人間とはそもそも誰もが「鬼界ヶ島の段」終幕で島に一人取り残される俊寛のように孤独な存在である。希望――それを知ったが故の。……終演後、私は思わず困り笑いを浮かべていた。

(国立劇場大劇場、12時の部)続きを読む
2020-11-23 23:37 この記事だけ表示
 十月大歌舞伎、全四部大充実〜!
2020-10-05 23:53 この記事だけ表示
 昨日、期間限定でオンライン特別配信された『須磨浦』を観ていた――中村吉右衛門が、「松貫四」の筆名で、『一谷嫩軍記』を新たな構成のもと書き下ろし、自ら熊谷直実を演じた一人芝居である。――己の、役者としての業の深さを見つめるその残酷なまでの眼差しに打たれた。そして、その一挙手一投足に、――自分がまるで、涙を流す自動装置になったかのようだった。…相手に直接伝えればいいのに…と思いもした。けれども、その人にとっては、そうすることがもっとも伝えやすい手段なのだろうとも。
 そして、今日。吉右衛門主演の『双蝶々曲輪日記 引窓』。一人の母と、幼くして養子に出されたその実子と、生さぬ仲の子と。――当然ながら私は、家を継ぐため、叔母のところに養子に出され、そのことを死ぬまで痛みとして心に抱えていた父のことを思い出す。この世においては、父は実母を「母」と呼べない。あの世に行かねば叶わぬ願い。…そう思って、自分が父の死の痛みをやり過ごそうとしたことを思い出す。幼いときから、父の痛みを知っていた。だから、父を苦しめたと私が思うところの相手を恨んだ。――今なら、間違いだったとわかる。恨むべきは人ではない。人を苦しめるところの制度やしきたりである。恨んだ相手もまた、同じ制度やしきたりに苦しめられた一人だったのだから。
 昨日、パソコンの画面の中に見ていたその人は、劇場空間において、圧倒的な生のマッスとして迫ってきた。そして、その表情が、古の浮世絵の歌舞伎俳優のそれへと収斂していく様を、私は不思議な思いで見つめていた――。

 ――そう簡単にわかられてたまるか…! という思いと、わかってほしい思いと。劇場空間で感じるそのアンビバレンスは、どこか懐かしいものだった。…前にも、そうした相手と対峙していた。親子ほど齢が違うのに、こっちだって、そう簡単にわかってたまるか…! という思いと、どうにかわかりたいという思いと。そしてその思いは、今でも私の中に濃厚に残っている。相手を彼岸に失った今も。私の中に蒔かれた種を、少しずつ育てて、なおもわかろうとし続ける。――美の彼岸で再び相見える日まで。そのとき、父が私の手を引いてそこまで連れていってくれることが、私の望みなのである。
 その日まで。この世で成すべきことは、この世でかたをつけねばなるまい。そして私は、この世において成すべきことを、また一つ見つけたのだった。

(9月2日16時15分の部、歌舞伎座)
2020-09-02 23:59 この記事だけ表示
 かさね(市川猿之助)を前に台詞を語る与右衛門(松本幸四郎)を観ていて、…ふっと、自分の魂があくがれ出づるのを感じた。魂は、与右衛門とかさねとがいる川堤へと彷徨っていった。そのとき、魂を境に、現実と虚構とが逆転していた――。その世界こそ、魂が本来在るべき場所であるように思えた。生者の魂も、死者の魂も、草木や川の水といった自然界の精霊も、分け隔てなく自由に交歓できる場所。――思えば、昨年の三月大歌舞伎『弁天娘女男白浪』においても、そうして戯作者の魂に出逢ったに違いなかった(http://daisy.stablo.jp/article/472849218.html)。そのときも、幸四郎と、猿之助とが居た――。

(9月2日13時40分の部、歌舞伎座)
2020-09-02 23:59 この記事だけ表示
 ――今年の春、一人、近所の桜景色を眺めていて、私はそこが、ウイルスとは無縁の美の桃源郷のように思っていた。そして、昨日、『吉野山』を観て、一人で眺めるしかなかった今年の花見の無念を取り返せるように思った。けれども。――違う――と、今日再びの『吉野山』の桜景色に、誓ったのだった。もう、“それ”は、そこに在る。なかったものにはできない。その存在を前提とした上で、美と今一度向き合わなくてはならない。――できるだろうか――と問うて、――きっとできる――と答える。仲間がいるから。他者にそっと差し伸べられた救いの手、コロナ禍にあってもなおも輝く人の世の美しさを、私たちはこれから描き出していくのだ――。市川猿之助。中村七之助。市川猿弥。その舞台のすべてに、ただただ涙を流していた――美の圧倒の前に、泣くより他にないときもある。

(8月4日16時15分の部、歌舞伎座)
2020-08-04 23:59 この記事だけ表示
 2008年9月、赤坂大歌舞伎『棒しばり』(赤坂ACTシアター)。――大盛り上がりの舞台に、拍手がいっこうに鳴り止まず、遂にもう一度幕が開いた。次郎冠者に扮した中村勘太郎(当時)が、自分でもびっくりしたような顔で再び登場したことが忘れられない。それから12年経って、六代目中村勘九郎となった彼が次郎冠者を務める八月花形歌舞伎『棒しばり』は、――その間にあった人生のあれこれを内包して、まるで異なる演目として私の前に立ち現れたのだった。手を縛られても、主人の留守に酒を盗み飲みしようと奮闘する太郎冠者(坂東巳之助)と次郎冠者。おおらかでのんきな二人の姿に、――うららかな日に昼寝を決め込み、心のお腹を丸出しにして天下泰平を味わっているような、そんな満ち足りた想いで、心癒されたのだった……。人間には、そんな時間が必要なのである――ときに夢の中にまで“消毒”が追いかけてくるくらい、ピリピリと過ごしている今だからこそ。無論、最大限の予防策を心がけることに変わりはなく。これから勘九郎が人生の熟成と共にますます渋みを増していく姿を観るためにも。

(8月4日13時45分の部、歌舞伎座)
2020-08-04 23:59 この記事だけ表示
 運命の人。“人”の姿で立ち現れる、運命――。

(8月3日19時の部、歌舞伎座)
2020-08-03 23:16 この記事だけ表示
 ――一人、孤独のうちに見ていた今年の桜と、眼前の舞台の桜と、二つの桜景色がからくり燈籠のように回っていた。春の日に感じた美と、その美をわかちあう人のいないさみしさとが狂おしく甦り、私を圧倒的な生の肯定で満たした――今の世に、この国に生を享けた幸せ。

(8月3日16時15分の部、歌舞伎座)
2020-08-03 23:15 この記事だけ表示
 河内山宗俊を演じる松本白鸚が、河竹黙阿弥の手によるせりふを語る様を聴いていて、…自分が、今、過去の時代の人々と確かにつながっているという感覚を覚えた――2年前、コクーン歌舞伎『切られの与三』(串田和美演出・美術)を観ていて、江戸時代に同じ作品を楽しんでいた観客とつながっているという感覚を覚えたことがあったのだけれども、そのときともまた異なる感覚だった。
 それは、こよなく愛する近代建築の建物を心ゆくまで眺め、その内部で心ゆくまで佇んでいるときに覚える感覚に似ていた――私がとりわけ好むのは明治から第二次世界大戦くらいまでの建築であって、…よくぞ、戦火や高度経済成長期といった激動の時代を超えて、今このときまで残っていてくれた、残してくれていた…との感慨をもって接してきた――あるときから、…きっと、私の命の長きを超えて残り続けていくのだな…とも感じるようになったけれども。そのような感慨をもって古い建築に接するとき、そうして、過去の時代、過去の人々との確かなつながりを感じるとき、私は心地よい安堵感に満たされる――自分が歴史の一部であると感じられる瞬間。興味深いのは、河竹黙阿弥のこの作品が初演されたのが明治十四年だということである――演劇においても、建築においても、西洋化、近代化の荒波が押し寄せていた時代。

(1月22日昼の部、歌舞伎座)
2020-01-22 23:17 この記事だけ表示
 歌舞伎を観に行くとき、…まだまだ勉強しなくてはいけないことがいっぱいある…と、緊張したりする――その緊張感が、ますます励みになるわけで。でも、今晩、一心に見入るうち、…勉強しなきゃ…が消えていって、…楽しい! と心から思えて、それがうれしかった…。今の私の目で観るその舞台が新鮮でおもしろいのです。そして、美しい日本語もたくさん聴けて…。歌舞伎の国に生まれてよかった! と思えた。日本人であるその喜びを最大限享受する! じっくりかみしめます!
2020-01-07 23:59 この記事だけ表示