泣いていた。手拭いで目を拭っていた。歌舞伎の舞台では、よくよく男性が泣く姿を目にするな…と思った。現代演劇の舞台ではあまりないような。そういえば三谷幸喜作品には割に多い(「国民の映画」「ホロヴィッツとの対話」等)。男だって泣きたいときもあるだろう。今の男性は泣きたくなったとき、どうしているのだろう…。そして、岩をも通すの一念を込めて、鴈治郎の又平は手水鉢に絵を描く。鬼気迫るものがあった。これが四代目中村鴈治郎襲名の舞台である。これからますます芸の道に精進すると決意したとき、この芸術のマジカルさを描く作品はいかにもふさわしいように思えた。そして、名字を許されての幸せな終幕、花道を歩いていく又平は、浮き浮きととても愛らしかった。

 「傾城反魂香」の前の「四代目中村鴈治郎襲名披露口上」では、鴈治郎の弟、中村扇雀が、このように上方で歌舞伎を上演する機会をもっと持ちたい、そう述べていた。
 …昨年三月、近松門左衛門の「冥途の飛脚」を原作とする宝塚雪組公演「心中・恋の大和路」を梅田のシアター・ドラマシティに観に行った帰り、お気に入りのレストランで遅い昼食をとっていた。…聞こえてくる関西弁。○○ちゃんが結婚するんやけど、その相手のお家の財産が、云々…。「心中」の世界と地続きだ、そう思った。作品は東京の日本青年館大ホールでも上演されたけれども、やはり何だか感覚、印象が違うのである。もちろん、宝塚大劇場で観るのと東京宝塚劇場で観るのとでも異なるけれども、作中語られる言葉ゆえ、その違いは一層浮き彫りになるように思えた。
 「傾城反魂香」を観ての帰り、なんばの停留所から大阪空港行きのリムジンバスに乗った。途中、車窓から、西区新町の長瀬産業の特徴あるビルが見えた。昨年、<「冥途の飛脚」ゆかりの地めぐり兼桜見物http://daisy.stablo.jp/article/448444931.html>で歩いた場所である。あのあたりが新町、「新町九軒桜堤の碑」や「初世中村鴈治郎生誕の地」の碑が建つ新町北公園があり、「ここに砂場ありき」の碑が建つ新町南公園があり…。思いを馳せた。やはり、近松の世界と地続きなのだ…。その土地で、その土地に生まれた芝居を観る。日本中、世界中、同じような店が立ち並ぶ今、それは何よりの贅沢なのではないか、そう思えた。
 四代目市川猿之助が演じる狐を観ていると、何とはなしに、愛犬トラジロウの在りし日を思い出す…。
 ということで、私の亡き父の人生を彩った三匹の犬の話をします。

 父が「藤本」ではなくまだ「松延」姓を名乗っていたころ、一匹の犬を飼い始めたという。名前は松延にちなんで「エム」。ちなみに私の母の旧姓は「木野」である。「木野」と「エム」とくれば、村上春樹の短編集「女のいない男たち」の最後の二編を思うけれども、その偶然は今はさておき。
 父は語った。エムはあまり頭がよくなかった。そしてある日、こともあろうに警官にかみつき、殺さざるを得なくなってしまったのだと。私の父は無口ながらも乾いたブラック・ユーモアを得意とする人で、夕食の席で話していても、「…この表現は思いつかなかった。やられた。うぬう」とうなってしまう、ぴりりと辛いそれでいて思わず笑ってしまうような発言がときどき飛び出した。父が亡くなって何がさみしいかというと、私は父ではないのでそういった表現を全然思いつかないところなのであるが、エムについての父の語り口もそのようなものだったとご想像ください。苦笑まじりではあったが、その犬の喪失が彼の心に傷を残したことは容易にみてとれた。
 それ以来、父はずっと犬を飼いたかったのだと思う。――幸せな一家の象徴。養子に行き、違う姓を名乗ることとなった父の人生は、自分の一家を幸せなものとして守るためにあった。弟の大学受験が終わり、待望の犬が我が家にやって来ることとなった。実は、トラジロウの前に一匹、短いながらも我が家にいた犬がいた。「てつ」。てつは真っ白で、病弱で、…それがために、ワクチンを打つこともできなかった。我が家に来てからも、毎日のように体調を崩し、獣医に連れて行った。これはもはや手の打ちようがない…となって、元いたペットショップの人が引き取りに来た。私なんか愚かである。本当に最近まで、てつはペットショップで元通り暮らしたのだろうとばかり思っていた…。違った。すぐにあの世に行っていたのだ。エムと同じように。てつが我が家を去った後、庭でケージを家族四人で洗った。全員泣いていた。父も誰はばかることなく泣いていた。父の涙はあまり見たことがなかった…。
 てつのことがあまりにショックだったため、もう我が家で犬を飼うことはないんじゃないかと思った。それでも父はやはりどうしても犬が欲しかったらしい。ほどなくして、トラジロウが我が家に迎え入れられることが発表された。トラは元気で愛くるしい犬だった。食いしん坊だった。雄弁で表情豊かだった。その存在がどんなに私たちをなごませてくれたことか。無口な父も、トラを腹話術師の人形のようにして話すのだった。トラがあの世に行ってからは、また言葉少なな人に戻ってしまった…。
 …私はずっと思っていた。トラは生まれてすぐ両親や兄弟と別れ、我が家にやって来た。だからその分まで私たちが家族としてトラに接しようと。父が倒れて意識を失い、その肉体だけ病院に横たわっていたとき、我が家近くのその倒れた場所で、一匹の日本犬を見かけた。その瞬間、…天国で、トラが、「やっとよく知っている人が来たよ〜」と父の膝あたりにうれしそうに飛びかかり、父もまたうれしそうにしている白昼夢を見て、…トラが喜ぶなら、父があの世に行くのもやむを得ない、とその死を受け入れる覚悟ができた。

 劇場でトラの魂を見たのは、四代目の舞台が初めてではない。宝塚月組公演「バラの国の王子」。「美女と野獣」を原作としたこの作品で、明日海りおが“虎”を演じていた。そのかわいらしいしぐさが何だか、トラジロウに見えた。トラジロウは言っていた。
「お姉ちゃん! 犬好きに悪い人はいないよ!」
 …霊になったら犬もしゃべるのか…と思った。まあ、生きているときからしゃべっているように雄弁な犬ではあったけれども。

 「義経千本桜」の“四の切”では、家臣忠信の姿に化けて静御前と旅をしていた、その正体が実は狐であることが明かされる。静御前のもつ初音の鼓に狐の両親の皮が用いられていたため、姿を変えて鼓を追ってきていたのだ。切々と親恋しの思いを訴え、狐は宙へと飛び去ってゆく。観ながら、…私は、父のこと、父の愛した三匹の犬のことを考えていた。そして、人も犬もまた縁によって出逢うのだと思ったとき、…松竹座の上空に、“超覚醒”の瑞兆が見えたのだった。

(2月9日16時15分の部、大阪松竹座)
 「蜘蛛絲梓弦」で、童、薬売り、番頭、座頭、傾城と次々と姿を変えて舞う四代目市川猿之助は、最後に蜘蛛の精としての本性を現す。その登場の刹那、…かつて遊んだ熱海の紅葉の山の景色がぱーっと見えて、その中に在る一匹の蜘蛛を感じた。蜘蛛は蜘蛛として生きているのではない。自身をそう認識しているわけではない。蜘蛛はただあるがままに生きているだけであって、万物は世界と一つなのだ…と。以前私も横浜でそのように感じたことがあった。世界と一つである自分を感じた。そのときの感覚がさらに敷衍された。蜘蛛へと。…それでより生きやすくなる。世界と一つであることを常に感じて生きていけばいい。一人であって一人ではない。個体であって個体ではない。私も、蜘蛛も。

(7月9日11時の部、歌舞伎座)