笑いと同時に、じんわりしみじみ味わい深さがあって、大らかな愛に包み込まれるような、とても素敵な舞台でした。この作品と『釣女』が二本立てというところがいいな、と。恋に酔う夫と嫉妬するその妻の二役を演じて、中村鴈治郎のかわいらしさ、全開!
 『新選組』は、手塚治虫が昭和38年(1963)に発表した同名漫画を原作とした新作。舞台は幕末、主人公は架空の新選組隊士、深草丘十郎(中村歌之助)。父の仇を討つために新選組に加わった丘十郎。坂本龍馬(中村扇雀)からもらった洋書を読む丘十郎を、新選組局長芹沢鴨(坂東彌十郎)は「西洋かぶれ」と罵る――主人公の前に立ちはだかる芹沢のその姿が、私には、時代を超えて人々を過去へ過去へと縛る因習の具現化のようにも思えた。そして、父の仇を討つも自らも松永八重(中村鶴松)に父の仇として狙われることとなり、彼女に親の仇を討つ虚しさを説く主人公の言動に、――爆撃されて多くの命を失い、けれども、敗戦によって因習から解放されたところもあった、戦後日本の人々の心性を思った。
 狸に河童に一本足の傘、雪女郎、骸骨、狐等、さまざまな妖怪変化が踊る『闇梅百物語』。中村勘九郎の踊る骸骨に、幼いころ、子供番組で、「ホネホネロック」という曲が骸骨の踊るアニメーションと共に流れるのを観た弟が激しくショックを受けていた姿を思い出した。私自身が死を明確に意識したと思えるのはだいぶ後になってからなのだけれども、子供番組で観たイザナミの死後の姿が怖すぎてトラウマになっていたり、実は子供のころからそうやって死を教えられていたのだと今になって思う。冷たさを意識せず触れてその存在に包み込まれて命溶けてしまいそうな、中村七之助の雪女郎。

(8月29日11時、歌舞伎座)
 見応えあり!
 本編前の「歌舞伎のみかた」は中村萬太郎の解説。尾上緑が登場してモデルとなり、女方の基本姿勢を指導。…肩甲骨を寄せて、肩を落とすとなで肩になる、その上で両太腿は寄せて内股に…と、客席みんなでやってみるのだけれども、子供のころから身体が固いあひる、肩甲骨が思うように寄りませぬ。…そうか、舞台に出ている間、ずっとこういう姿勢なんだ…と。こういった技術的な話を聞くのが、最近とてもおもしろく。
 舞踊劇『紅葉狩』。…美しい姫だと思ったら、実は、鬼だった! ――もしも鬼に逢ったら…と考えた。いざというとき、気丈に振る舞える自分と、鈍くさい自分とがいる。…私、鬼に逢って、ちゃんと対峙できる? そういうときに限って鈍くさい方が発動したりしない? そもそも、鬼って何だろう…。最初から「私、鬼です!」という感じだと出逢った方もその瞬間に逃げ出すだろうから、まずは美しい姿で油断させるということなのか…。比喩的表現だけど、“芸に厳しい人”と“芸の鬼”との違いとは…? そんなことを考えながら、尾上松緑扮する余吾将軍平維茂がすごい気迫で中村梅枝演じる更科姫実ハ戸隠山の鬼女に立ち向かうのを観ていた。そして。またもや踊りの際の足元に吸い込まれるように注目している自分がいた。でも、それで何だか従者右源太を演じた坂東亀蔵をあざやかにインプット。さらにいろいろなジャンルで体重移動に注目してみる〜!

(7月21日14時半の部、国立劇場大劇場)
 有機的な弾みがあり、新たな気づきのあった『夏祭浪花鑑』。<三婦内の場>、お辰役の中村雀右衛門が色気があると言われた顔にあえて疵をつけた際の凄み――疵をつけたことでかえって色気が増したようだった。<長町裏の場>の殺しで、何ともやりきれない哀しみを感じさせた団七役の市川海老蔵。『雪月花三景』のラストには、モーリス・ベジャール振付の『ボレロ』のような高揚感あり。市川海老蔵を歌舞伎座で観られて、私はとてもうれしい。
 本日歌舞伎座にて六月大歌舞伎第一部&第二部を観て来ました。第一部は、気迫みなぎる『菅原伝授手習鑑 車引』に、怒涛の芸のスペクタクルが楽しすぎて泣いてしまった『澤瀉十種の内 猪八戒』。第二部は、緊迫感いっぱいの芝居が一時間半にわたって展開する『信康』に、重厚キャストが舞踊で日本の祭りの楽しさを華やかに伝える様にやはり泣いてしまった『勢獅子』。第三部は先日ふれた『ふるあめりかに袖はぬらさじ』、昨日国立劇場大劇場で観た歌舞伎鑑賞教室『彦山権現誓助剣−毛谷村−』にもほっこりしたし、非常に盛り上がってます。どうも疲れる気候ですが、皆様もどうかお身体ご自愛を〜。
 8日18時の部、歌舞伎座。
 横浜の港崎遊郭に実在した大店岩亀楼を舞台に、外国人の身請けを拒んで自殺したという遊女亀遊の逸話(あるいは伝説)をモチーフに描く有吉佐和子の傑作戯曲を、齋藤雅文と坂東玉三郎の演出で。私は、近代建築好きから発展して横浜の花街の歴史にも興味を抱き、そこから生まれた文化にも興味があるのだが(例えば、箱根の富士屋ホテルはそもそも港崎遊郭で岩亀楼と共に有名だった神風楼の支店という位置付けで誕生しているし、昭和12年発表の淡谷のり子の名曲「別れのブルース」は、港崎遊郭開業の数年後から山手・根岸・本牧近辺に誕生して発展していった外国人相手のあいまい宿「チャブ屋」に取材した歌である)、そんな、海外に向かって港として開かれることによって発展した横浜という街がどこか持つうら悲しさのようなものが感じられる舞台だった。坂東玉三郎のコメディエンヌぶりがはじけ、中村鴈治郎がよき合いの手。
 四月半ば、客席に座っているのがしんどくなるような出来事があって、劇場に足を運ぶのも怖くなってしまったのだけれども、そのとき、…歌舞伎があってよかった…と心から思った。歌舞伎に救われた。そんな話も含め、自分の中でしっかり咀嚼してからまた書きたいと思いまする。
 團菊祭五月大歌舞伎第三部観劇(18時15分の部、歌舞伎座)。中村梅玉のノーブルな癒し系ダンディぶりを堪能できる『市原野のだんまり』。続く『弁天娘女男白浪』は、“騙り”に仮託された河竹黙阿弥の批判性が今日にも通じることを明らかにする好舞台――声なき庶民の声を聞いて記した言葉だ…と、「稲瀬川勢揃いの場」の台詞に涙。
 かっこいい! スパッとかっこよく見えて、でも、よく見ると実はその軌跡に細かなウネウネがついていて、そのウネウネの分、より豊か、そんなかっこよさ。
 「俺は誰だあっ!」――公演ポスターのヴィジュアルにも印象的にあしらわれ、一幕ラストで痛切に響くその言葉。ここ数年、自分が考えていることとも重なって。
 まだまだ余韻に浸ります!

(2月3日13時の部観劇、シアターコクーン)
2022-02-03 23:39 この記事だけ表示
 …思いを自分の心の底に沈めるだけだと、あるときふと浮かび上がってくることもあるしな…と、碇綱を自らの身に巻き付け、大碇を先に海に沈め、そして、その後を追って後ろ向きに海へと身を躍らせる、片岡仁左衛門扮する平知盛の姿に思った。
 月の後半にまた観に行こうと思います!

(2月2日14時半の部観劇、歌舞伎座)
2022-02-02 23:59 この記事だけ表示