藤本真由
(舞台評論家・ふじもとまゆ)
1972年生まれ。
東京大学法学部卒業後、新潮社に入社。写真週刊誌「FOCUS」の記者として、主に演劇・芸能分野の取材に携わる。
2001年退社し、フリーに。演劇を中心に国内はもとより海外の公演もインタビュー・取材を手がける。
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bluemoonblue@jcom.home.ne.jp まで。
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文楽
第一部
『菅原伝授手習鑑』
<道行詞の甘替><車曳の段><茶筅酒の段><喧嘩の段><訴訟の段>と充実の舞台を<桜丸切腹の段>[切]=竹本錣太夫、三味線=鶴澤藤蔵が素晴らしく締めくくった。三つ子の対立の迫力。父の祝いの日に兄弟で争うことの哀しさ。松王丸、梅王丸、桜丸、三つ子であっても人形のかしらがすべて違うものであるところにそれぞれのアイデンティティを思った。父である白太夫の前で桜丸が切腹する<桜丸切腹の段>では、――子供に先立たれた高齢の遠戚に、その子供の葬儀で会った際、どこか不思議な精神状態にあるように感じられたことを思い出した。父白太夫のように百姓であったなら、三つ子はこのような運命をたどらなかったかもしれない。舎人となったばかりに。さまざまな生の理不尽を包容する作品の魅力。
第二部
『菅原伝授手習鑑』
<寺入りの段><寺子屋の段>の上演。<寺子屋の段>[後]の鶴澤清治の三味線がとんでもなく凄まじい。舞台の空気が一気に引き締まる。弾いていないときにも音が流れているのが聴こえる! この世界において音が常にある中、ここぞというところであえて選択された音。ジョン・ケージの「4分33秒」(1952年に発表された、演奏者が4分33秒音を出さない曲)を思い浮かべた。――人間、無理解に追いつめられると何をしでかすかわからない、そんなことを松王丸に思った。自分の子供を身代わりに差し出すという選択の両面性。
第三部
『二人禿』作詞・作曲=野澤松之輔。背景の絵も美しく、野澤松之輔と同時代人である島成園の絵の世界を思った。
『ひらかな盛衰記』<辻法印の段>二人の百姓が、後から来る他の二人に呼びかけるところの曲に遠近が感じられておもしろい。
<神崎揚屋の段>傾城梅ヶ枝(人形=桐竹勘十郎)と腰元お筆(人形=吉田蓑紫郎)にときおりはっとするような美しさあり。
<奥座敷の段>『源平盛衰記』の挿話を脚色した『ひらかな盛衰記』。豊竹睦太夫の語りに、戦の時代を描いた作品の受容の変容について考えた。『ひらかな盛衰記』が初演された1739年(元文4年)は、日本に戦のなかった時代である。
(4月14日<第三部>&15日<第一部><第二部>、大阪・国立文楽劇場)
『菅原伝授手習鑑』
<道行詞の甘替><車曳の段><茶筅酒の段><喧嘩の段><訴訟の段>と充実の舞台を<桜丸切腹の段>[切]=竹本錣太夫、三味線=鶴澤藤蔵が素晴らしく締めくくった。三つ子の対立の迫力。父の祝いの日に兄弟で争うことの哀しさ。松王丸、梅王丸、桜丸、三つ子であっても人形のかしらがすべて違うものであるところにそれぞれのアイデンティティを思った。父である白太夫の前で桜丸が切腹する<桜丸切腹の段>では、――子供に先立たれた高齢の遠戚に、その子供の葬儀で会った際、どこか不思議な精神状態にあるように感じられたことを思い出した。父白太夫のように百姓であったなら、三つ子はこのような運命をたどらなかったかもしれない。舎人となったばかりに。さまざまな生の理不尽を包容する作品の魅力。
第二部
『菅原伝授手習鑑』
<寺入りの段><寺子屋の段>の上演。<寺子屋の段>[後]の鶴澤清治の三味線がとんでもなく凄まじい。舞台の空気が一気に引き締まる。弾いていないときにも音が流れているのが聴こえる! この世界において音が常にある中、ここぞというところであえて選択された音。ジョン・ケージの「4分33秒」(1952年に発表された、演奏者が4分33秒音を出さない曲)を思い浮かべた。――人間、無理解に追いつめられると何をしでかすかわからない、そんなことを松王丸に思った。自分の子供を身代わりに差し出すという選択の両面性。
第三部
『二人禿』作詞・作曲=野澤松之輔。背景の絵も美しく、野澤松之輔と同時代人である島成園の絵の世界を思った。
『ひらかな盛衰記』<辻法印の段>二人の百姓が、後から来る他の二人に呼びかけるところの曲に遠近が感じられておもしろい。
<神崎揚屋の段>傾城梅ヶ枝(人形=桐竹勘十郎)と腰元お筆(人形=吉田蓑紫郎)にときおりはっとするような美しさあり。
<奥座敷の段>『源平盛衰記』の挿話を脚色した『ひらかな盛衰記』。豊竹睦太夫の語りに、戦の時代を描いた作品の受容の変容について考えた。『ひらかな盛衰記』が初演された1739年(元文4年)は、日本に戦のなかった時代である。
(4月14日<第三部>&15日<第一部><第二部>、大阪・国立文楽劇場)
KAAT神奈川芸術劇場<ホール>での公演。
第一部
『通し狂言 絵本太功記』
<発端 安土城中の段>音楽に迫力を感じた。
<六月朔日 二条城配膳の段>竹本三輪太夫の語りが示唆に富むものだった。太夫が語ることで文章が立体的な物語として立ちあがる。その際、さまざまな要素がきちんと計算されて語られているからこそ、きれいな立体として立ち上がるのだと感じた。
<六月五日 局注進の段>[奥]素敵な段だなと感じさせる豊竹靖太夫の語りと竹澤宗助の三味線のバランスのよさ。
<長左衛門切腹の段>[切]竹本千歳太夫の語りと豊澤富助の三味線のバランスがよく心地いい。命の火花散るような。供養の念も感じた。
第二部
『通し狂言 絵本太功記』
<六月十日 尼ヶ崎の段>[前](太夫=豊竹呂太夫、三味線=鶴澤清治)凄まじい反戦の物語が展開された――書き記そうとするだけで、その尊さと重みに涙があふれてくるような。戦いへと男を送り出す女。その結果生じる悲しみ、悔恨の念。社会全体が狂気のような渦に巻き込まれていく時代。昨年の「壽 初春大歌舞伎」(歌舞伎座)夜の部『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』における白毫弥陀六実は弥平兵衛宗清役の中村歌六の演技を観たとき、こういった物語を第二次世界大戦敗戦後の人々はいったいどのような思いで見つめていたのだろうと考えずにはいられなかったのだけれども、その一つの答えを、この日の三味線の中に聴くことができたように思った。悲劇、人間の愚かさを、それでも尊厳をもって描き出す音色に、激しく心を揺さぶられた。
[切]戦地に向かう武智十次郎同様の死の覚悟がその祖母さつきにもあったことを、[前]からの流れできっちりすくう豊竹若太夫の語りを、鶴澤清介の三味線が盛り立てた。
第三部
《文楽名作入門》『勧進帳』竹本錣太夫による武蔵坊弁慶の不安も含めた心理描写が非常によく伝わってきた。死の覚悟から生への反転。何だか身じろぎして観てはならない宗教的儀式のように感じたりもする歌舞伎の『勧進帳』との違いを興味深く観た。花道を飛び六方で引っ込む武蔵坊弁慶(人形=吉田玉助)の迫力。
第一部
『通し狂言 絵本太功記』
<発端 安土城中の段>音楽に迫力を感じた。
<六月朔日 二条城配膳の段>竹本三輪太夫の語りが示唆に富むものだった。太夫が語ることで文章が立体的な物語として立ちあがる。その際、さまざまな要素がきちんと計算されて語られているからこそ、きれいな立体として立ち上がるのだと感じた。
<六月五日 局注進の段>[奥]素敵な段だなと感じさせる豊竹靖太夫の語りと竹澤宗助の三味線のバランスのよさ。
<長左衛門切腹の段>[切]竹本千歳太夫の語りと豊澤富助の三味線のバランスがよく心地いい。命の火花散るような。供養の念も感じた。
第二部
『通し狂言 絵本太功記』
<六月十日 尼ヶ崎の段>[前](太夫=豊竹呂太夫、三味線=鶴澤清治)凄まじい反戦の物語が展開された――書き記そうとするだけで、その尊さと重みに涙があふれてくるような。戦いへと男を送り出す女。その結果生じる悲しみ、悔恨の念。社会全体が狂気のような渦に巻き込まれていく時代。昨年の「壽 初春大歌舞伎」(歌舞伎座)夜の部『一谷嫩軍記 熊谷陣屋』における白毫弥陀六実は弥平兵衛宗清役の中村歌六の演技を観たとき、こういった物語を第二次世界大戦敗戦後の人々はいったいどのような思いで見つめていたのだろうと考えずにはいられなかったのだけれども、その一つの答えを、この日の三味線の中に聴くことができたように思った。悲劇、人間の愚かさを、それでも尊厳をもって描き出す音色に、激しく心を揺さぶられた。
[切]戦地に向かう武智十次郎同様の死の覚悟がその祖母さつきにもあったことを、[前]からの流れできっちりすくう豊竹若太夫の語りを、鶴澤清介の三味線が盛り立てた。
第三部
《文楽名作入門》『勧進帳』竹本錣太夫による武蔵坊弁慶の不安も含めた心理描写が非常によく伝わってきた。死の覚悟から生への反転。何だか身じろぎして観てはならない宗教的儀式のように感じたりもする歌舞伎の『勧進帳』との違いを興味深く観た。花道を飛び六方で引っ込む武蔵坊弁慶(人形=吉田玉助)の迫力。
1月、大阪・国立文楽劇場での公演。
第1部
『寿式三番叟』吉田玉志の遣う翁がおごそかな光に照らし出されているように感じる瞬間があった。次第に速さを増していく曲が、聴く者をほとんどトランス状態へといざなう。
『摂州合邦辻』<合邦庵室の段>令和3年5月文楽公演での上演で吉田和生が遣う玉手御前を観て、……文楽っておもしろいな……と改めて思った。義理の息子である俊徳丸に邪恋を仕掛けたと見せかけて、実は、自分の命をもってその命を救う玉手御前。玉手御前は本当に俊徳丸が好きだったのかどうかが論点になるけれども、私は「好きだったんじゃないか派」である。ただ、「好き」にもいろいろあると思う。恋心もあれば、たまたまその人物のことをずっと考えなくてはならない状況におかれて、それで、……あれ、これって「好き?」と思う(多少の勘違い、思い込みも含めて)場合もあるだろうし。それと、みんなそんなに貞女の話を好んで観に行くかなあと思ったりもする。と、あれこれ考えることができる、実に複雑な心理を抱えているところが、数多の物語の中でもひときわ輝く玉手御前の魅力だと思っていて、この日の上演でもその複雑性を堪能(人形=吉田蓑二郎)。[前]死んだと思われていた玉手御前が実家に戻って来る。この恋を成就したいと願う娘に呆れる両親、合邦道心と合邦女房。父は娘を成敗しようとし、それを女房がなだめる。鶴澤清治の三味線が、それぞれに複雑な思いを抱えた三人が同じ空間にいることで醸し出される空気を、三人がそれぞれ発する空気をブレンドして提示するようで。割と最近、日本語を解さない人が文楽を鑑賞することについて問われたのだけれども、言葉がわからない中で彼の三味線の音色から何を聴きとるか、逆に尋ねてみたいと思った。
第2部
『新薄雪物語』
<園部兵衛屋敷の段>[切]竹本千歳太夫が物語と言葉のおもしろさをよく伝える。お梅の方を遣う吉田和生、その迫力が心に大きく刻まれて。
第3部
『壺坂観音霊験記』<沢市内より山の段>妻お里の愛を疑う沢市、何だかとてもダメダメ男である。[切]竹本錣太夫が哀しみから幸せへと奇跡が起こる物語をきっちり聴かせた。
『連獅子』親子の獅子で踊る歌舞伎の同名演目と違い、雄獅子、雌獅子、子獅子で舞う。そして、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」の言葉を地で行くように雄獅子が子獅子を谷へと突き落とす場面では、子獅子も人形遣いも全員ジャンプ! そして毛振りは縦一列に並んでのEXILEみたいなフォーメーションあり、左回しも右回しもありと、大スペクタクル。吉田玉助が遣う雄獅子に迫力あり。
第1部
『寿式三番叟』吉田玉志の遣う翁がおごそかな光に照らし出されているように感じる瞬間があった。次第に速さを増していく曲が、聴く者をほとんどトランス状態へといざなう。
『摂州合邦辻』<合邦庵室の段>令和3年5月文楽公演での上演で吉田和生が遣う玉手御前を観て、……文楽っておもしろいな……と改めて思った。義理の息子である俊徳丸に邪恋を仕掛けたと見せかけて、実は、自分の命をもってその命を救う玉手御前。玉手御前は本当に俊徳丸が好きだったのかどうかが論点になるけれども、私は「好きだったんじゃないか派」である。ただ、「好き」にもいろいろあると思う。恋心もあれば、たまたまその人物のことをずっと考えなくてはならない状況におかれて、それで、……あれ、これって「好き?」と思う(多少の勘違い、思い込みも含めて)場合もあるだろうし。それと、みんなそんなに貞女の話を好んで観に行くかなあと思ったりもする。と、あれこれ考えることができる、実に複雑な心理を抱えているところが、数多の物語の中でもひときわ輝く玉手御前の魅力だと思っていて、この日の上演でもその複雑性を堪能(人形=吉田蓑二郎)。[前]死んだと思われていた玉手御前が実家に戻って来る。この恋を成就したいと願う娘に呆れる両親、合邦道心と合邦女房。父は娘を成敗しようとし、それを女房がなだめる。鶴澤清治の三味線が、それぞれに複雑な思いを抱えた三人が同じ空間にいることで醸し出される空気を、三人がそれぞれ発する空気をブレンドして提示するようで。割と最近、日本語を解さない人が文楽を鑑賞することについて問われたのだけれども、言葉がわからない中で彼の三味線の音色から何を聴きとるか、逆に尋ねてみたいと思った。
第2部
『新薄雪物語』
<園部兵衛屋敷の段>[切]竹本千歳太夫が物語と言葉のおもしろさをよく伝える。お梅の方を遣う吉田和生、その迫力が心に大きく刻まれて。
第3部
『壺坂観音霊験記』<沢市内より山の段>妻お里の愛を疑う沢市、何だかとてもダメダメ男である。[切]竹本錣太夫が哀しみから幸せへと奇跡が起こる物語をきっちり聴かせた。
『連獅子』親子の獅子で踊る歌舞伎の同名演目と違い、雄獅子、雌獅子、子獅子で舞う。そして、「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」の言葉を地で行くように雄獅子が子獅子を谷へと突き落とす場面では、子獅子も人形遣いも全員ジャンプ! そして毛振りは縦一列に並んでのEXILEみたいなフォーメーションあり、左回しも右回しもありと、大スペクタクル。吉田玉助が遣う雄獅子に迫力あり。
【Aプロ】
『日高川入相花王』<渡し場の段>道成寺へ急いでいるという清姫(太夫=竹本三輪太夫、人形=豊松清十郎)に、船頭(太夫=竹本南都太夫、人形=吉田蓑紫郎)が「何ぢゃ鰌(どじょう)汁が食ひたい」と返すところでいつも「ダジャレかよ!」と突っ込みたくなる。清姫のかしらは「角出しのガブ」といって、一瞬で娘から鬼に代わるものなのだけれども、船頭の態度のあまりのつれなさに、……そりゃあ鬼にもなるよな、と。
【Bプロ】
『心中天網島』<北新地河庄の段>9月末に、『ヴォイツェック』を観て、私は、「(人は)そもそも絶対何らかの役に立ちなさいとこの世に送り出されてきたわけでもあるまい、そこにいる、でいいはずなのに。」と記した(http://daisy.stablo.jp/article/518300181.html?1766997351)。それから半月ほど経って、吉田和生の遣う粉屋孫右衛門を観る。すると、特段自分はここにいるよ〜とするでもない、けれども確かにそこに肚がある人物として存在していることに心衝かれた。<天満紙屋内の段>では孫右衛門は短気を起こすけれども。
[後]豊竹呂勢太夫の語る紙屋治兵衛(人形=吉田玉男)はほとんど狂気にある。その心がバクバクする音、内心カッとなる音、後ずさる音、そして、……これはいったいどうしたらいいのか……という切迫した状況を物語る音が、鶴澤清治の三味線から聴こえてくる。
<道行名残の橋づくし>心中する紀の国屋小春(人形=吉田勘彌)と紙屋治兵衛が綺麗で、……こんな恋ができていいな、とも思い。
【Cプロ】
『曾根崎心中』<生玉社前の段>(太夫=豊竹靖太夫、三味線=竹澤團七)「芝居の続き狂言にでもしたら、ほんに哀れであろぞいの」と手代徳兵衛(人形=吉田玉助)が自己言及するのがおもしろい。徳兵衛のくるくると変わる心理がよく表現されていた。8月の三谷文楽『人形ぎらい』でかしら「陀羅助」の苦悩と活躍をたっぷり観た後だったので、油屋九平次(人形=吉田玉佳)を憎々しげに自信をもって“演じて”いる風に見えたのがおかしかった。
<天満屋の段>[切](太夫=竹本錣太夫、三味線=竹澤宗助)それぞれの登場人物の語りが生き生きとしていて口真似したくなり。天満屋お初(人形=吉田一輔)がきりりとかっこよく、包容力もあり、徳兵衛が彼女を好きになった気持ちがわかる。床下に隠れている徳兵衛がお初の足首を喉に当ててお初の心中の決意を受け入れる名場面がクローズアップで迫ってきた。
<天神森の段>野澤松之輔の曲が素晴らしい。お初と徳兵衛の人形が登場しない間にも、二人が一歩一歩進んでいる姿が見えてくる。――死すべき運命の人間のすべての一歩は死に向かうものである。しかし、このときの二人の歩みほどそのことが意識されたものもないだろう。命あっての恋じゃないの! という思いと、……二人で最後に見た景色は美しかったんだろうな……という思いと。二人の成仏を願う心が、作品から伝わってきた。
(10月11日、国立文楽劇場)
『日高川入相花王』<渡し場の段>道成寺へ急いでいるという清姫(太夫=竹本三輪太夫、人形=豊松清十郎)に、船頭(太夫=竹本南都太夫、人形=吉田蓑紫郎)が「何ぢゃ鰌(どじょう)汁が食ひたい」と返すところでいつも「ダジャレかよ!」と突っ込みたくなる。清姫のかしらは「角出しのガブ」といって、一瞬で娘から鬼に代わるものなのだけれども、船頭の態度のあまりのつれなさに、……そりゃあ鬼にもなるよな、と。
【Bプロ】
『心中天網島』<北新地河庄の段>9月末に、『ヴォイツェック』を観て、私は、「(人は)そもそも絶対何らかの役に立ちなさいとこの世に送り出されてきたわけでもあるまい、そこにいる、でいいはずなのに。」と記した(http://daisy.stablo.jp/article/518300181.html?1766997351)。それから半月ほど経って、吉田和生の遣う粉屋孫右衛門を観る。すると、特段自分はここにいるよ〜とするでもない、けれども確かにそこに肚がある人物として存在していることに心衝かれた。<天満紙屋内の段>では孫右衛門は短気を起こすけれども。
[後]豊竹呂勢太夫の語る紙屋治兵衛(人形=吉田玉男)はほとんど狂気にある。その心がバクバクする音、内心カッとなる音、後ずさる音、そして、……これはいったいどうしたらいいのか……という切迫した状況を物語る音が、鶴澤清治の三味線から聴こえてくる。
<道行名残の橋づくし>心中する紀の国屋小春(人形=吉田勘彌)と紙屋治兵衛が綺麗で、……こんな恋ができていいな、とも思い。
【Cプロ】
『曾根崎心中』<生玉社前の段>(太夫=豊竹靖太夫、三味線=竹澤團七)「芝居の続き狂言にでもしたら、ほんに哀れであろぞいの」と手代徳兵衛(人形=吉田玉助)が自己言及するのがおもしろい。徳兵衛のくるくると変わる心理がよく表現されていた。8月の三谷文楽『人形ぎらい』でかしら「陀羅助」の苦悩と活躍をたっぷり観た後だったので、油屋九平次(人形=吉田玉佳)を憎々しげに自信をもって“演じて”いる風に見えたのがおかしかった。
<天満屋の段>[切](太夫=竹本錣太夫、三味線=竹澤宗助)それぞれの登場人物の語りが生き生きとしていて口真似したくなり。天満屋お初(人形=吉田一輔)がきりりとかっこよく、包容力もあり、徳兵衛が彼女を好きになった気持ちがわかる。床下に隠れている徳兵衛がお初の足首を喉に当ててお初の心中の決意を受け入れる名場面がクローズアップで迫ってきた。
<天神森の段>野澤松之輔の曲が素晴らしい。お初と徳兵衛の人形が登場しない間にも、二人が一歩一歩進んでいる姿が見えてくる。――死すべき運命の人間のすべての一歩は死に向かうものである。しかし、このときの二人の歩みほどそのことが意識されたものもないだろう。命あっての恋じゃないの! という思いと、……二人で最後に見た景色は美しかったんだろうな……という思いと。二人の成仏を願う心が、作品から伝わってきた。
(10月11日、国立文楽劇場)
第1部【親子劇場】
『西遊記《完結篇》』<琉沙川の段>で沙悟浄(人形=桐竹紋吉)が首にかけていたドクロ9つから成る首飾りを川に投げると、瓢箪の船が出現! そこにまたがる三蔵法師(人形=吉田勘市)と孫悟空(人形=吉田玉佳)がめちゃめちゃかわいかった! 孫悟空は宙乗りまである大活躍。猪八戒(人形=吉田玉誉)のかしらはその名も「猪八戒」で、鼻が動く。楽しく見守る子供たちと共に楽しく観劇。
第2部【名作劇場】
『一谷嫰軍記』コンビの妙。
<熊谷桜の段>野澤勝平の三味線が豊竹靖太夫の語りをよくリードしていた。
<熊谷陣屋の段>[切]竹本千歳太夫の語りと豊澤清助の三味線の一体感。語りによる人物それぞれの性格、感情描写もよかった。吉田玉志の遣う熊谷次郎直実と相俟って、熊谷の荒々しさの向こうの優しさを感じた。
[後]豊竹藤太夫の語りと鶴澤燕三の三味線が淡々とした哀しみを描き出していく。[切]と違う太夫が語っているからこその、異なる角度からの光の当て方を感じた。
『桂川連理柵』<帯屋の段>[切](太夫=豊竹若太夫、三味線=鶴澤清介)コミカルで楽しい。
[奥]についてはすでに記した。
<http://daisy.stablo.jp/article/517246110.html?1766992778>
第3部【サマーレイトショー】
『伊勢音頭恋寝刃』<奥庭十人斬りの段>斬られて首は飛ぶわ、足は飛ぶわ、人形浄瑠璃ならではのスプラッター・スペクタクル。
『小鍛冶』名剣小狐丸が誕生する物語で、澤瀉屋の演目を文楽に移したもの。2021年「四月大歌舞伎」(歌舞伎座)で観劇したことを思い出した。老翁実は稲荷明神は吉田玉助の出遣い。オンラインゲーム「刀剣乱舞ONLINE」に刀剣男子小狐丸が登場するということで、第3部冒頭の『Welcome to BUNRAKU!』でその刀剣男子小狐丸が文楽人形になって登場するなどさまざまなコラボレーションがあり、推しが文楽の舞台に〜と喜んでいるファンの姿が印象的だった。
『西遊記《完結篇》』<琉沙川の段>で沙悟浄(人形=桐竹紋吉)が首にかけていたドクロ9つから成る首飾りを川に投げると、瓢箪の船が出現! そこにまたがる三蔵法師(人形=吉田勘市)と孫悟空(人形=吉田玉佳)がめちゃめちゃかわいかった! 孫悟空は宙乗りまである大活躍。猪八戒(人形=吉田玉誉)のかしらはその名も「猪八戒」で、鼻が動く。楽しく見守る子供たちと共に楽しく観劇。
第2部【名作劇場】
『一谷嫰軍記』コンビの妙。
<熊谷桜の段>野澤勝平の三味線が豊竹靖太夫の語りをよくリードしていた。
<熊谷陣屋の段>[切]竹本千歳太夫の語りと豊澤清助の三味線の一体感。語りによる人物それぞれの性格、感情描写もよかった。吉田玉志の遣う熊谷次郎直実と相俟って、熊谷の荒々しさの向こうの優しさを感じた。
[後]豊竹藤太夫の語りと鶴澤燕三の三味線が淡々とした哀しみを描き出していく。[切]と違う太夫が語っているからこその、異なる角度からの光の当て方を感じた。
『桂川連理柵』<帯屋の段>[切](太夫=豊竹若太夫、三味線=鶴澤清介)コミカルで楽しい。
[奥]についてはすでに記した。
<http://daisy.stablo.jp/article/517246110.html?1766992778>
第3部【サマーレイトショー】
『伊勢音頭恋寝刃』<奥庭十人斬りの段>斬られて首は飛ぶわ、足は飛ぶわ、人形浄瑠璃ならではのスプラッター・スペクタクル。
『小鍛冶』名剣小狐丸が誕生する物語で、澤瀉屋の演目を文楽に移したもの。2021年「四月大歌舞伎」(歌舞伎座)で観劇したことを思い出した。老翁実は稲荷明神は吉田玉助の出遣い。オンラインゲーム「刀剣乱舞ONLINE」に刀剣男子小狐丸が登場するということで、第3部冒頭の『Welcome to BUNRAKU!』でその刀剣男子小狐丸が文楽人形になって登場するなどさまざまなコラボレーションがあり、推しが文楽の舞台に〜と喜んでいるファンの姿が印象的だった。
曲が楽しい『五条橋』、「解説 文楽へようこそ」に続いて、『三十三間堂棟由来』の上演。[奥]の豊竹呂勢太夫の語りが心に迫った。柳の精であるお柳と、夫の平太郎、息子みどり丸の悲しい別れ――。確かに我々人間は親が精霊ゆえの別れは経験しない。けれども人生に別れはつきものである。歳を重ねるほど、それまでの別れの経験ゆえ、別れが怖くなる。しかし、別れの分だけ出逢いもあった。そして、別れの恐怖で共に過ごす時間までも怯えたくはない。
<「八女福島の燈籠人形」http://daisy.stablo.jp/article/510529897.html?1766990345>を書き上げて2月文楽公演に向かった私は、公演プログラムで、4月と5月の公演に『義経千本桜』があること、6月公演にこの『三十三間堂棟由来』(『祇園女御九重錦』の三段目が独立したもの)があることを知り、……自分の人生ってときにものすごく都合よくできているな、と思った。というのも、昨年秋に「八女福島の燈籠人形」で観たのが『義経千本桜』<河連法官館の段>にちなんだ演目『吉野山狐忠信初音之鼓』で、そのことをきっかけに遠縁のご先祖様であることが判明した浄瑠璃作者の松延貫嵐こと福松藤助は、(今回上演された場面ではないものの)『祇園女御九重錦』の大序と第四場を手がけているからである。
(6月6日14時の部、国立文楽劇場)
<「八女福島の燈籠人形」http://daisy.stablo.jp/article/510529897.html?1766990345>を書き上げて2月文楽公演に向かった私は、公演プログラムで、4月と5月の公演に『義経千本桜』があること、6月公演にこの『三十三間堂棟由来』(『祇園女御九重錦』の三段目が独立したもの)があることを知り、……自分の人生ってときにものすごく都合よくできているな、と思った。というのも、昨年秋に「八女福島の燈籠人形」で観たのが『義経千本桜』<河連法官館の段>にちなんだ演目『吉野山狐忠信初音之鼓』で、そのことをきっかけに遠縁のご先祖様であることが判明した浄瑠璃作者の松延貫嵐こと福松藤助は、(今回上演された場面ではないものの)『祇園女御九重錦』の大序と第四場を手がけているからである。
(6月6日14時の部、国立文楽劇場)
第1部
『芦屋道満大内鑑』<加茂館の段>[奥](太夫=豊竹藤太夫、三味線=鶴澤燕三) 藤太夫の語りが実に示唆に富むものだった。さまざまなクローズアップが駆使されていて、自分自身の目線も切り替えてみると、まるで映画を観ているように近くで遠くで、いろいろな角度から観ることができておもしろいのである。映画の手法の影響によるものなのだろうか、それとも、文楽の太夫の方が先なのだろうか。安倍保名(人形=豊松清十郎)が狂うところ、怖い。
<保名物狂いの段>[奥](太夫=竹本織太夫、ツレ 竹本織栄太夫、三味線=鶴澤藤蔵、ツレ 鶴澤清允) 保名は、狂っているときは目の焦点が合わず、正気に戻ったら焦点が合って見えた……。<加茂館の段>で、愛しい人が嫌疑をかけられ自害する様を見た保名にとって、狂う方が癒しだったのかもしれない、と思った。
<葛の葉子別れの段>
[中](太夫=竹本三輪太夫、三味線=竹澤團七) 三輪太夫の見せるヴィジュアル・イメージ。團七の三味線、艶っぽい。
[切](太夫=竹本千歳太夫、三味線=豊澤富助) 女房葛の葉(人形=吉田勘彌)は、保名たち家族と一緒に暮らすには、本当の自分(狐であること)を隠し続けなくてはいけない。本当の自分に戻れるときは、家族と別れるときである。
<信田森二人奴の段>1734年の初演において、この段で初めて人形の三人遣いが工夫されたとのこと。実は狐である奴野干平は、奴与勘平に化けて葛の葉姫と童子を助ける。その後、野干平と与勘平が同じ姿で並ぶ様に、『義経千本桜』(1747年初演)の<河連法眼館の段>と響くものを感じた。
第2部
『義経千本桜』<伏見稲荷の段>佐藤忠信実は源九郎狐(人形=吉田玉助)の登場シーンの迫力。静御前(人形=吉田蓑二郎)への包容力。
<渡海屋・大物浦の段>[口](太夫=竹本小住太夫、三味線=鶴澤清志郎) [中](太夫=豊竹芳穂太夫、三味線=野澤錦糸) [切](太夫=竹本錣太夫、三味線=竹澤宗助) 町人の娘に身をやつしてはいるが、いざというときには立派な天皇とならねばならない、娘お安実は安徳天皇(人形=吉田蓑悠)。そんなお安を立派に育て、いざというときには立派に死なせる責務を負った、女房おりう実は典侍局(人形=吉田和生)の哀しさ。
この観劇から一ヵ月後、夫と一緒に山口県の下関を訪れ、安徳天皇が祀られた赤間神宮で、「かつて私は父の実家のある宇部に来るたび、やがては嫁に行って藤本家から出る人間ということで身の置き所のなさを感じていて、だからその後も山口県に来るたび、敵地に乗り込むような思いがしていました。今日、この世で一番、私という人間がこの世に存在することを願っている夫と、こうして来ることができました。もう山口県へのわだかまりはありません」とお参りしたところ、――その日一日、時刻表を一切調べず行き当たりばったりに行動しているのに、バスも電車もフェリーもすべての乗り継ぎがうまく行き、しかも適当に乗ったバスが行きたい場所の近くに偶然停車して、行きたいなと思っていた場所をすべて回れるという不思議な体験をしたのでした。考えてみれば、前々から、『義経千本桜』の<河連法眼館の段>(この日は上演されていませんが)を観ると、養子に行って苦労した父のことをいつも思うのだった。
<道行初音旅>ぱーっと広がるパノラマ、見渡す限りの一面の桜の中に在る静御前と忠信、実は人と狐。義経会いたさの思いに足は急ぐ。鶴澤清治率いる三味線の音、至福。美の前で人は心安くなることを教えてくれる、桜。
第3部
『平家女護島』 <鬼界が島の段>上演前に上映された<入門「名作『平家女護島』の魅力を探る」>が興味深く、島と都の距離感等を改めて感じながら観ることができた。
『芦屋道満大内鑑』<加茂館の段>[奥](太夫=豊竹藤太夫、三味線=鶴澤燕三) 藤太夫の語りが実に示唆に富むものだった。さまざまなクローズアップが駆使されていて、自分自身の目線も切り替えてみると、まるで映画を観ているように近くで遠くで、いろいろな角度から観ることができておもしろいのである。映画の手法の影響によるものなのだろうか、それとも、文楽の太夫の方が先なのだろうか。安倍保名(人形=豊松清十郎)が狂うところ、怖い。
<保名物狂いの段>[奥](太夫=竹本織太夫、ツレ 竹本織栄太夫、三味線=鶴澤藤蔵、ツレ 鶴澤清允) 保名は、狂っているときは目の焦点が合わず、正気に戻ったら焦点が合って見えた……。<加茂館の段>で、愛しい人が嫌疑をかけられ自害する様を見た保名にとって、狂う方が癒しだったのかもしれない、と思った。
<葛の葉子別れの段>
[中](太夫=竹本三輪太夫、三味線=竹澤團七) 三輪太夫の見せるヴィジュアル・イメージ。團七の三味線、艶っぽい。
[切](太夫=竹本千歳太夫、三味線=豊澤富助) 女房葛の葉(人形=吉田勘彌)は、保名たち家族と一緒に暮らすには、本当の自分(狐であること)を隠し続けなくてはいけない。本当の自分に戻れるときは、家族と別れるときである。
<信田森二人奴の段>1734年の初演において、この段で初めて人形の三人遣いが工夫されたとのこと。実は狐である奴野干平は、奴与勘平に化けて葛の葉姫と童子を助ける。その後、野干平と与勘平が同じ姿で並ぶ様に、『義経千本桜』(1747年初演)の<河連法眼館の段>と響くものを感じた。
第2部
『義経千本桜』<伏見稲荷の段>佐藤忠信実は源九郎狐(人形=吉田玉助)の登場シーンの迫力。静御前(人形=吉田蓑二郎)への包容力。
<渡海屋・大物浦の段>[口](太夫=竹本小住太夫、三味線=鶴澤清志郎) [中](太夫=豊竹芳穂太夫、三味線=野澤錦糸) [切](太夫=竹本錣太夫、三味線=竹澤宗助) 町人の娘に身をやつしてはいるが、いざというときには立派な天皇とならねばならない、娘お安実は安徳天皇(人形=吉田蓑悠)。そんなお安を立派に育て、いざというときには立派に死なせる責務を負った、女房おりう実は典侍局(人形=吉田和生)の哀しさ。
この観劇から一ヵ月後、夫と一緒に山口県の下関を訪れ、安徳天皇が祀られた赤間神宮で、「かつて私は父の実家のある宇部に来るたび、やがては嫁に行って藤本家から出る人間ということで身の置き所のなさを感じていて、だからその後も山口県に来るたび、敵地に乗り込むような思いがしていました。今日、この世で一番、私という人間がこの世に存在することを願っている夫と、こうして来ることができました。もう山口県へのわだかまりはありません」とお参りしたところ、――その日一日、時刻表を一切調べず行き当たりばったりに行動しているのに、バスも電車もフェリーもすべての乗り継ぎがうまく行き、しかも適当に乗ったバスが行きたい場所の近くに偶然停車して、行きたいなと思っていた場所をすべて回れるという不思議な体験をしたのでした。考えてみれば、前々から、『義経千本桜』の<河連法眼館の段>(この日は上演されていませんが)を観ると、養子に行って苦労した父のことをいつも思うのだった。
<道行初音旅>ぱーっと広がるパノラマ、見渡す限りの一面の桜の中に在る静御前と忠信、実は人と狐。義経会いたさの思いに足は急ぐ。鶴澤清治率いる三味線の音、至福。美の前で人は心安くなることを教えてくれる、桜。
第3部
『平家女護島』 <鬼界が島の段>上演前に上映された<入門「名作『平家女護島』の魅力を探る」>が興味深く、島と都の距離感等を改めて感じながら観ることができた。
第1部
初段<堀川御所の段>[奥](太夫=豊竹藤太夫、三味線=鶴澤燕三) 九郎判官源義経(人形=吉田蓑二郎)の才気や思いやり等、人間性がよく描写されていた。これから彼に迫り来る悲しい運命の暗示も感じさせて。武蔵坊弁慶(人形=吉田玉佳)の活躍、楽しい。
二段目<伏見稲荷の段>(太夫=豊竹希太夫、三味線=竹澤團七) 静御前(人形=吉田一輔)のせつなさに“距離”という言葉が浮かんだ。それにしても静御前は人前ですがったり、名前の割にそんなに静かな人ではないなと。速見の藤太(人形=吉田勘市)のかしら「鼻動き」の鼻の動きがおもしろい。
<渡海屋・大物浦の段>吉田和生の遣う女房おりう実は典侍局が美しい。観る者の想像力をかきたてる遣い方とは。
第2部
<小金吾討死の段>生死の緊迫感をよく伝え、討死を盛り上げる曲がおもしろかった(三味線=鶴澤清丈')。
<すしやの段>[前](太夫=豊竹呂勢太夫、三味線=鶴澤清治) <すしやの段>がこんなにも艶っぽいとは! 親子の情との対比が際立っていた。
[切](太夫=豊竹若太夫、三味線=鶴澤清介) 老いた両親の嘆きが心にしみた。
第3部
<河連法眼館の段>[中](太夫=豊竹睦太夫、三味線=野澤勝平) 佐藤忠信に激怒する九郎判官義経に、彼の人間への深い不信感を感じた。
[切](太夫=竹本千歳太夫、三味線=豊澤富助、ツレ 鶴澤燕二郎) 桐竹勘十郎の遣う忠信実は源九郎狐、イキイキ。さすがの当たり役。源九郎狐が木に登ったあたりで号泣。狐は、鼓の音の中に響く親を聞き分けたのだ、と思った。
公演プログラムで、すしやのモデルになったお店が現存することを知りました。
初段<堀川御所の段>[奥](太夫=豊竹藤太夫、三味線=鶴澤燕三) 九郎判官源義経(人形=吉田蓑二郎)の才気や思いやり等、人間性がよく描写されていた。これから彼に迫り来る悲しい運命の暗示も感じさせて。武蔵坊弁慶(人形=吉田玉佳)の活躍、楽しい。
二段目<伏見稲荷の段>(太夫=豊竹希太夫、三味線=竹澤團七) 静御前(人形=吉田一輔)のせつなさに“距離”という言葉が浮かんだ。それにしても静御前は人前ですがったり、名前の割にそんなに静かな人ではないなと。速見の藤太(人形=吉田勘市)のかしら「鼻動き」の鼻の動きがおもしろい。
<渡海屋・大物浦の段>吉田和生の遣う女房おりう実は典侍局が美しい。観る者の想像力をかきたてる遣い方とは。
第2部
<小金吾討死の段>生死の緊迫感をよく伝え、討死を盛り上げる曲がおもしろかった(三味線=鶴澤清丈')。
<すしやの段>[前](太夫=豊竹呂勢太夫、三味線=鶴澤清治) <すしやの段>がこんなにも艶っぽいとは! 親子の情との対比が際立っていた。
[切](太夫=豊竹若太夫、三味線=鶴澤清介) 老いた両親の嘆きが心にしみた。
第3部
<河連法眼館の段>[中](太夫=豊竹睦太夫、三味線=野澤勝平) 佐藤忠信に激怒する九郎判官義経に、彼の人間への深い不信感を感じた。
[切](太夫=竹本千歳太夫、三味線=豊澤富助、ツレ 鶴澤燕二郎) 桐竹勘十郎の遣う忠信実は源九郎狐、イキイキ。さすがの当たり役。源九郎狐が木に登ったあたりで号泣。狐は、鼓の音の中に響く親を聞き分けたのだ、と思った。
公演プログラムで、すしやのモデルになったお店が現存することを知りました。
この日のキャストはBプロ。新年先取り気分で楽しくめでたい『万才』と「解説 文楽の魅力」、そして、国境を越えてのスペクタクルにふさわしい熱演が次々と繰り広げられた『国性爺合戦』というプログラム。鎖国の時代、海外に行くことなど夢ですらなかった時代に、主人公の和藤内、その父で実は明の家臣の鄭芝龍老一官に加え、老一官妻(人形かしらは「婆」!)まで中国に渡って活躍する『国性爺合戦』の物語を書いた近松門左衛門の想像力はすごいと思うし、人間の想像力は進化しているのだろうかと考える。老一官妻(人形=吉田蓑二郎)と、老一官が中国に残していた先妻との間の子、錦祥女(人形=吉田蓑紫郎)との間に心が通い、<紅流しより獅子が城の段>(太夫=豊竹靖太夫、三味線=鶴澤清丈')で二人は明の復興のために進んで命を落とすが、決して悲劇的ではなく、二人の強い意志が感じられての死だったのがよかった。今回は東京芸術劇場プレイハウスでの公演。毎回異なる劇場で公演する上での技芸員たちの負担や苦労を思うと、国立劇場建て替え問題は一日も早い解決が望まれるところが、靖太夫の力強い声を聞いていたら、この劇場でのさまざまな思い出が甦り、そのうちのネガティブなものが祓い清められてどこかに飛んでいくような思いがして、さまざまな劇場に文楽観劇の楽しい思い出が残ることをうれしく思った。
(12月17日14時半の部、東京芸術劇場プレイハウス)
(12月17日14時半の部、東京芸術劇場プレイハウス)
『其礼成心中』初演から13年、三谷幸喜が作・演出を手がける三谷文楽の新作登場(監修・出演:吉田一輔、作曲・出演:鶴澤清介)。今回の主人公は、近松門左衛門『鑓の権三重帷子』の仇役・川側伴之丞を演じる人形の陀羅助。ヒロインおさゐを演じる老女形の人形に恋をしている陀羅助は、いつも引き立て役はいやだ、ラブシーンが演じたいと、作者の近松門左衛門に直談判しに行ったりする。そんなある日、主人公の権三を演じる二枚目専門の人形の源太がねずみにかじられ顔が変わり、劇場を飛び出していってしまい――。モリエールの『人間嫌い』と通底するタイトルと恋の三角関係だが、人形の恋の三角関係というところでバレエ『ペトルーシュカ』も思い出した。文楽の人形が自らを操る人形遣いを認識してしまうという設定になっており、……その設定は今どのように処理されているのだろう……と感じる箇所もあったが、作者による文楽論、文楽賛歌とも言える作品を大変楽しく観た。“爆笑文楽”と聞いていたのに、陀羅助が自分も主役をやりたいと嘆く場面の曲、そして鶴澤清介自身による三味線の演奏がすばらしく、陀羅助の内に流れる音までもが聞こえてきて、泣く準備してなかった〜と。文楽人形にはさまざまな種類のかしら(「首」と書いてこう読む)があり、「陀羅助」「老女形」「源太」もかしらの名称。文楽においてこうしてかしらがあることの合理性については前から考えていたのだが、今月、新橋演舞場で『華岡青洲の妻』を観ていて、そもそも人間が社会生活において担う役割について考えていたこともあり、人形の内面にまで思いを馳せる作者の視点をおもしろく思った。『其礼成心中』に続いて、作者お気に入りのかしらである「お福」が活躍。『其礼成心中』にも出てきた近松門左衛門の登場も、作劇上、興味深い。陀羅助が華麗にスケートボードに乗るシーンでは劇場中から大喝采! 人形と人形遣いが目を合わせたり、床本がなかったり(欲しいです)、いつもの文楽公演と異なる点もいろいろあったけれども、一番衝撃を受けたのは、陀羅助が乗るスケートボードを左遣いが借りに行ってしまったとき、陀羅助の左手がだらんと垂れ下がり、まるで左半身が麻痺しているかのように見えたこと。初めて観る光景だったが、逆に、半身が麻痺した状態も表現できるんだな、と。『其礼成心中』に続いて大阪が舞台の物語なので、いつか文楽の本場である大阪でも観られたらいいなと思う。ちなみに、私が文楽を好きな理由の一つとして、だめな人がいっぱい出てきて、立派な行いの人もあまりに立派過ぎて本人も周りも哀しいことになっていたりして、その姿を、……ああ、これはだめですねえ……と客観的に観ているうち(人間ではなく人形なので、客観的に観やすいところがあるのだと思う)、自分自身のだめなところもすべてひっくるめて包み込まれるような、そんな効果があるということがある。みんなもっと文楽を観れば生きやすくなるかもしれないのに、と思う。その意味では、今回の主人公の陀羅助も、お福に「だめ男」とはっきり言われるようなキャラクター(最終的には大活躍しますが)なのがいいなと思った。
(8月21日13時半の部、パルコ劇場)
(8月21日13時半の部、パルコ劇場)


