動物文学で名高い戸川幸夫の作品を平岩弓枝が脚色した舞踊劇『爪王』。狐(中村勘九郎)と鷹(中村七之助)が激しく踊り戦う様を観ていると――人間が着物を着て演じているのに、本当に動物同士が壮絶に取っ組み合っているように見えてくる瞬間があり。鷹を女形が演じていることで、鷹匠(坂東彦三郎)と鷹との関係性にどこか不思議なエロティシズムが漂ったり。翼が刺繍された鷹の衣裳の美しいこと。昭和43年に波乃久里子が六代目猿若明石を襲名した舞踊会で初演されたこの作品、上演記録を見たら、波乃の鷹に対し狐を踊ったのが当時の宝塚雪組トップスター真帆志ぶき(昔はそういう外部出演があったんですね)。
 講談を原作とした「義士外伝」の新作歌舞伎『俵星玄蕃』は、雪の降る日のどこか張りつめたような空気を思わせる緊張感が終始心地よい作品。俵星玄蕃(尾上松緑)と当り屋十助実は杉野十平次(坂東亀蔵)との間に通い合うもの。吉田忠左衛門役の河原崎権十郎のセリフの響きのよさ。

(14時45分の部、歌舞伎座)
 21日16時半観劇(歌舞伎座)。『松浦の太鼓』の奥深い魅力――日本人の心性と共に歩んできた歌舞伎について示唆に富み、重い論点をも提示する片岡仁左衛門の松浦鎮信。町人ながら俳諧の宗匠として大名ともやり合う様に、シェイクスピア作品における道化にもどこか通じる魅力を感じさせる中村歌六の宝井其角。太鼓の音に伴われた仁左衛門のセリフが、実際に舞台には登場しない赤穂浪士たちの雪の中の行軍をありありと描き出す。好調続く中村芝翫の大らかな魅力(『鎌倉三代記』)。中村又五郎の伏し目の色気(『顔見世季花姿繪』<教草吉原雀>)。充実。
 昼の部(9月24日11時の部観劇)。
 『祇園祭礼信仰記 金閣寺』。松永大膳役中村歌六の声の響きを楽しむ。
 長唄の演奏をとてもゴージャスに感じた&叡山の僧智籌、実は土蜘の精役の松本幸四郎の舞台上のたたずまいの変容に感じ入る『土蜘』。
 加藤清正役の松本白鸚がセリフのうちに感じさせる、時の流れについての感慨がしみじみ胸を打つ『二條城の清正 淀川御座船の場』。

 夜の部(千穐楽9月25日16時半の部観劇)。
 『菅原伝授手習鑑 車引』。5月&8・9月文楽で『菅原伝授手習鑑』を通しで観て、物語について理解が深まったので、一層楽しく観られた。松王丸役中村又五郎の迫力。
 『連獅子』。尾上丑之助9歳の求心力――たびたび驚かされるものがあり。
 『一本刀土俵入』。長谷川伸の描く、幸に見放されたような境遇で懸命に生きる人々、そんな中でのふとした心のふれあいがよく表現された、心に染み入る舞台だった。自分が幸薄い境遇にあるからこそ、やはりつらい境遇にある駒形茂兵衛(松本幸四郎)に、自分がやれることをして手助けしてやりたいと心を尽くす酌婦お蔦(中村雀右衛門)。そんな彼女は、十年余りの月日の後、茂兵衛に再会するが、――覚えていない。その「覚えていない」という事実が、彼女が過ごしてきたこの年月の過酷な生を物語る――過酷な生の中では、自分が人に何か優しくしたという過去の記憶を振り返る余裕などないだろう。それでも今度は、茂兵衛が、お蔦が励ましてくれたような立派な横綱にはなれず博徒となって生きる男が、かつて受けた恩に何とか報いたいと、お蔦一家を助け出すため奮闘する。人物の生きてきた背景をその身体から滲み出させるような雀右衛門。そして、昼の部『土蜘』に続き、幸四郎の舞台上でのありようを変えたもの、その哀しみの深さに思いを馳せずにはいられなかった。舞台上からのその浸透圧がひたひたと心に迫り来て、客席中をじわじわと覆いつくすような、そんな舞台だった。

 ロビーに飾られていた二世中村吉右衛門の写真、その笑顔がとても素敵でした。
 昼の部の演目『通し狂言 菊宴月白浪 忠臣蔵後日譚』は、歌舞伎三大名作の一つである『仮名手本忠臣蔵』の書替狂言。26日に宝塚星組『1789−バスティーユの恋人たち−』を観劇し、先行作品『ベルサイユのばら』との関係性についてじっくり考える機会があったばかりだったので、非常に興味深く。
 ――不在だからこそ見えてくるもの、わかることを少しずつかみしめており。

(11時の部、歌舞伎座)
 『神霊矢口渡』――女の恋心のいちずさ、いじらしさ、激しさ(ちょっと怖いほど)。
 『神明恵和合取組 め組の喧嘩』――「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉にある江戸の派手な喧嘩があざやかに視覚化されたスペクタクル。命を落とす危険があってもときに戦わねばならない、そんな生の燃焼。江戸の風俗がふんだんに盛り込まれていて、過去の時代とつながることで得られる心のデトックス効果を楽しむ。“ザ・やせ我慢”を体現したような、め組辰五郎役の市川團十郎がときに見せる眼光の鋭さ。
 『鎌倉八幡宮静の法楽舞』では、途中、楽しさのあまり、三味線の音色に乗って、登場する物の怪たちと一緒に踊り出したくなっており。そしてラストで何だか不思議な感覚。

(16時の部、歌舞伎座)
 ……自分の中に、歌舞伎を観ることによってのみ癒される心の領域がいつの間にかできていたことに気づかされ、……哀しみの渦に巻き込まれ、哀しみの矢に射抜かれ、……そして終盤、心の中のスクリーン上の紙に、俳優たちの肉声によってセリフの文言が縦書きで黒々と描き込まれていくような、すばらしい舞台だった。時代を超えて、この作品を愛してきた観客たちとつながれた思い。本編前の「解説 歌舞伎のみかた」も笑いいっぱいで非常にわかりやすく、実際の江戸時代の夜の暗さを見せてくれるなど、作品理解の上で大きな助けとなった。

(18時半の部、国立劇場大劇場)
 16時半の部観劇(新橋演舞場)。原案はゲーム「刀剣乱舞 ONLINE」。刀剣男子(刀剣に宿る付喪神が擬人化された戦士)が、真の歴史の改変を目論む時間遡行軍と戦うという設定。歴史のその先を知るが故の刀剣男子・三日月宗近(尾上松也)のせつなさ。歴史のその先を受け入れる足利義輝(尾上右近)の潔さ。二人が斬り合うクライマックス、生の不可逆性に対する痛切な哀しみに涙。松永弾正役の中村梅玉の存在が舞台に重みを与える。尾上松也が尾上菊之丞と共同で初演出を担当、真摯に作り上げた様が好印象。多彩な音楽使いも楽しい。公演は24日まで。
 絵から虎が飛び出したり、分厚い石の手水鉢に描いた絵がその反対側まで突き抜けたり――芸術のマジカルさ。近松門左衛門のその芸術論に改めて深い感謝を捧げたくなる『傾城反魂香』(先月93歳の誕生日を迎えた市川寿猿も元気に出演中)。蝦蟇の動きもアクロバティックに、歌舞伎のおもしろさが凝縮された『児雷也』。芸者衆のあでやかさにテンション爆上がりの『扇獅子』。三作品とも、涙。

(11時の部、歌舞伎座)
 『義経千本桜』より、<木の実・小金吾討死・すし屋>と、<川連法眼館>。
 鎮魂。
 ――そして、さよなら。
 新たな旅路の始まり。

(16時の部、歌舞伎座)
 本編前の<解説・歌舞伎のみかた>で見どころが示されていて、楽しみやすかった『日本振袖始――八岐大蛇と素戔嗚尊――』。

(14時半の部、国立劇場大劇場)